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頑張らねば病からの解放

頑張っても頑張っても「不足」に目がいく話

2021年が始まった。
年始早々考えていることは、「何のために生きてるんだっけ?」ということ。

2020年は転職して、とにかくひたすらに、とにかくがむしゃらに頑張った一年だった。
通じて感じたのは自分は「向上心が強い」ということ。
長所と短所は紙一重とはよくいったもので、よくFBをもらい褒めてもらった一方で、自分を苦しめていた要因であったように感じている。

痛みのない孫悟空の頭のわっかみたいなものであったと思う。
ちなみにあのわっかは「緊箍児(きんこじ)」というらしい。

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※イメージ

話は逸れたがが、仕事においてもプライベートにおいてもそれはある。
例えば、この長期休みの満足度もまさにそれを表している。
長期休みのときは、大体想像しているものの50%もやりきれない。
不足しているものを数えては、「ああ、また足りなかった」と嘆く。
正月休みの6日間があれば、スーパーマンにでもなれると思っていたのだろうか。
いつまでたっても「頑張らねば病」が私を襲ってくる。

ちなみに私が年末年始にやったことは以下の通り。

12/29
 1年の振り返り、買い物
12/30
 ひたすらに寝る
12/31
・美容院 ・買い物 ・夕飯づくり(唐揚げ)
1/1
 ・掃除機がけ ・洗面台掃除 ・シンク掃除 ・買い物
・ごはんづくり(お雑煮・甘酢餡唐揚げタルタル)
1/2
・スポーツジムを調べる ・結婚式返事作成 ・年金書類作成 ・ウォーキング ・ごはんづくり(ジンギスカン・八宝菜)
1/3
・朝ごはんづくり(オムレツ)・スポーツジムを登録 ・目標決める
・副業応募するか決める→辞めた決断をした ・スラック等連絡

書き出すとそんなに悪くないのだが、できたことがあっても、不足感に目が行く。
私はいつから、得意なことやできたことを数えられなくなってしまったのだろう。

わたしを認めて労う人生を送りたい

自分に言い訳をするように「休息を求めていた自分に気が付いた」と言ったら、友人に「あなたは、そういうタイプの人間だったって気づいたってこと?」と言われて、即「否」「あくまで今必要だっただけ」と答えた。

けど、たら何もしたくないタイプなのだ。
「本当は仕事のために勉強して役に立ちたい」とか
「クライアントのために休みの時間を割いて準備するんだ」とか
「会社の貢献するためにインプットしなきゃ」とか
他者のために行動できなくなってきたのだと思う。
他者のために動ける自分が好きだったし、それで居場所を作ってきたから、「頑張らねば病」が私を襲ってくるのである。

「頑張らないと居場所が無くなる」
「努力し続けないと怒られる」
「人に尽くさないと活躍できない」
そんな今日までの積み重ねの呪縛が私を縛っていく。

だから自分がしたいことと、自分の呪縛をしっかり認めてあげたうえで、自分の声を聞いてあげられる一年にしたい。

誰のためでもなく、「わたしのため」の人生にしていくために


以下はメモで貼っておく。

2021年の目標
(2021年12月に以下の振り返りをしている状態に)

振り返り①:独立に向けて実績を積めた一年だった
振り返り②:副業を始めて、生きる選択肢が増えた一年だった
振り返り③:従来の凝り固まったコミュニケーションを手放せた一年だった

2020振り返り

・1年間本当によく頑張りました。2020年はいろいろチャレンジングな一年でした
・出来ないことも少しずつできるようになるという実感を得たと同時に、超えればこえるほど次の壁がでてくることを実感した。
・できないとあきらめていたのは自分だった
・将来は今やっている仕事で生計を立てられるようになりたいと思っている
・前職の部下としての経験が自分の活力であり、復讐心とまでは言わないが、きちんと生かし育てあうことが数字に繋がっていくことを証明したい気持ちがあることを忘れない
・周りの人、大切な人たちを守りたい、活かしたい気持ちがあるが、他人とどうかかわっていくかが今年の肝であると思う
・つられ笑いが今年の鍵、反射的に笑わない





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