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【大東亜戦争に対する世界の評価~欧米支配からの解放をもたらした日本の功績~】

自存自衛と大東亜の解放と共栄を掲げて戦われた日本の大東亜戦争は、アジアの諸国民や各国の有識者からどのように受け止められているのだろうか。

❀ タイ・元首相ククリット・プラモード
―1955年12月・「サイヤム・ラット」・タイトル「12 月 8 日」
「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、われわれにこの重大な思想をしめしてくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。
更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。
我々は、この2つの日を忘れてはならない。」

❀ タイ・元副首相・元外相タナット・コーマン
「あの戦争によって、世界のいたるところで植民地支配が打破されました。
そしてこれは、日本が勇戦してくれたお蔭です。
新しい独立国が、多くの火の中から不死鳥のように姿を現しました。
誰に感謝を捧げるべきかは、あまりにも明白です。」

❀ タイ・元国軍事顧問国・陸軍大尉ソムアン・サラサス(象はな子の寄贈者)
「日本は敗れはしたが、アジアのプライドをかき立てた。
戦争が始まったとき、日本は負けるという不安もあったが、タイは日本についた。
私は、日本が負けても、英米に対してアジアもこれだけのことができるという証明になると友達と話した。」

❀ マレーシア・元上院議員ラジャー・ダト・ノンチック
1989年・題「日本人よ ありがとう ―マレーシアはこうして独立した」
「私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。
日本軍は、永い間、アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないと諦めていたアジアの民族に、脅威の感動と自信を与えてくれました。
永い間眠っていた『自分達の祖国を自分達の国にしよう』という心を目醒めさせてくれたのです。
私たちは、マレー半島を進撃して行く日本軍に歓呼の声を上げました。
敗れて逃げていく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地にしないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を行ってくれたのです。
私もあの時に、マレーシアの1人の少年として、アジア民族の戦勝に興奮し、日本人から教育と訓練を受けた1 人です。
私はいまの日本人に、アジアへの心が失われつつあるのを残念に思っています。これからもアジアは、日本を兄貴分として、共に協力しながら発展してゆかなければならないのです。
ですから、今の若い日本人たちに、本当のアジアの歴史の事実を知ってもらいたいと思っているのです。
先日、この国に来られた日本のある教師は、『日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べにきたのだ』と言っていました。
私は驚きました。私は、『日本軍はマレー人を1人も殺していません』と答えてやりました。
日本人が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。
そして、日本の将兵も血を流しました。
どうしてこのように今の日本人は、自分達の父や兄が遺した正しい遺産を見ようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう。
これは本当に残念なことです。」

「かつて日本人は親切で心豊かでした。アジアの国の誰にでも自分の事のように一生懸命尽くしてくれました。
おおらかで真面目で希望に満ちて明るかった。

戦後の日本人は自分達日本人の事を悪者だと思い込まされた。
学校でもジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから、真面目に自分達の父祖や先輩は悪い事ばかりした残虐無情なひどい人達だと思っているようだ。
だからアジアに行ったらペコペコ謝って、『私達はそんなこと致しません』と言えばよいと思っている。
そんな今の日本人が心配だ。本当にどうなってしまったんだろう。
日本人はそんなはずじゃなかったのに。

本当の日本人を知っている私達は今、いつも歯がゆくて悔しい思いがする。」

❀ マレーシア・歴史学者ザイナル・アビディーン
「日本軍政は、東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に、大きな〝触媒″の役割を果たした。」

❀ マレーシア・医師・元首相マハティール・ビン・モハマド 
「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪を続けた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。
日本が来たことで植民地支配から解放され、近代化がもたらされた。」

1992年10月14日欧州・東アジア経済フォーラムにて
「日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。
質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。
まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。
東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。
そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功をとげた。
東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。
いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
もし日本がなければ、世界は全く違う様相を呈していただろう。
富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。
北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。」

❀ マレーシア・元外務大臣トゥン・ムハンマド・ガザリ・シャフィ
1988年7月19日・懇親会の席上において、日本の代議士が先の大戦について謝罪したことを受けての発言
日本、赤坂プリンスホテルにて
「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本は良くやったではないですか。
マレー人と同じ小さな身体の日本人が、大きなイギリス人を追っ払ったではありませんか。
その結果、マレーシアは独立できたのです。
大東亜戦争なくしては、マレーシアもシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ。」

❀ インドネシア・思想家、軍人、政治家アリ・ムルトポ
1973年4 月・フィリピン、マニラにて
ASEAN諸国の安全保障会議で、韓国代表が「日本帝国主義が 30 年間も韓国を侵略したために、防衛体制が確立できなかった。その責任は日本にある。」との演説に対し、インドネシアのムルポト将軍は次のように述べました。
「朝鮮人は自ら戦わなかったくせに責任を日本に押し付けるとは何事か。
もしアジアに日本という国がなかったと仮定してみよ。
1899年の義和団事件以来、ロシアは満州に大軍を駐留させ朝鮮を狙っていた。
朝鮮が戦わないから日本が戦った。これが日露戦争だ。
朝鮮は日本が敗けると思って裏ではロシアと繋がっていたではないか。
もし日本が戦わなかったら朝鮮はロシア領になっていたことは間違いない。
ロシア領になっていたのは朝鮮ばかりではない。
支那も北半分はロシアが支配し、揚子江以南はイギリスとフランスが支配しただろう。
遅れて登場したアメリカはどうやって支那大陸に食い込むか企んでいたのだ。
そもそもアジア混迷の遠因は支那にある。
支那はアヘン戦争でイギリスの不当な要求に屈して簡単に降参してしまった。
その時支那はなぜ徹底して戦わなかったのか。
“中華”と誇る支那が不甲斐なく敗けたから日本が大東亜戦争を戦わざるを得なくなったのではないか。
この責任は支那にある。
そもそもアジアで戦ったのは日本だけではないか。
もし日本という国がなかったらアジアは半永久的に欧米植民地勢力の支配下に置かれていたはずである。」

「日本はアジアの光である。
大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、アジア人の誇りである。
今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら韓国が一番困ると思う。
もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人の成功は容易である。
つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。
経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。
インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。
つまり、我々インドネシア人は『日本はなにもしてくれなくてもよい』と考えている。
日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、アジア・アフリカにつくしていると考えている。
だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。」

❀ インドネシア・元陸軍中将・元第三副首相アラムシャ
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの投智なスパイ網と、強靭な武力と、苛酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。
インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である。」

1993年7月・大統領特使として来日した際、福田元首相や塩川自治大臣などとの会見にて
「大東亜戦争が長引いたばかりに労務問題などで、ご迷惑をおかけしました。」と述べたのに対する返答
「とんでもない。
むしろ大東亜戦争を途中でやめたことが残念であったと思っている。

あと5年はやるべきであった。これは私だけの意見ではない。
アフリカに行けば、みんなから聞く意見だ。
中東に行けばみんなから聞く意見だ。
なぜアフリカがあんな状態なのか。
我々と同じく40数年前に独立すべきであったがそうできなかったからだ。

あそこはオランダ人とイギリス人とユダヤ人が握っているから、どうしようもない。
もし日本があと5年大東亜戦争を続けていたならば、恐らく中東まで進出していただろうから、中東諸国ももっと早く独立できたであろうし、日本軍の大変な勢いがアフリカにも伝わって、アフリカ諸国もインドネシアのようにもっと早く独立できただろう。
そうすれば、南アフリカも現在のように苦しまずに済んだはずなのだ。」

❀ インドネシア・元復員軍人省長官サンバス
「日本がやった基本的なことは、すなわち最も大きな貢献は、われわれに独立心をかき立ててくれたことだ。
そして、厳しい訓練をわれわれに課してくれたことだ。
日本人はインドネシア人と同じように苦労し、同じように汗を流し、同じように笑いながら、われわれに対して、『独立とは何か』『どういう苦労をして勝ち取るものか』を教えてくれた。
これは、いかに感謝しても、感謝し過ぎることはない。
さらにインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。
日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」

❀ インドネシア・元情報相・元国軍指揮官ストモ 通称ブン・トモ
1957年の来日の際
「われわれアジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。

それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
われわれは白人の弱体と醜悪ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗北したとき、『これからの独立戦争は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる』と思っていたが、独立は意外にも早く勝ちとることができた。
そもそも大東亜戦争は、われわれの戦争であり、われわれがやらなければならなかった。
そして実はわれわれの力でやりたかった。
それなのに全て日本に背負わせ、日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。誠に申し訳なかった。」

❀ インドネシア・イスラム法学者・元首相モハマッド・ナシール
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
大東亜戦争というものは本来なら、私たちインドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」

❀ インドネシア・元国防治安大臣・元陸軍参謀長アブドゥル・ハリス・ナスティオン
「独立できた要素の第一は日本軍が植民地政治体制を粉砕したことです。
第二は、日本軍の猛烈な軍事訓練です。
日本軍は大変立派なことをしてくれました。
日本は歴史に残ることをしてくれました。
誰も変えることのできない真実です。」

❀ インドネシア・初代副大統領モハマッド・ハッタ
「資源の宝庫であるインドネシアは疲弊した宗主国オランダにとってどうしても手放せない植民地だった。
オランダは独立の腹いせに多額の債務をインドネシアに要求した。
これを戦後賠償の形で肩代わりしたのが日本だった。」

❀ インド・独立運動指導者ヘランボ・ラル・グブダ
「東京裁判は、二十一世紀に入れば必ず多くの亜細亜の国々によって見直されるであろう。
そして第二回東京裁判が実現する。
その頃は亜細亜も世界も良識を取り戻して、総てが公正にして真理の法の前に平等に裁かれる。
この時こそ東亜積年の侵略者であった欧米列強の指導者たちはこぞって重刑に処せられ、かつて重罪を被った日本人就中A級戦犯の七柱は一転して全亜細亜の救世主となり、神として祀られる日が来るであろう。
またそのようになるべきである。」

❀ インド・第2代大統領サルヴパッリー・ラーダークリシュナン
1969年、日本経済新聞
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。
驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」      

❀ インド・国民軍大佐ハビブル・ラーマン
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは、日本が育んだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。
これらの国々はすべてが日本に対し感謝の念を抱いているのである。」

❀ インド・弁護士会会長グラバイ・デサイ
1946年・デリー軍事裁判に参考人として召還された機関長藤原岩市氏らへの挨拶
「このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。
しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。
殊に優秀な貴国国民においてはである。
私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。
インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。
インドの独立は日本のお蔭で30年早まった。
これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。
インド4億の国民は深くこれを銘記している。
インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。
他の東亜諸民族も同様である。」

❀ インド・極東国際軍事裁判判事ラダ・ビノード・パール(判事の中で唯一人「全員無罪」を主張した意見書を提出)
1952年11月5日、広島高等裁判所での講演
「要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と刻印する事が目的であったに違いない。
私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。
この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。
あやまられた歴史は書き換えなければならない。」

❀ スリランカ・第2代大統領ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ
1951年、サンフランシスコ対日講和会議にて日本に対する戦時賠償請求を放棄する演説より
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。
それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。
往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。
私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。」
ジャヤワルダナ氏は90歳での死去に際し、「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、角膜を提供。左目の角膜は日本人の女性に移植がなされました。

❀ ミャンマー・元外相・元首相ウー・ヌ
1943年8月1日・独立演説より
「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされた ある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ、生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。
そして日本は、人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。」

❀ ミャンマー・元国家元首バー・モウ
「ビルマの夜明け」
「真実のビルマ独立宣言は、1948年1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリーの率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。
歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。
しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。
もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、商機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。
日本のために惜しむのである。」

「独立宣言」より
「約50年前ビルマは3回にわたる対英戦争の結果、その独立を失えり、
英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。
ビルマ人はアジアを結合せしめ、アジアを救う指導者を待望しつつありしが、遂にこれを大日本帝国に発見せり。
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり。」

❀ ミャンマー・民族主義運動家・作家タキン・コウドー・フマイン/本名ウー・ルン
「私の人生で今日ほど幸せだったことはなかった。
わが国土から英国が追放され、偉大な日本がアジア民族を解放してくれた。
我々の古代の遺産と国土、文化、宗教を取り戻してくれた。
私は死ぬ前にこの幸せな日を送ることができた喜びに泣いた。」

❀ シンガポール・首相ゴー・チョクトン
「諸君!」1993年7月号
「日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。
日本の敗戦後15年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された。」

❀ イギリス・歴史学者アーノルド・J・ジョゼフ・トインビー
1956年10月28日・「オブザーバー」
「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」

1968年3月22日・「毎日新聞」
「英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。
それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。

なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。」

❀ イギリス・社会活動家・歴史家ハーバート・ジョージ・ウェルズ/H.Gウェルズ
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種の平等をもたらし、世界連邦の基礎を築いた。
戦後の日本人は、戦いに敗れたとはいえ、西欧の植民地支配を崩壊させて世界史の流れを大きく変えたという誇りが全く欠けている。」

❀ アメリカ・東京裁判の最高責任者マッカーサー
1951年5月3日・米国上院軍事外交合同委員会にて
「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛がない、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。
そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしもこれらの原料の供給を断ち切られたら、1千万から1千2百万の失業者が発生するであろうことをかれらは恐れていました。
したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が、安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」

大東亜戦争は日本にとって、自衛のための戦争であったと証言し、1950年10月、マッカーサーは、トルーマン大統領に対し、「東京裁判は間違いであった」とも陳述している。

❀ アメリカ・コロラド大学史学部教授ジョイス・C・レブラ
「東南アジアの解放と日本の遺産」
「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。
いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう1つの可能性として、浮かび上がってきたのである。
民族主義者は、日本占領期間中に日本軍により身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。
そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということを、イギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。
さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。
日本軍敗走のあとには、二度と外国支配は許すまいとする自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。
東南アジアの人々はいまや武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。」

❀ アメリカ・外交官ジョージ・ケナン
「日米戦争の帰結として」
「アメリカは、日本さえアジアから駆逐すれば、アジアにおけるアメリカの経済的支配権を樹立し、経済的利益を確保できると目論んで、対日戦を貫いてきた。
ところが第2次世界大戦が終わりに近づき、戦後アジアの甚だしい混乱が予想されるようになると、そうした当初の予想はかなり楽観的で無知であることが次第に明らかになっていった。
日本の敗戦はアジア最大の軍事勢力の喪失を意味していた。
日本国軍が消滅した後のアジアには巨大な軍事空白が生まれ、その空白を埋めるかたちでソ連軍の侵入が起こることが懸念された。
アメリカが期待した中国は国内紛争のためにほとんど頼りにはならなかった。
またアジアにおける植民地宗主国である英、仏、蘭などの同盟国も戦争によって疲弊し、従来のようなアジアへの支配力の発揮は困難と考えられた。
アメリカにとって、戦後のアメリカと同盟諸国の安全をいかに保障するかは極めて重要な問題であったが、日本の敗戦によってアジアにおけるアメリカと同盟諸国の安全保障は重大な危機にさらされ、皮肉にも共産主義及びソ連に対抗しうる勢力はアメリカただ一国だけとなったのである。
中国や朝鮮半島における日本の存在を駆逐したが、結局アメリカは『ほとんど半世紀にわたって朝鮮および満州方面で日本が直面し、かつ担ってきた問題と責任をそっくり引き継ぐ』ことになった。」と戦後、述懐し、戦争をする相手を、アメリカは間違えたと発言。
また、マッカーサーの占領政策について、「それは日本社会の弱体化を画策している、そんな不思議な目的のためになされているとしか見えない。」と批判しました。

❀ アメリカ・外交官ジョン・ヴァン・アントワープ・マクマリー
「マクマリー・メモランダム」
「1931年に満州事変が勃発するまで、日本政府は約束に応じるために非の打ち所のない善意の努力をした。
中国が九カ国条約により保障された彼らの国際的地位を利用して、外国との条約が規定した法的な枠組みを組織的に破り、そうすることで日本の怒りを招いた。
アメリカは、ワシントン体制下の諸条約に従おうとする日本の努力を重視すべきだった。
アメリカは中国と緊密に協力するよりも、日本の大陸進出をある程度容認すべきだ。
これを阻止した場合、必ず日本との戦争が起こる。」と予想していた。
「アジアの国々の中で日本のみが単独で行動しうる持続的力を持つこと」そして「日本が国際環境から受ける影響の大きさ」を認識し、世界の平和を維持するには日本を安全な条約によって国際システムにつなぎとめ、また日本に国際社会の中で最高の位置を与え、不可分の一員としておかなければならないと考えていた。
アジアの真の問題は日本にあるのではなく、むしろ列強間の国際関係の全体構造にあると捉えており、たとえ日本を打倒しても平和が訪れることはなく、むしろ事態はいっそう困難なものになるであろうと予想し、そのことを危惧していたのである。
マクマリーの覚書は国務省によって直ちに記録保管所で保留され、注目されないまま葬られ、アメリカは対日戦へと全力で舵を切った。
1992年にはペンシルバニア大学の歴史学者アーサー・ウォルドロンが同覚書の内容を整理した「平和はいかに失われたか(How the Peace was Lost)」を出版し、アジアの平和が失われたのはアメリカの判断ミスであったと綴っている。

❀ アメリカ・経済学者・実業家ビル・トッテン
「大東亜戦争によってアジアのみならず、アフリカ諸国までようやく独立した。
世界史の大転換であり、いくら評価しても、し過ぎることはない。
その中でまだ独立していない国が一つだけ残っている。
その未独立の国は、外国製の憲法を今もありがたがっている。
隣国から教科書の書き直しを要求されたら、オタオタしながら従っている。
日本人にとって最も神聖な靖国神社だが、首相が参るべきかどうかをめぐって、内輪喧嘩をしている。
第一、国家の総力を挙げて戦った自国の戦争に『侵略』のラベルを貼り、それを首相談話に盛り込み、教科書にまで書き連ねている。
こんな国が世界のどこにあるか。」

❀ アメリカ・ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士ジョージ・S・カナヘレ
1977年・「日本軍政とインドネシア独立」
「日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事のなかで、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。
このような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。
インドネシア人は、オランダに日本が与えた止めの一撃を目撃し、これまで抱いていた全能の白人大君主という幻想をさっぱりと脱ぎ捨てることができたのである。」

❀ アメリカ・中華民国学者オーウェン・ラティモア
「日本が立派にやり遂げたことは、欧米のアジアにおける植民地帝国の十九世紀的構造を破壊したことだった。」

❀ ドイツ・ボン大学オットー・カロン教授
大東亜戦争の敗戦後の日本についての讃辞
「私は戦争に敗れた日本をいっそう尊敬する。
心ある外国人は敗戦によって日本の本当のよさを知り、日本をあらためて見直した。
敗戦の混乱の中で、国論を1つにまとめて、一定の方向に指導することは不可能に近い。
これが世界の歴史が教えている通常の悲劇である。
ところが日本の場合はどうか。
事実は意外な姿になって現れた。
全国民の思想を玉砕から降伏へと、一時にして転換せしめ、整然として世論がまとまった。
このような不思議は、世界の歴史に類例はない。
その不思議な力は天皇の放送であった。それを国民は整然と聞き分けた。
これは厳然たる歴史の事実である。
この陛下と国民とは自ら意識すると否とに関わらず、客観的にはただ誠に偉大というほかはない。
『日本人よ、よくぞでかした』と私は讃辞を贈りたい。
これは日本の誇りであるとともに、人類の誇りである。
これこそは、日本の美しい歴史に養われた偉大な民族性の実証であろう。」

1950年・「天皇の真実」
「ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。
私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。
殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。
だから日本の天皇も(敗戦後)外国に亡命すると思っていた。
しかし、そんなことは聞かない。
だからすでにこの世におられないと思っていた。

ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。
天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。
しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、 国民を慰めておられる。
陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。
平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。
それでも暗殺される王様や大統領がある。
それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。
国民を慰める。
何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。
こう思って映画を見ていた。
しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。
こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。
われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている」

❀ フランス・外交官・劇作家・詩人ポール・クローデル(元日本駐在仏大使)
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。
それは日本人だ。
あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にはない。
どの民族もこれだけ急な発展をするだけの資格はない。
しかし、日本にはその資格があるのだ。」

❀ フランス・元大統領・陸軍軍人シャルル・アンドレ・ジョセフ・マリー・ド・ゴール
「シンガポール陥落は白人植民地主義の歴史に終焉をもたらした。」

❀ エジプト・大統領ガマール・アブドゥル=ナーセル
「アジアには日本がいた。 アラブには日本がいない。」

❀ 韓国・韓日文化研究会創立者・朴鉄柱
「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争、この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ ≪聖なる戦争≫ であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものは直ぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

❀ 中国・中国作家協会全国委員会委員、北京市青連委員・作家・劉震雲
「温故一九四二(人間の条件1942)」日中戦争中
「干ばつに見舞われた河南省の人々を救ったのは、日本軍だったのです。
1942年、河南省など華北一帯は激しい干ばつに襲われ、同省では約300万人が餓死しました。」
同省の農村出身の劉氏は郷里を取材して歩き、資料を調査して、当時の飢餓 地獄の惨状をルポルタージュにまとめました。
作品が異色なのは、「飢えた人々を助けたのは国民党政府ではなく、いわゆる、「侵略者」である日本軍が放出した軍糧だった。そして、6万の日本軍は30万の中国軍を撃滅した。」という史実を明らかにし、「敵の食糧」を食べて生き延びた人々の選択を肯定したことでした。

❀ オランダ・アムステルダム市長、内務大臣エドゥアルト・ヴァン・ティン
1985 年日本傷痍軍人会代表団が、オランダを訪問した際の、市長主催の親善パーティでの歓迎の挨拶
「あなた方日本は、先の大戦で負けて、私どもオランダは勝ったのに、大敗しました。
今、日本は世界 1、2 位を争う経済大国になりました。
私たちオランダは、その間屈辱の連続でした。すなわち、勝ったはずなのに、貧乏国になりました。
戦前は、アジアに本国の36倍もの面積の植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で本国は栄耀栄華を極めていました。
今のオランダは、日本の九州と同じ広さの本国だけになりました。
あなた方日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。
あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救い出すという人類最高の良いことをしたのです。
なぜなら、あなたの国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、今、大戦の目先のことのみ取り上げ、或は洗脳されて悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って、真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は私たち白人が悪いのです。100年も200年も前から、競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力化に置きました。
植民地や属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大にして崇高な理想を掲げて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。
本当に悪いのは、侵略して、権力を振るっていた西欧人のほうです。
日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。
すなわち、日本軍は戦勝国のすべてを、東亜から追放しました。
その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。
日本の功績は偉大です。
血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。
自分を蔑むのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。」

❀ オーストリア・経営学者ピーター・ファーディナンド・ドラッカー
「断絶の時代」
「軍事的には、日本は第二次大戦において、歴史上もっとも決定的な敗北を喫した。
しかし、その後の推移では、政治的に敗北を喫したのは、西洋だった。
日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。
その結果西洋は、アジア、ついでアフリカの西洋化された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるをえなくなった。」

現在、世界には196の独立国家があり、そのうち非白人国は112か国です。
これらの国のほとんどが大東亜戦争の歴史無くして、独立できなかった植民地支配されていた国々です。
日本は敗戦し、戦場になり、被爆国になり、支配も洗脳もされましたが、それでも奮起し、発展し、資金援助や技術支援を自国と分け隔てなく、敵味方なく、世界中の国々に行ってきました。

その間に多くの国々は、国土、文化、歴史、誇り、自由を取り戻し、500年に渡る欧米の支配から解放され、独立し、自立国家の体制を作り上げ、結果的に大東亜共栄圏は築きあげられたのです。

アジアの同胞たちは言っています。
「おい日本よ。いい加減WGIPの洗脳から目を覚まして、経済発展を先導してくれ。」と。

そして、日本は天岩戸から姿をあらわします。
次の「地球を守る」という崇高な目的を掲げて。
私たちが再起する目的は、過去やくだらないプライドや欲のためではない。

今の相手は自然です。
日本が知識と知恵と経験を活かす先は、自然災害の脅威から世界を守ること。

100年後、日本が何が言いたかったのか、何を成したのか、
何人かの有識者には理解され、評価されるのかもしれない。

未だに人類同士の殺し合いをし、欲と数字に踊らされ、地球の中で領土領海を奪い合い、本当の相手が見えていない人には解らないかもしれないが。


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