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人間は死んだらどうなるのか、ずっと考えていた。

小学生のころ、人は死んだらどうなるのかひたすら考えて、鬱になっていた。

自分の意識が消えてなくなる。

そう考えただけで世界が丸々ひっくり返るような感覚がして、今何のために生きているのか分からなくなるのだった。


それから約10年が経って、私は漠然と生まれ変わりを信じるようになった。

それは映画やドキュメンタリーを見た影響からではない。

自分の中にたくさんの自分が混在していて、それが今の自身の意識を構成している感覚があるからだ。

例えば私は男性だが、女性的なものの考え方をすることもあるし、海外旅行に行ったときに「なんかここ来たこととあるな」「雰囲気にすぐ馴染めるな」といった感覚に襲われることがある。

そういった時、生まれ変わりの概念そのものを肯定すると自分的にしっくりくるのだった。

しかし生まれ変わりを肯定してしまうと、困ったことが一つある。それは、生まれ変わる前の意識はどこに行くのだろう?といった疑問が生まれるのだ。

人は何回も生まれ変わるとしたら、その都度前世の記憶は上書きされるということになる。

となると、それははじめから生まれ変わりなど存在せず、死んだ瞬間ブラックアウトという考え方と、結局行きつく先は同じなのである。


人の人生は五億年ボタンと極めて似ているかもしれない。

ボタンを押すと百万円が手に入る。しかし、五億年の間何もない空間に飛ばされる。五億年経つと元の世界に戻れるが、ボタンを押した後の五億年間の記憶は消去される。

つまり、ボタンを押した直後、手元に百万円があり、その間の記憶はなにもないというわけだ。


人の人生は苦痛に満ちた五億年みたいなものだ。死んだあとにこの世の真理を知れたとして、その記憶は生まれ変わる瞬間またデリートされる。

一番の相違点は、五億年ボタンと違って押す前の記憶、すなわち生前のすべての記憶が残らないということなのだけれども。


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