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#104 ”不便”を設計

 視覚的な意匠や物理的な空間を設計することに対して、人の移動(動線)を設計することは、人と人のコミュニケーションをデザインすることになると思います。

不便は悪者?

 一般的に世の中では、”効率が良い”・”無駄が少ない”・”使いやすい”・”便利”であることは、どれも「正しい価値観」として受け入れられていると思います。そしてほとんどの場合、この「反対のモノは、避けるべきモノ」として扱われていると思います。

計画した不便さ

 私が20年前に自分の家を建てるとき、予算を抑えたかったので、自分の気に入る間取りをハウスメーカーさんの図面集の中で探したのですが、見つかりませんでした。仕方なく、基本設計は出来上がっていて、間取りレイアウトだけ変更可能なプランにして建てることにしました。

 こだわったのは、「不便な家」でした。「個人個人が快適」で使いやすいということは、「家族としての交わりの少ない家」になる可能性が高いと考え、「わざわざ家族の前を通ることが必要な」”不便”な家の間取りを設定しました。

(1)具体的には、玄関を入ると必ず居間を通り抜けないと家の中に入れない。(2)トイレは1階のみ。(3)TVは1階の居間のみ。(4)1階と2階に畳の部屋を1つずつ。(5)居間はできるだけ広く、6人用の机を置いてもゆったり使えること。

メーカーさんからの説得工作

 打合せをしていたら、ハウスメーカーの方から、かなり何度も確認をされました。「本当に、この間取りでいいんですか?」と、くどいくらいでした。(こんな間取りを言う人は、今まで聞いたことがない。)というのです。その理由は、

(1)玄関が建物中央にあると、左右の部屋の一方を客間にして、中央に階段を設けると廊下面積が減り、部屋の有効面積が広がる。(2)子供が大きくなると学校の登校前にトイレが”渋滞”する。老後に寝たきりになると、各階にトイレがあるととても便利。(今どきの建売で、トイレが1階のみというのがほとんどない。)(3)子供部屋にTVが一つずつあるのがほとんど。(4)畳は客間で、ほとんどはフローリング(板の間)。

これらは、ハウスメーカーさんの図面集を、たくさんの種類にしないための”効率の良い”コメントだと感じていました。お金を払う施主側の意向をくみ取るようにバラエティ満載な図面集を期待していたのに、トイレの水回りが上下階同じ場所に”必ず”作るなんて、????不思議に感じました。

目指したのは”お披露目”と、”籠城””脱出”ができない家

 私が目指したのは、次の家でした。(1)友達を連れてきたり、どこかへ出かけたりするときに必ず家族の前を通り、顔色・体調を必ず1日に一度は見える家。(2)トイレに行きたいという生理現象はだれも止められないので、将来どんなに家族でケンカをしても、トイレに来るために一階に必ず降りてくる必要を設計しておけば、仲直りの糸口ができる可能性がある家。(3)一人一台のTVより、家族で一台のTVにすることで共通の話題が話せる家。チャンネルの優先権を互いに譲りあう家。(4)畳の部屋で手足を伸ばして天井を見ながらくつろげる家。(椅子の上より畳の上に座る方が、断然部屋が広く感じられる。)(5)4人家族がそれぞれの好きなことを、居間のテーブルの上で同時にすることができる家。

 さて「不便を設計した」この我が家の成果、あったのでしょうか?この家でない家に住むという”比較実験”をしないと検証はできませんが、概ね(おおむね)、ネライは達成できたと思っています。家族に聞いてみないと分かりませんが、、、。ちなみに、我が家のTVリモコンの優先権の最下位は私でした。「お父さんが、TV一台の家を設計したんだよね。」と言われると、返す言葉がいつもありませんでした。(そう、自分の言いたいことばかりが通らないという社会の縮図を、子どもたちに「身をもって」教えていたのです。笑)

(写真:京大生協で売っていた「素数ものさし」。ちょっと長さを測ろうと思うと、頭も一緒につい使います。”不便”が”有益”な、これぞまさに”不便益”。)