東京ばな奈の思い出
2023年の秋。
東北に2泊3日の旅行へ出掛ける予定があって埼玉県の玄関口JR大宮駅を経由して東北に向かう途中のことだった。
新幹線構内、NEWDAYSの店頭で「東京ばな奈」が売られていた。
今や東京土産の代名詞である、東京ばな奈。
最近はチーズケーキやらレーズンサンドやらソフトクリームやら。色んな商品が出ていて、もはや何者なのか分からない。
某観光地の東京ばな奈はヒョウ柄だし、クマだかウサギだかの顔が描いてある商品もあって「商品名はバナナで良かったか?」と問い掛けたくなる時さえある。
いつも、この商品を見て思い出すのは母なのである。
母の実家は福島県の会津地方だ。
私が子供の頃、父が仕事で母の帰省に付き合えない時は私と母の2人で一緒に福島県に帰っていた。
彼女は実家の仏さまへ供えるお菓子に大宮駅で必ず東京ばな奈を購入していた。当時、東京ばな奈はスタンダードな商品一種のみで今ほど豊富な種類はなかった。
子供の頃、私は何故、彼女が帰省の手土産を東京ばな奈一択でこだわるのか不思議でしょうがなかった。
埼玉県のお土産は十万石まんじゅうがあるし、東京のお土産だって知名度で言ったら「ひよこ」の方があるし、そもそも私達が住んでるのって埼玉県じゃん。
地元のお土産を買わないでどうするんだよ、って心の中で母にツッコんでた。口にはしなかったけれど。
東京ばな奈はパッケージがお洒落だし当時のお土産勢の中でも「映え」ていたから手に取りやすかったのだろうか。
母は都会にいることをお土産に投影して背伸びでもしたかったのだろうか。
私は子供だったから、当時はそういった安易な考えしか思い浮かばなかった。
大人になって自分が色々な場面で菓子折りや手土産を持っていくことが多くなり、今なら母が東京ばな奈を選んで買って帰省していた意味が分かる。
餡子や白餡を使ったお菓子は万人受けしづらい。中には餡子が苦手という人もいるので洋菓子の方がウケが良い印象がある。
仏さまに供えるお菓子、とは言えど結局供えた後に食べるのは親戚の子供達と自分の娘(私)だった。確かに双方の子供の中で餡子を好んで食べる子はいなかったな、と思う。
きっと母は仏さまへ供えた後、誰が食べることになるのかを考えて購入していたのだろう。
母は甘い食べ物が苦手だったから選ぶのに苦労したのかもしれない。
駅構内のお土産売り場で、いつも少し「うーん」と首を傾げて悩むものの結局は東京ばな奈を手にしていた記憶がある。当時はお土産のレパートリーが少なかったから、逆にそれ一択しかなかったとも思える。
私が手土産にお菓子や日本酒を持っていく時、相手がどんな嗜好なのか、商品の期限は長いのか、食べられる(もしくは飲める)ものなのかということを考えて選べるようになったのは、母からヒントをもらえていたからなのかもしれない。
当たり前の過程が当たり前に出来るようになる工程は自分自身で振り返ってみないと気付かないこともある。
大宮駅のNEWDAYSの店頭に並んでいた「東京ばな奈」は今回買わなかったけれど、旅の始まりにそんなことを考えさせてくれた。
それでは、2泊3日の東北の旅へいってきます。
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