それにしても、世の中には皮肉なことがあるものだなと。

これはかつて実際に会った話だが、私の知り合いが、ある高校の公立高校の採用試験を受けて、一次試験を通った。その勉強時間は激務だったこともあって、3か月もなかったらしい。また、しばらくの間、教育関係から離れていて、ブランクが離れていたが、どうも、ある理由があって、戻ってきたようだ。

その知人が化け物じみているなと思うのは、その人物は3年ほど浪人して、ある大学に入ってきた。学部は工学系の学部だったという話。

その知人は、理系で、化学と生物の二つを受験用に訓練していた。

その知人は、高校時代・・・そこの高校が受験対策をやることが強いこともあって、高二で理系コースと文系コースに分けられたらしい。

実は、その知人、中学までは理系よりも文型科目の方に興味が強く、得意だったのだけど、あるトラウマから理系に行くことになったらしい。

まあ、そのトラウマが高じて、実は結構、過激なことをやらかそうとしていたのだが、まあ、それは別の機会に。やべえー話だったし。

要約すると、眼医者のやり方に、むかついたから、医療系の研究もしくは分子生物学の研究や生化学の研究をやって、科学で医療の閉鎖的なやり方を打倒したいと考えていたらしい。

そのために、実際、応用生物科、医学部医学科、薬学部薬学科、理学部化学科を受けまくったらしい。なお、現役で夜間だけど、東京の理科で有名なところに受かってるが、親ともめて、浪人することになったらしい。その親というのが、どうも、頭の固い人物だったようで、昼間の学部とか、後、東大でなければいけないとか、いちゃもんをつけてきたらしい。もしくは職業に直結する資格が取れなければどうのこうのという、非常に頭の悪い会話が続いたと、私の知人は言ってた。1浪目で某私立大学の薬学部に受かったので、入ろうかと思ったが、その当時、本人は、実際に現場で働くよりも、研究の道に進みたかったらしい。多少、不遇な目に遭ったとしても。一生、独身であったにしても、どのみち、後、十年で、結婚ができなくなるほど、状況が悪くなるだろうから、端から腹を括っていたと。

実際、ツイッターを見ていると、私の知人が語っていた通りになっていた。まあ、知人は預言者・・・というわけではなく、よくその当時の世相を観察すれば、少子化が壊滅的に進むということは予想が立てられると言ってた。

ただ、その当時の「頭の固い大人や老害」は、そういった社会事情を無視して、「とにかく結婚しろ」と騒いでいただけで、「実効的な対策」をして「いなかった」。

実際、非正規は悪いと言いながら、正規雇用が徐々に減っていたと私の知人は、ある労働者から聴いていたらしいし、実際、社会派の某刑事ドラマを見ても、似たような描写があったので、表では言われていなくても、徐々に悪化しているのだろうなと思っていたらしい。まあ、その労働者というのは、実はいわゆる「ポスドク」だったらしく、結婚すると家族を養わなければならないから、なるべきではないという話を聴いたらしい。その時の感想は「ならば、結婚なんて言うのは、すでに時代遅れの産物で、そのうち、金持ちとは言わないまでも、幸運に安定的な仕事につけた人しかできなくなるのでは?」という疑念が湧いたらしい。

また、他の労働者から、聴いたところ、「いつ自分はクビが切られるかわからんから、学を身につけるより、手に職を身につける方がいい」と言われたらしい。どうも、その人は家政婦の仕事をやっている人だったらしいが、詳しい話は分からん。どうも、その勤め先とトラブルがあったらしい。

さらに、他の労働者というか、英語の教師らしいが、どうも、もともと、学習参考書の出版業から来た人らしいが、その人から聴いた話では、「バブル期も、まあ、そうだったけど、バブル期が終わっても、ノルマノルマの毎日だった。業績が悪化すれば、退職候補になり、いわゆるリストラされるという恐怖に毎日晒された。数字の冷たさを実感したこともある。正直、学校はまだ、ぬるま湯のような状態ですんでいるので、この状況に慣れた生徒が社会に出たら果たしてどうなるのか?心配だ。」と言っていたらしい。

正直、ポスドクでも不安定、その他の非正規労働でも、実際は、クビきりに遭うし、たとえ、正規雇用の労働に従事していたとしても、早期退職を迫られ、リストラに遭うと、そういう不安定な状況で、なぜ「結婚」ができるのか?そっちの方が不思議だと、私の知人は語っていた。よほど、公務員や教員といった安定的な状況でなければね。

ただ、教員はその後「非正規雇用」(非常勤と常勤)が増えたので、教員もそのうち、ポスドクと状況が変わらなくなるなと思っていたらしい。

ある意味、いろいろと、職業に苦労している人と高校時代に対話することができたため、「欺瞞なく」そういったことに警戒をすることになったということ。

ここまで、来て、新自由主義者や、保守というのは名ばかりの「保身」に憎悪が湧くのは当たり前だろうね。

ただ、頭の固い親はこういったことを言っても、まったく取り合わなかったらしい。結局、どこかの大学で研究者やっていたらしいが、結局は、アンタらが〇カにしている連中と同レベル、レベルが低いと私の知人は腹の中で思っていたらしい。

一方で、独立するだけの金銭が稼げていないし、もっていなかったので、植民地体制のように、従属するしかないという状況で、かなりストレスがたまっていたらしい。革命を起こすにも、多額の金銭が必要だしな。

まあ、それでも、頭の固い親とバトりながら、紆余曲折して工学系にくることになったのだから、まあねと。ちょっと、人生回り道したけど、まあ、大学に入れたからいいんじゃね?と思っていた

が・・・ここからも苦難の道が待っていた。

まずは、教員になる際に、現在では、中高の理科の免許、両方が必要なところが多いのだが、親がバ〇というせいもあって、中学の免許を取り損ねたということがあった。

その親曰く、「工業の教員免許の資格があるから理科はいらないだろう」だそうだ。

結局、パトロンにはなり得ないような低レベルだったわけね。現状を受け入れることなく、勝手な偏見の独断でやった結果。

そのため、東京都の公立や、中高一貫の私立などを受けることができなく、就職場所が限られたということがあった。

実際、そのため、限られたところで、自分なら、多少、割に合わなくてもなんとか、探し出して、非常勤講師の口を探したらしい。その時、家庭教師や学習支援とかそういったものを掛け持ちしながらね。

まあ、結局、非常勤講師の口はあったらしいが、その一方で、どこかで、工業の口があったらしく、そこに応募したらしい。

冒頭でいった通り一次は受かったが、二次の面接でうまくいかなかったらしい。その後、臨時採用の名簿に載ったので、それを利用して、その地域の工業高校の内情を探るという意味合いもあり、期限付きのポストで入ったらしい。

まあ、これは数年前の話なので、それ以降はどうなったかわからないけど、ただ、本人が言うには、とにかく、周りは難易度が高いだろうから、無理だと喚いていたが、博士課程に行くことを妨害されたり、中学の免許を取ることを妨害されていたことに対して、相当、憤慨していたこともあり、無視して受けたということらしい。

こういっちゃなんだけど・・・周りが何と言おうと、無視するという感じで、実績を残したのだから、凄いと思う。そして、以前から、そういったことを工業の教科書を使っていたりして、ある程度は勉強をしていたけど、仕事を掛け持ちしながらの受験だったから、一次でも受かるかどうか自信がなかったって言っていた。

何年も非常勤講師をして、教員の採用試験の一次で落ちたりする一方で、ストレートで一次に受かったりする人もいる。

まあ、工業という本来、ポストが少ないところが、定年の先生の入れ替わりで募集し始めたという感じだったらしく、運にも左右されたって言っていた。

だから、思うのは、世の中には皮肉なことがあるものだなと・・・。

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