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浴衣とスニーカー。


浴衣にスニーカーは違和感を覚える方がまだまだ多い。
その多くの要因は「見慣れてない」からだと思う。

そもそも浴衣という物は和装の中では一番カジュアルな部類の物だ。
元々は湯屋で着るものでバスローブに近い。昔の人(江戸時代末期の頃とか)は「そんなもので外をうろつくなんて…」と顔をしかめたとかなんとか。

勿論時代が進むにつれて普段着として着れるように浴衣の格式も少し上がったり、綺麗に着る為にある程度こういう着方をしましょうという「決まりごと」が出来ていって今に至るのはわかる。

しかし現在の浴衣は、ほぼお祭り用の衣装のような捉えられ方をしていて、
本来もっと自由でラフな服だったはずなのに「伝統」や「風情」を押し付けられる物になっているのは少し行き過ぎのような気がする。

欧米のフォーマルスーツのように和装にも紋付袴や振り袖のようにTPOに合わせた決まりごとが存在する服装がある。これはホストが居て、ゲストが居て、歴史や品格、礼のある場所であるから決まりごとがあるのは当然であり、そういうところでは「伝統」が重んじられるのは当然である。

しかし浴衣に関しては洋服で言うところのTシャツにジーンズのような物である。

よく言われる「足元をスニーカーにするなら浴衣じゃなく洋服でいいじゃん?」という疑問がある。

しかしそれこそ和装はこうでなければならない…という「衣装」的な固定概念なんだと思う。洋服に下駄や草履がおかしくないように、またその逆もカジュアルシーンにおいてなんら間違いと言える決まりごとは無いのである。

大体の場合、浴衣にスニーカーは見慣れていなくて違和感があると、伝統や決まりごとから外れていると脳が錯覚してしまいがちだ。そう錯覚や思い込みなのである。実際は浴衣に決まりごとといったら合わせ位で、他には絶対こうでなければならないという決まりごとを守らなければならない程の格式のある服ではない。もっと庶民の為の気軽な服なのだ。
だから「おかしい」と思うのはそれは見慣れない違和感やただ単に個人の好みでしかないのだ。

勿論個人の好みで「浴衣にスニーカーは嫌い」というのは当然あって良いと思う。
洋服でもよくあることだ。しかし浴衣にスニーカーを「伝統」や「格式」を持ち出しておかしいと攻撃するのはそれこそ浴衣の本来の姿からはもはや離れたものではないだろうか?

個人的には浴衣に草履や下駄は確かに日本的な物や夏を身近に感じられて良いと思う。

しかし実際に気軽に浴衣を着るとなると昔と今では環境が違い過ぎるのでやはり足元の意識もアップデートする必要がある。

昔と今の違いは移動距離と移動手段の変化だ。
昔はお祭りや花火大会と言えばちょっと歩いて行ける距離に行っていた。それなら下駄や草履で行ける。元々下駄や草履は基本的には近場の履物なのだ。

現代ではどうだろうか?街中では電車を使い、昔とは比べ物にならない位離れたところまで出かけて行く事も多々ある。電車のような不安定な乗り物で人も多い場所に、また場所によっては足元の悪いところに履き慣れない下駄や草履で行くというのは本来あまり良い事ではない。実際鼻緒による擦れなどで水ぶくれが出来て足を痛めてしまう光景もよく見る。歩き方も靴と草履や下駄では違うのだ。

普段から下駄や草履を推奨している環境なら履き慣れているから良いだろうが、現代の日本では殆どの人が洋靴だ。これを伝統的な決まりごとや礼や格式のない浴衣まで下駄や草履にしなさいというのはただ単に上辺だけ型に嵌めているだけに過ぎない。ただ眺めて日本の夏の風物詩を楽しみたい個人的な好みの為に、
いきなり夏祭りや花火大会の時だけ伝統や文化を無理に押し付けるのは子供や大切な彼氏や彼女にはなかなか酷な仕打ちだと個人的には思う。

地方だと車で出かける事も多いだろう。運転するにはやはり下駄や草履では無理なのでやはりスニーカー等の洋履物に履き替える必要がある。

勿論拘る人やファッションを楽しみたい人は現地で下駄や草履に履き替えるというのもアリだろう。

また下駄や草履を昔は日常的に履いていて、メンテナンスしてくれる履物屋も身近な存在であった。鼻緒がキツかったり切れるなどしたら近場の履物屋で気軽に調整したり直してくれたりした。現在はそういう受け皿がそもそも無いのでこれまた無理に「浴衣には絶対に草履や下駄」というのはかなり困難だろう。

という訳で本来の浴衣のあり方を考えて行くと「浴衣にスニーカー」は現代の環境を考えると、とても素直な流れだと個人的には思う。もしくは今後下駄や雪駄のような見た目や浴衣と合わせた時に和としてスニーカーより違和感の無く履きやすい履物が出てくるかも知れない。そこは和装履物業界の努力が必要になるだろう。

勿論浴衣にスニーカーだけでなく、革靴やブーツも上手くまとまっていればかなり良いと思うし、実際ネットでは上手く浴衣とブーツを取り入れている方も多い。

勿論浴衣にスニーカーやブーツが良いとなっても、適当に履いていたらやはりダサいし場合によっては周りを不快にさせてしまうだろう。

そもそも浴衣にスニーカーに嫌悪感を示す人が多いのは先に言った「見慣れない」が大きな要因ではあると思うが、もう一つは悪目立ちしている事もあるだろう。

これは何故かと考えると、大体の場合は着慣れない人が足元に合わせなど考えずに適当にスニーカーを選びがちだからだと思う。

和装や洋服に限らず着慣れてないと服に着られてるような不格好になってしまいがちだ。そうなると余計和服とは違う足元のスニーカーも悪目立ちする事が多い。
往々にして着慣れない浴衣を着る人は「適当に玄関にあった汚れたスニーカー」を履いて出かける事も良くある話。これは本来洋服であってもダサいしデートなんかでも相手に気を遣って身につける物は最低限小綺麗にするのはマナーである。

浴衣にスニーカーやブーツを合わせる場合も出来れば浴衣の色味やデザインとあった物を選び、出かける前は綺麗にして行きたいところ。浴衣に上手くスニーカーやブーツを合わせている人はそういうところを考えているので綺麗にまとまっている。今はSNS等で画像をUPしている人も多いのでそういうセンスの良い着こなしを参考にするのも良いだろう。

長々と個人的駄文を書いたが、そもそも和装に足元は革靴というのも今に始まった事ではない。下手すると明治、大正時代の頃より現代人の方が凝り固まった日本的概念がある場合もある。

また浴衣に限らず洋服は「コミュニケーションツール」でもある。
欧米なんかだと知り合いでなくても「今日は晴れてるね?」なんて何気ない事から会話がはじまるけれど、日本だと「素敵な浴衣ね」で始まる会話も多い。
そこに「浴衣にスニーカーは変だ」「浴衣はこうあるべきだ」なんてネガティブな感情を持ち込まずお互いにポジティブに「浴衣」を通じてコミュニケーションができる環境が増えれば素敵だなと思う。

勿論浴衣にスニーカーのような見慣れない物に対して「違和感」や「嫌悪感」が出てくる事は生きていると多々あるだろう。そういう感情があるのは当たり前だけどそれを「当然」として排除する前にその「違和感」の正体をまずは知って柔軟性を忘れない事がより良い文化の発展や多様性に繋がるのだと思う。


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