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甘い誘惑と深夜の酒処 Ⅰ

Rp.1 ロールケーキ


カランカランとアンティークな茶色いドアに取り付けられているベルが店内に音が鳴り響く。その音と共にカウンターで皿を拭いていた男性は顔をあげた。

にゃおん、と彼の飼い猫が一声鳴く。
店へ入ってくる客足の存在に気付いたのか、猫はカウンターから下りてキッチンの奥へと姿を消してしまった。

飼い猫の名前は「かぼちゃ」
名前の由来は毛の色がパンプキンパイみたいな香ばしい焦げ茶色をしているからだ。

1人の女性客がパソコンを抱えて店に入ってきた。
男性とは顔見知りのようだ。
この薬局は夜になるとバーへと変わるということを彼女、高橋夏帆は知っているらしい。

「石丸ちゃん、今日ここ借りても大丈夫?」

夏帆は奥の席を指差し、男性に声をかける。その席はパソコンを充電しながら作業が出来るようだ。
質問に軽く頷いて彼は答えた。

「今日はお客さんも少ないので良いですよ。にしても夏帆さん今日、顔凄くゲッソリしてませんか?」

彼は夏帆の目の下にあるクマに気付いたらしい。
あー…と言いながら目の下のクマを人差し指で押し込んで夏帆は返答する。

「最近、忙しくて…寝不足で。新しい社団法人が立ち上がってからメディアや厚生労働省の前で発言することが多いから資料作ってお役所さんに提出することが多いのよ」

テーブルの上に夏帆は自分のピンクのパソコンを置いてカパッと開けた。ケーブルを繋いで充電しながら作業する準備をしている。

「SRHR Pharmacy Project …でしたっけ、昨年の10月に夏帆さんが設立した一般社団法人」

男性はグラスに水を注ぎ、テーブルにコトッと置いた。パソコンを見ながらカタカタと書類を作る夏帆の口が動く。

「今が頑張り時なのよ。緊急避妊薬が薬局で売れるかもしれない。これを逃したら次のチャンスがいつやってくるか分からない」

夏帆は普段、薬局の薬剤師の仕事をしているが、一般社団法人SRHR Pharmacy Project という団体の代表を務めていて現在、緊急避妊薬を薬局で買えるようにと薬剤師として声をあげ、活動している。

「緊急避妊薬を薬局で」というハッシュタグを付けた投稿は賛否両論、SNS内で数多く飛び交った。

中でも厚生労働省の中年男性が複数写った画像が貼られ「緊急避妊薬の市販薬化は慎重に」という投稿は引用が酷かった。
多数の女性から「こんな中年男性達に女性の未来を決められるのはおかしい。女性の人権尊重を」と沢山の批判を喰らっていたのが記憶に新しい。

海外では緊急避妊薬へのアクセスが容易く、薬の金額もそこまで高くない。たまに海外の方が緊急避妊薬をもらいに薬局へ来局することがあるが、だいたい「なんでこんなに高いの?」と言われる。

日本では、妊娠したかもしれないと不安になっているその間、まず診てくれる病院を探して薬の在庫を持っている薬局を探して…とアクセスに弊害があるのと薬の入手にたどり着くまでに時間がかかりすぎる。

それがしんどくて心が折れて諦めてしまう女性も少なくもないのだ。

使用するにも緊急避妊薬は制限時間がある。その効果は100%とは言えないけれど、それでも望まない妊娠の確率を下げられることは患者の安心にも繋がる。

同時に日本は性教育が遅れている。

声をあげなければ助けてあげられる人が助けてあげられなくなってしまうと、薬剤師として夏帆は公共の場で声をあげれるよう一般社団法人を立ち上げた。

「頑張り時なのは分かるんですけれど、夏帆さん、旦那さんと喧嘩してきましたよね?もう少し気持ちに余裕持った方が良いと思いますが」

男性、石丸勝之の言葉に図星だったのか、夏帆は少し黙って注いでもらったグラスを手に取り水をゴクリと飲んだ。

「……なんで分かったの、石丸ちゃん」

ふふん、と石丸は笑う。

「夏帆さんが、うちのお店に夜ふらっと来る時はだいたい仕事で切羽詰まってるか旦那さんと喧嘩した時か、ですよ。目の周り、少し赤いですよ」

そう言いながら、石丸は水の入ったドリンクピッチャーを持ってカウンターに戻った。


彼、石丸勝之が経営する薬局「ファーマテリア」は薬局×カフェのコンセプトで成り立っている。
昼は処方せんを受け付けて薬を払い出し、薬を待っている間はカフェで食事が出来るので多くの人で賑わう。

カレーライスやナポリタンなどの定番ランチは勿論、カロリーがそんなに摂取出来ない人用のメニューも用意してある。
彼が配合したハーブティーや漢方茶は幅広い年齢層の客にウケていた。


夜から深夜は処方せんはお休みして、酒を出すバーとして「バー・ファーマテリア」へと店の顔をガラリと変える。日本酒や日本酒リキュールをメインとした酒を取り扱い、提供をしていて昼の賑やかなカフェの営業イメージが強いからなのか、夜はあんまり人がこない。

石丸も薬剤師をやっていて、この薬局カフェを出すのが夢であって目標だった。

この地域で、この街で、誰1人寂しい思いをさせたくない。「近所の頼れるオッサン」になってこの街の中心である場所を作りたい。

薬だけでは人の心も体も癒えない時がある。
会話で医療の入り口を開いていきたい。

石丸がずっとやりたいことだった。
まだ走り始めのこのお店を成長させていくことが今、彼の楽しみ、やりがいになっている。

夜、酒が飲めるバーをやることになったのは、石丸の知り合いが夜の部で何をやるのか悩んでいるなら日本酒をメインで飲めるバーをやれ、と口うるさかったからである。

その知り合い曰く何故、日本酒なのかと言うと「日本酒は地域、蔵によって背景や特徴、造り、味の傾向も異なりストーリー性があるお酒だから」だそうな。

そんな背景を持つ類いのものはあらゆる人やモノ、時代を繋げてくれると。

ーーー

夏帆がパソコンで資料を作り始めて1時間が経過した。パソコンの画面を見ていれば目も疲れるし文章の中身を考えるのも凄く頭を使う。店の柱にかかってる時計を見るともう23:00だった。

「石丸ちゃん…お腹すいた。甘いもの欲しい」

自分のピンクのパソコンをパタンと閉じて、夏帆はその上に突っ伏した。

「まあ、人間の集中力なんて1時間続いて良い方です。夏帆さん、うち日本酒バーなの知っていてそれ言ってます?甘いモノなんてないですよ。お酒は出せますけれど、アルコール度数高いお酒苦手でしたよね」

石丸の質問に夏帆はそのまま顔をゴロンッとパソコンの上でローリングさせて石丸の方に向いた。

「日本酒は最近少しだけ飲めるようになったけれど、アルコール度数低いのじゃないと無理。前に贈り物でもらったヨーグルトのお酒、スノードロップみたいなのは全然飲めるよ」

甘いものかぁ…と首をうーんうーんと傾げて冷蔵庫を見つめる石丸がふと何を思い付いたのか、すっくと立ち上がった。そして夏帆の方を向いて問いかける。

「夏帆さん、僕の奥さんがお酒の〆として試作で作ったお菓子があるんだけれど食べますか?」

返事よりも先に夏帆の体が跳ね起きた。

「食べるっ……!!!」

夏帆の返事にこたえてキッチンでカチャカチャと食器の準備をしている音がした。数分後、石丸がそれを夏帆が座っている席まで運んできた。

白くて平らな真っ白なお皿の上に黄色いスポンジにくるまれた生クリーム。
クルンと横に倒れた丸いフォルム。それが2切れ並んでいる。

ロールケーキだ。

「あと、夏帆さん、これもね。一緒に飲んでもらった方が美味しいと思います」

シュッとした形のショットグラスに注がれたピンクの液体。
石丸が中身の液体が入っているであろう瓶をゴトンと夏帆の目の前に置く。

「鳳凰美田?イチゴって書いてあるけれど、石丸ちゃん、このピンクの液体って苺なの?」

夏帆が瓶をまじまじと見つめる。

「栃木県、小林酒蔵さんの日本酒リキュールでね。フルーツを使ったリキュールにも力を入れてる蔵なんですよ。これは日本酒と栃木県産の苺、とちおとめのみで造ったお酒でアルコール度数も低いの」

石丸が説明をしながら瓶をくるっと回転させた。
裏の説明書きには賞味期限(2ヶ月)を守るようにとラベルに細かい注意書きが載っている。

夏帆はまず、フォークでロールケーキのみを突っついて食べた。

気のせいだろうか。
ふわっとしたスポンジ生地の中から柔らかい酸味が舌を滑っていった気がした。

普通の生クリームとは異なり、脂質のくどさはなく、さっぱり食べれる印象だ。

次は石丸に言われた通り、ロールケーキと鳳凰美田のいちごリキュールを一緒に頂く。
次の瞬間、夏帆は目を見開いて驚いた素振りを見せた。口に入れたお酒とロールケーキがなくなったのを確認して口を開く。

「石丸ちゃん、これ凄く美味しい…!ロールケーキ単品で食べるよりお酒と一緒に食べる方がなんていうか、レアチーズみたいな味が出るというか」

甘いモノが大好きな夏帆にはストライクの味のようだった。

「日本酒とデザートって組み合わせ、最近増えてますよね。僕はまだお店始めて初心者だからこういったリキュールとデザートで組み合わせてお客さんに提供してる。今回は奥さんに手伝ってもらっちゃったんだけれどね」

そう言って、石丸はテーブルの瓶をとって冷蔵庫に戻しにいった。

「これ、普通の生クリームじゃないよね?何か入れてる?」

夏帆はロールケーキのクリームをフォークで突っついてちまちまと食べている。

「それ、マスカルポーネと生クリームを混ぜたクリームなんです。フルーツの酸味と合わせられるようにケーキ側にも酸味をプラスしていて…よく気付きましたね」 

石丸がキッチンの上の戸棚から新たな瓶を取り出した。遠巻きだったが瓶に目一杯大きく書いてある字は離れている夏帆に見えた。

【沼】

「何、その怪しいお酒…」

そう呟いて夏帆が身構えているのが瓶を持ってテーブルに向かってる石丸にも分かった。

「いやいや、夏帆さんはこっちの方が好きだと思いますよ。ロールケーキ、もう1切れありますよね?」

あるけど…と1切れ残っているロールケーキの皿を瓶を持ってテーブルまできた石丸の目の前に差し出す。

石丸はその瓶を開封して中身をロールケーキにかけ始めたのだ。

「ちょっ…石丸ちゃん…?!」

中身は、これまた苺のお酒で苺シェイクのような鳳凰美田の苺リキュールに対して「沼」はジャム状のお酒だった。

「食べてみてください。奈良県の梅乃宿っていうところのリキュールなんです。新しいタイプのお酒なんですけれど、大人気で仕入れるのもやっとだったんですから」

ケラケラと笑いながら石丸はまたキッチンに戻る。
夏帆は「沼」がかかったロールケーキを一口食べた。

果肉そのものがロールケーキの味の一部として組み込まれているようだった。マスカルポーネの柔らかい酸味、クリームのテクスチャーもジャムの舌触りとマッチしている。

「美味しい。今日、ここに仕事しにきて良かった」

お酒を飲みながらケーキを食べている夏帆は笑顔でとても幸せそうだった。

楽しそうに飲んでもらえて良かったと石丸は安堵する。食べ終わった皿を下げて片付けながら石丸は夏帆に問いかけた。

「夏帆さん、生クリームって泡立てたことありますか?」

「私お菓子って作らないからなぁ。もし生クリームを使うとしても出来合いのものを買っちゃうかも」

夏帆はパソコンを弄りながら怪訝な顔をして答えた。
そうですか、と石丸は洗い物をしながら話し始めた。

「僕、今回このお菓子作る為に初めて生クリーム泡立てたんですよね。生クリームって冷えてないと泡立ってくれないんです。買ってきてすぐ常温で放置してたら、生クリームいじめないで!って奥さんに怒られちゃって。素材も些細な温度さえ良い状態にしておかないとお菓子だって出来ないんだなって」

夏帆のパソコンを触る手が止まっていたのが、石丸にも分かった。

「生クリームだってそうなんだから、人間なんてもっとそうです。夏帆さん、もっと自分を大切にした方が良いですよ。頑張りたい気持ちがあるのは分かります。でも夏帆さんが倒れたら周りの人だって家族だって心配ですし、体調が悪くなれば良い結果も出ないじゃないですか」

少し離れているものの夏帆の、ふぅ、というため息が石丸の耳には聞こえた。その後を追うように「そうね」という一言も。

「今日喧嘩したのも旦那に最近体張りすぎだって強めに言われて少し腹立っちゃって。でも石丸ちゃんの言うとおりかもしれない。体だってメンタルだって最善の状態で挑まなきゃ勝てる戦も勝てないもんね。緊急避妊薬のパブリックコメントの〆切ももうすぐだし、少し休むわ」

(※パブリックコメント…公的な機関が規則あるいは命令などの類のものを制定しようとするときに、広く公に、意見・情報・改善案などを求める手続きをいう)

夏帆はさっきまで弄っていたパソコンの電源を切った。繋いでいたケーブルを外して鞄に仕舞い込む。

「今日はありがとう。美味しいケーキとお酒、最高だった。試作品作ってくれた桜ちゃんにもお礼言っておいて欲しい。旦那と仲直りしなきゃだし今日は仕事ここまでにして帰る」

夏帆は席から立って、入り口のドアまで向かう。
彼女がドアを開けた瞬間、外の風がふわっと店内に入ってきた。

「夏帆さん、今度は友達や旦那さん連れて遊びにきてくださいよ。一杯サービスしますから  」

石丸が夏帆に向かって手を振った。

冬なのに湿気を帯びた空気が漂っている。
もう春だ。

心地よい寒さを体感しながら石丸は夏帆を見送った。
彼女にとってお酒で幸せになれる時間が作れたなら少しは役に立てただろうか。

外から戻ると、飼い猫のかぼちゃがキッチンに戻ってきていた。カウンターから床に飛び降りて石丸の顔を見上げている。
みゃおん、と一言鳴いて何か言いたげな顔をした。

「かぼちゃは本当に空気が読めるよね、いつも僕のお客さんのこと心配してくれてる」

石丸の声に反応して、かぼちゃの尻尾がユラユラと揺れていた。

今宵のバー・ファーマテリアの閉店時間はもうすぐだ。


ー Rp.1ロールケーキ 完 ー


◆紹介酒蔵◆

小林酒造「鳳凰美田」

梅乃宿「沼」

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