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「ふらり。」 #3 ふわふわのハンバーグ

イマジナリーフレンドが100人いる主人公、
学文(まなふみ)のふらり、ふらり小説。


「ジャンボハンバーグ(300g)」

学文はとあるハンバーグに思いを寄せていた。
そのハンバーグは福岡県の久留米市にあるハンバーグである。

最後に食べたのは今からもう7〜8年前になってしまうだろうか?
東京から福岡に旅行がてら何度か食べに行ったものの女将さんが体調を崩されたりでお休みしていて食べられない事もあった。

今回はその学文思い出のハンバーグを十数年ぶりに東京から久留米に食べに行った時の話を記そうと思う。

その洋食店との最初の出会いは学文がまだ幼稚園に上がるか上がらないかの頃。親に連れて行った貰ったのが最初であった。

その当時は蛍川の地にその店はあり今のお店よりも小さかったように思う。

学文はその店に来た時はいつも本棚からスーパーカーの絵本を出して眺めながらハンバーグが来るのを待っていた。

彼は本当にここのハンバーグが好きだった。この店のハンバーグはナイフなどいらない位ふわふわのハンバーグであった。彼はいつもハンバーグにエビフライや魚フライが付いたセットを食べさせて貰っていた。

実は彼はエビフライなどいらないから大きな大きな「ジャンボハンバーグ」が食べたいなと常々思っていた。

しかしいつも注文は父親がしていたし、なんとなく個々で食べる物が取り決められている様な流れで、子供の頃は結局ジャンボハンバーグを頼む事無く、いつしか学文はこの地を離れてしまった。

そこから数十年、この店のハンバーグを食べる機会は無かったが、大人になって東京に移り住んでいた学文は、ある時思い立ってその洋食店のハンバーグを食べに行く事にした。

学文は1ヶ月後、一人連れだって飛行機に乗る為に羽田へ向かった。

なんだかんだで学文の住む杉並から羽田までは乗り換えなど含めて1時間以上はかかる。昔より大分簡略化されたとは言え搭乗手続きや荷物検査も時間がかかり面倒ではあるが仕方がない。

しかし福岡空港までついてしまえば福岡空港は街からかなり近い場所にあるのでかなり気分が楽になる。電車でもバスでも博多や天神まで10〜20分もあれば着いてしまう。

学文は離陸して福岡まで飛行機に乗っている時間より、下手すると羽田に付いてあれこれ搭乗準備や待っている時間の方が長いよな…とモヤッとした気持ちをいつも持ってしまう。

まあとはいえ学文にとって空港はまだまだ非日常的な気持ちを持たせてくれるのも確かであった。
土産物屋を覗いたり、沢山の飛行機が各地から飛んできたり、各地に飛んできたりする様を見ながら過ごして搭乗案内を待った。

学文が飛行機を利用する場合大体がANAである。機内誌の「翼の王国」を読むのが楽しみであった。

ちなみに最近は搭乗して機内誌を捲らなくてもANAのWEBサイトで読めるのだから時代は変わったものである。

飛行機は「よし、いっちょ飛んでやろうか?」という感じで気合の入った轟音と振動を滑走路に轟かせて、あっという間に羽田空港を飛びたったかと思うと、体感ではあるが幅跳びのオリンピック金メダリストを思わせる位の滞空時間でもう福岡空港への着陸体制に入った。

やはり国内線の飛行機は乗るまでの方が長い…学文は思った。

お昼過ぎに福岡空港を降りたつ。ちなみに空港沿いに「天ぷらのひらお 本店」と「牧のうどん 空港店」が隣接している熱いスポットがあるが、実際に空港出入り口から歩くと20分位はかかるから旅行客には利用しづらい。「牧のうどん 空港店」の雰囲気など好きなのだけれども。

まあ「ひらお」は天神や大名にお店があるし、「牧のうどん」は博多バスターミナル店が出来たので旅行者には大変利用しやすくなったのは嬉しい事である。

話を戻そう。

学文の目的は久留米、小森野にある洋食屋のハンバーグである。
その店はそれなりに町中にはあるがJRの駅からも西鉄久留米の駅からも近くは無いので基本的には地元の人の為のお店である。

学文的には人生で一番美味しいハンバーグではあるが旅行のついでなど遠方から行く場合、アクセスが良いとは言えないので万人にお勧め出来ないのが残念である。

そもそも旅行で福岡に来て太宰府や柳川に行く人は多くいるけれど、久留米に寄る人はあまりいない。

久留米までは福岡空港から空港線を使って天神まで出て、そこから西鉄電車に乗って急行で40分近くかかる。
この時は「西鉄久留米駅」の一つ手前「宮の陣駅」で降りてそこからタクシーを使ってお店に向かった。

お天気の良い場合は宮の陣の駅を出て筑後川沿いを歩いて行くのも気持ちの良いものである。宮の陣からこれから向かう洋食店まで歩くとなると30分程度はかかるので本当にお散歩がてらという感じではあるが。

筑後川は阿蘇山を水源として熊本、大分、福岡、佐賀の4県を流れ有明海に注ぐ大変大きな川である。ここ久留米でも大変親しまれており、春先には菜の花が筑後川沿いに辺り一面咲いているので大変良い眺めである。

車を使わない場合は宮の陣駅を使うより、西鉄久留米駅から高専前までバスを使って店まで向かうのが一番良いだろう。

タクシーは10分程でその洋食店に着いた。お店の名前を言っただけで通じたので地元の人にはそこそこ知られているのだろう。

その洋食店は小森野に移転してから当時でもう10数年は経っているはずである。地方のお店らしく店には車が何台か停められる駐車場もあり、移転前の店に比べると店の広さも大きくなっているように思った。

学文はその洋食店のドアを開けた。小森野に移転してからその店に来るのは初めてである。

彼の目に飛び込んで来たのは少し年老いてはいたけれど懐かしいマスターと女将さんの顔であった。そして息子さんだろうか?学文とさほど変わらない中年の男性が厨房で調理していた。

店内は入り口を入ると右手にテーブル席、左手にカウンターとテーブル席があり学文達は左手のカウンターと調理場が見えるテーブル席に座った。

学文達が入った時間帯はお昼時を過ぎていたので店内は空いていた。
テーブルにはランチメニューが置かれていた。

ランチ時はハンバーグとチキンカツが乗ったサービスランチやトンカツランチ等が書かれてある。

しかし学文はハンバーグと向かい合う為にここに来たのである。彼は女将さんにお願いして単品メニューを出して貰った。単品メニューを見てみると…彼の目が輝いた。

ジャンボハンバーグ(300g)と書いてある。
これだ!これだ!と彼は内心、興奮していたがそれを噯(おくび)にも出さずジャンボハンバーグ(スープ・サラダ付き)とライスを頼んだ。

ソースはデミグラスソースか和風ソースを選べるが、やはりここは基本のデミグラスソースである。連れはスペシャルセット(ハンバーグ・エビフライ・魚フライ)とライスを頼んでいた。

建物は変われどやはり店は人次第。
大将が手際よく調理し、チャキチャキな福岡の女性(ひと)らしさを感じる女将さんの接客は朗らかで昔のままの雰囲気であった。

そんな雰囲気に浸っていたら学文達のテーブルに手早くサラダとコーンが4〜5粒入ったコンソメスープが運ばれてきた。

学文が子供の頃、コーンスープとコンソメスープの区別がついていなかった。
この店のコンソメスープは、コーンが数粒入っていたので彼は不思議なコーンスープだと思っていた。味は胡椒が割と効いていて子供の口にはそれ程美味いとは感じられなかった。

学文は当時と変わらぬ見た目のそのコンソメスープを一口くちに含んだ。

そして次の瞬間そのコンソメと胡椒の香りと味が口から鼻に抜けて胃と脳を刺激した瞬間、子供の頃にタイムスリップしたような感覚を覚えた。

そして大人になった学文は思った。うむ、やはり胡椒が効いていて美味くも不味くもないスープだ。

「昔なつかしのコンソメスープ」
「ドレッシングも自家製で拘りあり」

「当時と全く変わらぬ味でこれだ!これだ!と喜んだ。連れにとっては摩訶不思議な態度である。その対して美味くない胡椒味のコンソメスープをこれだ、これだと喜んでいるのだから。

ただし、学文は確信していた。感じ方は子供の頃とほぼ同じ味覚でこのスープを味わえたので、ハンバーグが美味しかった記憶は思い出補正であるはずが無いと。十数年ぶりに味わうハンバーグの期待が上がる。

調理場ではリズミカルにパンパンとハンバーグを形成していく音が鳴り、次に鉄板でジュウ、ジュウとハンバーグを焼く音が聞こえてきた。音からしてもう楽しく美味しい。それからハンバーグの美味そうな香りが店内に漂う。

学文はソワソワしていたが、なんとなくそれをあまり表に出さないように心がけ、
なるべく品よく待つようにした。

しばらくしてついに彼のテーブルにジャンボハンバーグが運ばれてきた。彼の表情はついニヤついただらしない顔になってしまう。

学文がジャンボハンバーグに拘るのはサイズの問題だけではない。嬉しいポイントがもう一つある。それはセットメニューだと普通の皿で提供されるのであるが、ジャンボハンバーグは鉄板皿で提供されるのである。

鉄板の上ではハンバーグにかけられたデミグラスソースが活火山の溶岩の様にグツグツと踊っている。添え物に玉ねぎ、人参、コーン、ピーマン、ブロッコリー、それにフライドポテトが少々。彩りもバッチリである。その皿の上は小さな九州の様に旨さと熱さが凝縮されていた。

ここ店のハンバーグはナイフがほぼ意味をなさない位にふわふわで柔らかいのが特徴だ。学文には料理の細かい事はわからなかったが、丁寧に空気を入れるように牛ミンチと玉ねぎを捏ねて作られているからだろうか。

学文はフォークだけを使いハンバーグを食べる。

デミグラスソースと玉ねぎと牛ミンチ肉と肉汁が渾然一体となった塊は口に入れると一瞬で口の中に広がり喉を通り胃に染み渡った。それと同じタイミングで学文の脳へと「美味い」という電気信号の情報が激しく伝わっていく。脳と胃がもっと、もっとと催促してくる。

学文は夢中で食べ進めた。

そして本当にこのジャンボハンバーグは300gあったのか?と疑う程、すぐに鉄皿の上には何も無くなってしまったのである。

学文は「はて?筑後川の河童にでも化かされたのではなかろうか?」と思ってしばし皿の上を見つめていたがハンバーグは後も形も無くなっていしまったのである。勿論それは彼の胃の中に収まったのだけれども。

学文は名残惜しくて少し店の大将と女将さんと話をした。大将は若い頃東京で洋食の修行をされたらしい。そして久留米に帰ってきて店を開いたらしいが、店の名前は当時銀座界隈で流行っていた店の名前をパク…インスパイアされて少々もじって付けたらしい(笑)

他愛のない話をした後に「ごちそうさま、美味しかった」と言って後ろ髪を惹かれながら学文達は店を後にした。

気分も天気も良かったので学文達は筑後川沿いを30分程歩いて宮の陣駅まで行くことにした。

筑後川は暴れ川として昔から有名であった。豊かな水は人々に豊かな土壌をもたらす反面多くの水害引き起こしてきた。

小森野の場所から筑後川の方に歩くと、川沿いが現在いかに水害対策の為に整備されているのかがよく分かる。筑後川の治水事業は江戸時代の頃から本格的に行われてきた。

この小森野の地も筑後川において元々は著しい蛇行河川のひとつであり、度重なる水害があった。この場所も改修工事によって蛇行部を直線化する捷水路(しょうすいろ)が作られた。

小森野から歩いて堤防を兼ねた道路に出て筑後川を眺めていると水害対策、治水事業がいかに生活を守っているかよく分かる。

今でも大雨が降った場合、川の水が高水敷(こうすいじき)のグランドや駐車場まで溢れ出し、停めてある車を浸水させるという事はよくある。こういう整備がされていなかったらあっという間に小森野の様な土地は水に浸かってしまうだろう。昭和28年の西日本水害では筑後川一帯で死者を含め多くの被害が出た。

そういう暴れ川の面影を今でも残している反面、筑後川は今も地元の人に愛され親しまれている。ちなみに地元の人の筑後川の発音は「ちっごがわ」である。

学文はこの筑後川に纏わる話で好きな物があった。暴れ川として有名な筑後川は古くから河童伝説が多くある。その中の一つであるが、その昔、九千坊と名乗る河童の大将と9千もの河童が久留米の水天宮の近くで幅を効かせていた。

その日々の傍若無人な河童達の振る舞いにほとほと困り果てた住民たちは河童達を水天宮の祭りに招き五番勝負を仕掛けた。「相撲」や「のど自慢」で勝負は住民側と河童で4対4の同点となり、最後の大一番は「筍ご飯の大食い」。

河童側の楽勝と思いきや、河童側は筍ご飯に全然歯が立たない。
住民はらくらくと何杯も平らげる。数千もの河童達は「あんな歯で噛みつかれたらたまらない!」と尻尾を丸めて筑後川に逃げ帰ったのであった。それから河童の悪さも少なくなったという。

ちなみに事のカラクリは人間側には普通の筍ご飯を、河童側には筍が成長した固くなった部分を配膳したという頓智の効いたお話である。

暴れ川、筑後川は昔から河童が暴れていると例えられる事も多い。

久留米音協合唱団の5周年記念委嘱作品として作曲された、丸山豊作詞、團伊玖磨作曲による全5楽章からなる混声合唱組曲がある。

4楽章「川の祭」

祭よ 川を呼びおこせ     
とっぷり暮れた大きな川へ     
太鼓をたたけ  太鼓をたたけ     
一千匹の河童よさわげ     
どどん どどん どどん どどん

祭よ 川を呼びおこせ     
一万匹の河童よさわげ     
十万匹の河童よさわげ    
どどん どどん どどん どどん

筑後川と河童伝説を上手く表現した力強さとユーモアのあふれる合唱曲となっている。

時に疎まれ、それでも人々に大きな恵みを与え、昔から愛され続ける筑後川。

「夏の筑後川」

「春先には延々と続く筑後川沿い一面を黄色に染める菜の花が咲き乱れるのは壮観であるし、夏になれば350年以上の歴史を持つ九州最大級の花火大会が久留米の筑後川沿いにある水天宮で行われる。

この花火大会の思い出は今でも学文の心の中にあり、乳母に連れられて多彩な仕掛け花火や打ち上げ花火を見たり、帰りに水天宮の参道にぎっしりと軒を連ねた屋台で当時流行っていた「エリマキトカゲ」のおもちゃを買って貰った記憶が今でもここいらを歩くと蘇る。

「久留米城跡やブリヂストン、
アサヒシューズの工場が近くにある筑後川沿いを気持ちよく歩く」

また先に紹介した合唱組曲「筑後川(ちくごがわ)」の5楽章「河口」で歌われる「白い工場の群れよ さようなら さようなら 川はうたう さようなら…」の白い工場とは筑後川沿いにあるブリヂストン久留米工場の事である。何故なら、ブリヂストン2代目社長・石橋幹一郎が、義兄である團に依頼して作曲されたからであり今では全国の人々に愛されている。

ちなみにブリヂストンは今では世界的な大企業であるのは確かだが、創業地久留米でのその貢献度は高く、道路を整備して久留米市に寄付したり、石橋美術館、石橋文化センター、ブリヂストンスポーツアリーナ(ブリヂストンスイミングスクール)等々、学文が子供の頃に触れた文化的な物はブリヂストンの貢献が非常に高かった。やんちゃな子供も少なくない久留米という土地で文化的な物に多く触れる機会を作っているブリヂストンという企業は多くの人の心を豊かにして、まっとうな道へ導く社会貢献をやってきて素晴らしいと思うし、こういう大企業の責務でもあると学文は思う。人も企業も稼ぐのは悪い事ではないので、その稼いだ金で心も懐も豊かな社会にする為に人々と地域にどう貢献していくかが大事である。

「JR久留米駅前にあるブリヂストン 
巨大タイヤのモニュメント」
「ブリジストンから久留米市に寄贈された道。
ブリヂストンの職員が道の清掃活動をしているのを見かける。

近年は時代とは言え石橋美術館は市が運営を引き継ぎ久留米市美術館となり、ブリヂストンスポーツアリーナを売却したりと久留米でのブリヂストンの影は多少薄くなりつつあるようだ。少しさびしい気もするが時代の変化と捉え、今まで培ってきた物を良い形で未来に繋げていって欲しいものである。

いつもの事であるが話が大分それたので話をハンバーグに戻そう。

久留米のハンバーグと言えば、西鉄久留米駅に老舗のハンバーグハウスがある。駅からも近いので地元ではそちらの方が有名かもしれない。

そこのハンバーグも今回行った小森野の洋食屋のハンバーグと同じくふわふわのハンバーグなのである。久留米にはこの二店舗に限らずふわふわなハンバーグが多い気がする。

これはこの地域のどこかの店の影響で広がったのかは定かではない。広まった頃に流行っていたハンバーグのスタイルなのかもしれない。

一度久留米のハンバーグを試したいという方で遠方から旅行に来た方は、この西鉄久留米駅近くのハンバーグハウスの方が利用しやすいとは思う。

こればかりは好みだから優劣は付けないが学文は小森野の洋食店のデミグラスソースの味が大好きだった。なので学文はそれから久留米に来たらこちらの洋食店に必ず行っているのであるが、こちらのハンバーグハウスのハンバーグも美味である。福岡の食のレベルは高い。

久留米という土地は中々観光目的で訪れるにははっきりした目的が見つけづらいので、それこそ筑後川花火大会を見に来るとか位になるだろう。それでも遠方から来る人は少ないだろうなとは思う。

しかし久留米という土地は流石に昔より少なくなったが地域に根づいた屋台文化が観光客向けの博多より残っているし、屋台文化からの流れで美味い焼き鳥屋や居酒屋が多い。

福岡は西鉄の力が強く、久留米も昔は西鉄久留米駅が街の中心部で賑わっていて、JRの久留米駅の方がホームに孔雀がいる長閑な駅であったが、現在は九州新幹線がJR久留米駅にも停まるようになり駅周辺も賑わうようになってきた。

それに伴い一時期街の賑わいも減り、六ツ門町から西鉄久留米駅前まで伸びる商店街もシャッター街で暗く落ち込んでいたが、出張してくるビジネスマンが増えたのか夜は多くの居酒屋や飲食店が賑わいを見せている。

街は実に生き物だと思う学文であった。

久留米とハンバーグに思いを巡らせていた彼はテーブルのカフェオレを一口飲んだ。そして昨今中々、久留米に行く機会に恵まれずにここまで来ているので、また機会を無理にでも作って足を運ぼうと思うのであった。


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