さてと、前回、こんな感じのことを書いた。

それは、

②両サイドの味方である。
(そう考えている当事者は無自覚もしくは虚言を吐いている)

結果的に言えば、①の選挙の場合とほとんど、同じ理由だけど、これに関しては、イソップの「卑怯な蝙蝠」という話がある。

まず、鳥は翼をもち、空を飛べる動物を指し、獣は、毛皮と牙を持つ動物であるとする。この鳥の集団と獣の集団が戦争をしていた。そんな中、翼と毛皮と牙を持っている蝙蝠がいた。獣の前では蝙蝠は獣だと言い、鳥の前では自分は鳥だということを言っていた。戦争が終結後、蝙蝠はどちらの勢力からも相手にされなくなった。という話。

要は、どちらの勢力にもいい顔をしていたため、どちらからも相手に去れなくなったという話だが、まさに②の場合の問題点になる。

①のケースよりも②の場合は、無自覚だったり、身の保身に走った結果だったりするので、質が悪い。

また、君子論を執筆したマキャベリは、中立に関して、

「決断力のない君主は、多くの場合、当面の危険を回避しようとして中立を選ぶ。そしておおかたその君主は滅んでしまう。」

「わたしは断言してもよいが、中立を保つことは、あまり有効な選択ではないと思う。」

「中立でいると、勝者にとっては敵になるだけでなく、敗者にとっても助けてくれなかったということで敵視されるのがオチなのだ。」

という言葉があるが、まさにそういうことなのだろう。

さて、ここまでくると、中立は決して美徳でもなんでもないということになると読者諸君はお分かりになるだろう。

しばしば、中立を美徳とする風潮があるが、批判され、いわゆる冷笑系やニヒリズムに陥っている者を見かけるが、中立は美徳でもなんでもなく、惨めなだけである。「敵でも味方でもない」という言葉が一番信用できない例だろう。

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