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「ふらり。」 #4 荻窪の日本庭園とデンキブラン

イマジナリーフレンドが100人いる主人公、
学文(まなふみ)のふらり、ふらり小説。


その日、学文は仕事の資料を探しに杉並区立中央図書館へ足を運んだ。

その図書館は2020年9月に大規模な改装工事が終わり、以前より明るく開放的な図書館となった。敷地内のウッドデッキにはゆったりと座れる椅子やカウンター席が設けられ、よりリラックスして過ごせるようになった。

ウッドデッキを通って奥に進むと「読書の森公園」に入る事ができる。その公園は池や東屋、小さな遊歩道があり、今では描かれたものが大分剥げてしまっているけれど谷川俊太郎、北原白秋、石井桃子の「本型モニュメント」が設置されている。普段から老若男女が思い思いに過ごしている公園である。

学文は図書館での所用を済ませ、少し散歩して帰る事にした。荻窪には遠方からわざわざそれだけを見に来るような物は無いが、近くまで来た時に足を伸ばすと中々面白い物がチラホラある。

図書館から荻窪駅の方へ5分程歩くと直ぐに「旅館西郊」が左手に見えてくる。その建物は登録有形文化財に登録されていて、そのレトロな見た目が通る人の目を引きつける。

「旅館西郊・本館の旅館」

「西郊」は旅館部分の本館と「西郊ロッヂング」の新館に分かれており、新館は現在賃貸住宅となっている。こちらは元は文京区本郷で下宿屋としてやっていたが、関東大震災を契機に1931年(昭和6年)に荻窪移り営業を再開したそうである。杉並周辺は関東大震災で被災し移ってきた人々も多い。

「西郊ロッヂング・新館の賃貸住宅」

今でこそ古めかしい宿ではあるが開業当初は全室洋間の高級下宿であったそうだ。
中々賃貸住宅に住むのはハードルが高いが、旅館は手頃な値段であるし、当時の雰囲気を味わえるので話の種に泊まってみるのも面白かろうと思う。

どうも近頃、頭が良くなく陰鬱とする気分の学文であったので彼は少し心を落ち着かせようと「大田黒公園」に寄っていこうと考えた。西郊ロッヂングを善福寺川方面へ5分程歩くと「大田黒公園」が見えてくる。

元々この場所は音楽評論家、大田黒元雄の屋敷であったが死後その一部を公園として使って欲しいと親族から杉並区に寄付された物である。公園として整備された後は見事な回遊式日本庭園を誰しも楽しめるようになった。

総檜造りの門をくぐるとよく育った銀杏並木が並んでいる。今日の様な平日だと人もまばらでとても静かな庭園である。

学文は一歩一歩、歩みを進める度に心が穏やかになって行くのを感じる。

秋にはいつも綺麗に手を入れられている庭の紅葉が色づき夜にライトアップされ多くの人が集まる。学文も何度かライトアップがされた時に足を運んだが、水面に移った紅葉をずっと見ているとどちらが本当の世界かわからなくなる気分になってくる。

池の周りのゆっくり歩くと東屋もありのんびりとした時間が過ごせる。
青々とした芝生の庭も美しい。


ぐるっと回遊すると大田黒元雄氏が仕事場として使っていた西洋風の建築物が記念館として開放されている。そこには生前氏が愛用していたスタインウェイ社製のピアノなどもある。

この園内には数寄屋造りの茶室や民家の土間を思わせる休憩室もある。穏やかな時間を過ごすのにとても良いだろう。

学文はしばし心を青々とした芝と涼し気な池の様子に日本の夏を感じ、自然を取り込むようにして心が穏やかになるように努めた。

学文は1時間程園内に居ただろうか?夏なので暗くはないが、辺りは夕方の空気を纏はじめたのを感じこの場所を後にする事にした。

その日彼は特に急ぎの用事も無いので荻窪駅西口南側にある酒処に寄って帰る事にした。

駅に向かう途中にはこれまた目を引く「明治天皇荻窪御小休所」がある。
春には桜の木に花がつき大変雰囲気のある場所である。現在は立派な長屋門以外、屋敷などは残っていないので見て回るという事は無いが歴史を感じさせる場所ではある。

「春には桜の花が咲く」

学文は駅前までゆっくりと15分程かけて歩き、荻窪駅西口の酒処の暖簾をくぐった。その店は浅草に今も残る日本最初のバー「神谷バー」から暖簾分けされたという話がある。

浅草の神谷バーは歴史があり今でも多くの人が集う趣のある場所である。
建物は登録有形文化財に指定されており、浅草に降り立つと目を引く存在である。

一方荻窪のこちらの店構えは神谷バー程立派ではないがこちらも荻窪駅前で長年愛され続けている酒処である。店内は壁にメニューが書かれた短冊が貼られていて、老舗居酒屋という感だ。そして割と縦に長い店内である。

一人客の学文は奥までずずっと入ってカウンター席へと陣取った。すぐにお通しが出てるく。この日は海藻のお浸しである。

学文は神谷式にデンキブラン(30度)と麦酒のグラス(小)を頼んだ。勿論水も忘れない。こちらの店のデンキブランは30度と40度が置いてある。40度は神谷バーで言うところの電気ブラン(オールド)である。学文は酒が強くないので勿論30度である。

「生ビールと電気ブラン ー この二つは相思相愛。 交互に飲めば、非常に美味しい。どちらかだけでは、物足りない。」

こちらは浅草の神谷バーに掲げられている電気ブランと麦酒のコピーである。
実に耳に心地よいコピーである。

カウンターにて行儀よく待っているとお店の人がグラスをカウンターに置いて、デンキブランをなみなみと注いでくれた。美しい琥珀色の液体が表面張力により盛り上がり綺麗に磨かれた宝石のように見えた。

「デンキブラン 30度」

デンキブランはまだまだ電気が目新しい明治の頃、そのハイカラさにあやかって「デンキブラン」と名が付けられたらしい。デンキブランのブランはカクテルのベースになっているブランデーのブラン。それにジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされているとの事。名前の由来は色々ありそうだが、学文はこの美しい琥珀色のデンキブランを眺めていると当時の街を彩ったであろうアーク灯の灯りを思い浮かべるのであった。

デンキブランと麦酒、水が揃ったところで、この店の人気メニュー「ぬた盛り合わせ」を頼む。

デンキブランは味は甘い。なので調子に乗って呑むとその高いアルコール度数により呑んだ当人のブレイカーが落ちてしまうので気をつけ無ければならない。チェイサー代わりに麦酒と一緒にやっているとなおさらである。意識して水も飲むのが良いだろう。特に夏の汗をかいた後に空きっ腹にデンキブランと麦酒を流し込むのは中々刺激が強い。

店内のBGMは甲子園の中継である。目線を上に上げると角度の都合もあるのだろうが、古い液晶テレビはカラーなのかモノクロなのかよくわからない映像を流している。しかし音だけでそのじりじりとした夏を感じるのだから高校野球は日本の夏の風物詩である事は今更ながらだが間違いない。

学文は野球は苦手だ。小学校の体力テストの学校外部の評価ではあるが備考欄で「父親とキャッチボールをした事がないのでせうか?」などと中々辛辣な言葉が添えてあった事があった。まあ元々そんなに活発な幼少期でも無かったし、父親は児童養護施設の園長として働いていたので忙しく、家庭にあまり向き合う事も、親子でキャッチボールをするという事も無かったが、子供心にこういう嫌味をわざわざ体力テストの評価欄にどこの誰ともわからん者が書いて送ってくるとは実につまらん奴だ…と思った事を思い出した。

野球が上手い人はそこそこ何事もこなせるような気もするし、その点においては羨ましく思う学文であった。

そんな事を考えながらデンキブランをちびちび呑む。

ちびちび呑む。

麦酒を呑む。口の中が発泡でスッキリする。

テレビから金属音。

歓声。

デンキブランを呑む。麦酒を呑む。甘み、苦味。
飴と鞭、罪と罰、ハチミツとクローバー。

海藻のお浸しをつまむ。

デンキブランを呑む。麦酒を呑む。水を呑む。

「デンキブランとグラスビール」

そうこうしていると調理場の方から婆さんが「ぬた盛り合わせ」を出してきた。ぬたとは酢と味噌の合わせ調味料で和えた料理である。

こちらの「ぬた盛り合わせ」は魚介類が盛り合わせてある。この日は鮪、ホタテ、シャコ、白魚、それに胡瓜とわかめにミョウガと辛子が添えられていた。中々豪勢である。味付けも酢が強すぎず良い塩梅で一口食べればなるほど人気がでる訳だと納得できる一品である。勿論酒もすすむ。

元々この日は長いするつもりは無かったので酒もつまみもこれで終いにした。時間にして30分ちょっとのショートトリップであるが、酒が強くない学文にとってはこれだけで中々愉快な気分であった。

お会計をお願いして1500円でお釣りがくる。

店をでて空を見上げるとまだ日が落ちる気配はない。

まだまだ熱気の冷めやらぬ駅前をふわっとした心持ちで家路に向かう学文であった。

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