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天才について。 2019年8月4日

*こういった感覚は誰でもあると思います。

 小説を書いている間はそんなことを思ったりはしないのですが、いったん小説から離れると自分はそういう存在なのではないか、ということをしょっちゅう考えてしまいます。これはある意味では僕を支えている柱のようなものなのかもしれませんが、小説を書く行為においては、そんなものは不必要なものであり、僕も書いている間は一切忘れて書くことに専念することができています。もしこの自分はもしかしたら天才なのではないか、という気持ちの柱が小説を書いている間にも出てしまうようならば、実際にそうなってみないとわからないのですが、おそらく書くことをやめるということになるのでしょう。これは、多分の話ですが。

 ここからは余談になりますが、音楽を聴いていると、「あ、この人は自分そのものを天才だと思わせたいのだな」と言いますか、そういったようなテクニックを感じることがあります。僕にとっての天才の定義は、『自らの世界を構築している』ということになります。自らの世界、とはオリジナリティーとも言い換えれますが、とにかく、その人だけしか作れない色というような感じです。赤でも青でも黄色でもない。そして、さらにその人だけしか作れない色ですので、簡単には真似できないものでなくてはならない、ということになります。多種多様なものから吸収して(これは絶対に欠かせないです)、作り上げた色で自らの世界を構築していくことができる。僕は、そういった人々を個人的に「天才」と呼んでいます。さらにその世界を自らの力で押し上げて(ここでも吸収は欠かせないです)、世界そのものを広げることができる。……その世界が人にきちんと認められるかどうかはまた別の話になってきますが笑

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