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にんじんしりしり、移住から1ヶ月

にんじんしりしり

基本的に料理は得意でもないし、面倒なことが苦手でせっかちな性分なので、手間のかかる料理は避けてきた。誰かのために作る必要があるならまだしも、自分しか食べないのだから手間は最大限に省きたい。ここだけの話、鍋ごと食べる時だってある。(洗い物を最小限にしたい笑)

沖縄に来て今日で1ヶ月。この1ヶ月、大きな変化の中で自分の内面も大きく揺れた。環境の変化はどうしたって慣れるまで不安だ。知ってる人がいるわけでもない、頼る人が近くにいるわけでもない、そんな環境の中での未知の暮らしは不安しかなかった。不安になると確かなものが欲しくなる。強いものに頼りたくなる。安心が欲しくなる。気持ちがすっかり依存的になってしまっていた。

私には頼りになる駆け込み寺のような存在の先輩がいる。自分ではこの状況を超えられないと思い、話をする機会を作ってもらった。自分の状況を話し、聴いてもらうことで落ち着いたし、何より先輩からもらう言葉やアドバイスがありがたかった。依存的になっていた私は「ない」ものしか見えてなく、「ある」ものが見えていなかった。そこをあらためて教えてもらえて、あったのだと気づくことで安心が生まれる。地に足が着く。落ち着く。移住してからの不安は、話を聞いてもらったことで徐々に落ち着いていった。

不安だから怖くて、早くなんとかしたくて、自分でコントロールしようとした。だけどそれはあまりうまくはいかない。自分で下手に引っ掻き回さないことが大事。「まともに働かねば、食っていけない」と、まともな私が私に忠告する。途端に焦り出す。だけど心の奥底では、今はこのペースのこの生活を送ることが正解だし、何より安心を感じている。物事には時期と流れがある。メッセージはあらゆるところから飛んでくる。「まとも」を選択しないことは怖いけれど、私は今は「まとも」は選択しない。

今は4時間だけ仕事をして、あとは自由に過ごしている。時間があるということで、ここは丁寧に料理をすることにチャレンジしてみようと思い、先のにんじんしりしりを作ることにした。なぜ丁寧な料理がにんじんしりしりなのかというと、人参を細切りにするからだ。細切りは私にとっては立派で丁寧な作業の一つだ。(千切りもめんどくさいと思う人間なので、恥)この1週間でもう3回作った。私の住む村は、人参が特産らしく、立派な人参が安価で手に入るので家計にも優しくありがたい。

そんなこんなで、今日で1ヶ月の沖縄移住生活。朝起きれば、牛の鳴き声と鳥の鳴き声が聞こえてくる。今までと畑違いの仕事や新しい人間関係、言葉の違い、風土や文化の違いでの戸惑い。でもちょっと車を走らせれば綺麗な海や、立派なショッピングモールもある。近くには美味しいパン屋さんやベーグル屋さんもある。来たばかりの頃は見慣れなかった赤い瓦の建物も、少しずつ「私の」地元の風景として自分の中に馴染んできた。戸惑いながらも、少しずつ環境に馴染んでいく自分がいる。

なんのために移住に至ったのか、そもそもなぜ沖縄にいるのか、私は自分でもよくわかっていない。その答えを、これから探していくんだと思う。これから先、いろんな人や出来事に出会っていくのだろう。新しい挑戦は怖いけれども、全てはネタだと思えれば、少しは面白おかしく挑戦できるような気がしている。

沖縄の海のような、やちむん