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#60 ”マイナス”は小栗さん、”プラス”は本田さん

このタイトルを見て、その意味が分かる人は、かなりの歴史マニアか、本田宗一郎ファンに違いないと思います。(私は両方です。)

 さて、ものづくり産業で”産業の塩”とも呼ばれる、必要不可欠なものの中に「ねじ」があります。幕末に勝海舟と一緒に海外視察に行った小栗上野介(おぐり・こうずけのすけ)が、マイナスねじを持ち帰りねじの国産化が始まったそうです。では、「プラスねじを持ち帰り国産化の始まりを拓いたのは?」、そう、それが本田宗一郎さんだそうです。宗一郎さんには逸話がありすぎて、ここで紹介しきれません。創業後間もないころに、無謀(?)大胆にも海外のバイクレース(マン島TTレース)に参加して世間を驚かせました。その視察海外旅行で、プラスねじを拾って持ち帰りニコニコ顔だったという逸話が残っています。

 海外の先進的なモノづくりを見て、(ねじを持ちかえり、国産化する)というその発想がすごいと思います。ふつうは、完成品を持ち帰ってみんなに見せて喜んで終わりなようですが、作るために必要不可欠な部品作りを自分で始めようとするところが、小栗さんと本田さんの共通するスゴイところですね。

 以前、鎌倉の鶴岡八幡宮の大通りを歩いていたら、歴史好きの店長さんが小物を商う面白い店がありました。”商売気”があまりなく、歴史の豆知識をいろいろ教えてくれました。たぶん30分は二人で歴史談義をしていました。買うことを勧めずに、豆知識を披露されるので、こちらもついつい豆知識で”応戦”して楽しい時間が過ぎました。その中で、オリジナルの小栗上野介とマイナスねじがデザインされた布製バッグを見せてくれて、私はそれを知らなかったので”ヘェー”と驚きました。店長さんは上機嫌になり、”すごいでしょ!”と、買うことを勧めずにニコニコです。こちらも”隠し財宝”である豆知識ライブラリから、「プラスねじは本田宗一郎さんですよね。」と応戦すると、「エッ!」と驚かれました。(えっ、こっちのエピソードの方が有名じゃないかな?)とこちらも驚きました。「イヤー、このねじだけでこんなに盛り上がったのは、あなたが二人目ですよ。」と言われたので、「もう一人はどんな人ですか?」とついきいたところ、「”ねじ協会”の関係者の人でした。」と驚きの回答を得ました。(ねじ協会の関係者が、小栗上野介とマイナスねじのバックと出会う確率はとても低いのでは?)と心の中で不思議がったものです。ちなみに、私が買ったのは、織田信長がドリップコーヒーを飲むデザインの布製バックです。海外からの輸入ものが好きだったであろう信長なので、きっとコーヒー豆を挽いて香りを楽しみながら飲んだに違いないと店長仰ってました。

 今でも時々、コーヒー豆を自分で挽いて飲むとき、あの信長のコーヒーかばんを見ながら、鎌倉の店長さんを思い出しています。あの人も、本田さんのように、仕事しながらニコニコ顔でした。やはり、仕事はニコニコしながらするのがいいですね。 ニコ (⌒∇⌒)