本来、意味を検討しなければならないはずが、その言葉を聞いただけで安易に納得する言葉

最近、選挙があって気がついた。

それは、本来、その言葉の中身を詳細に検討した上で、判断をしなければないはずが、その言葉を聞いただけで分かった気になってしまうということがある。

まず、去年、選挙があったので、その時思ったのは・・・

・改革

→まず、どういう現状なのかをキチンととらえなければならないだろうし、その後、何が悪いのか?ということを考えずに、テキトーに変えればまずい方向に行くと思われる。

にもかかわらず、しばしば、「改革」といえばいい方に行くと妄信する方々がいらっしゃる。

ちなみに、改革に関しては、Ambrose Gwinnett Bierceの悪魔の辞典 (The Devil's Dictionary)によると・・・

『改革』【reform .名】

何かある運動の宣伝に使われる幻灯用のスライド。目的を果たすと、たちまち打ち捨てられてしまう。

とある。

なお、同義語は、「政治を変える」だと思われる。

なぜなら、具体的にどう変えるのかがわからない以上、結局のところ、問題は棚上げになるのではないかと思われる。

正直、教育改革もそうだったけど、研究者や、ある種の活動家の知見は重要だけど、実際問題、現場に、道具と思想とその意義が、浸透するまでには時間がかかるので、30年は見なければいけないのではないかと思われる。

但し、大体、行政は恣意的な意義を押し付けるだけで本質的な意義を考えることやデメリットを考えることをしているのか、疑問なので、やっぱり・・・改革は、幻灯用のスライドのスライドだと考えるべきなのだろう。

もし、本当に重要でよい方向に行くと共通理解がなされているのなら、Acta non verbaで、水面下で、行なわれるだろう・・・。

・エビデンス

エビデンス(科学的根拠)という言葉がよく出てくるけど、その内実を理解している者は果たしてどこまでいるのだろうか?

大体は、エビデンスがあると言われるとそこで安心してしまうが、エビデンスとはこういうことである。

エビデンスレベルが4以上なら、まあ、客観性も出てきそうだが、5や6だと、どうかなと。特に6の専門家や委員会の意見というのは果たしてどこまで・・・?

なお、国の発表にはエビデンスがあるとかいっていたのはいるが、そのレベルは果して、どれくらいなのか?ということを考えているのだろうか?

なお、最近、陰謀論にはまるひととエビデンスをやたらと求める人は共通点があるという指摘がある。

そもそも、今のようなエビデンスをとってるような状況で求めるのは果して正しいのだろうか?

・ファクトチェック

しばしば、ネットには、事実を曲解したり、そもそも、単なる風評を意図的に広めるゴロツキが潜んでいるので、ファクトチェックは必要だが、問題は、そのファクトチェック自体がどれくらい信憑性があるのかが謎である。具体的には、ファクトチェックした後の方が、後々、デマだということに繋がる危険性を忘れている場合が、大体の場合はその点に見向きもされない場合が多い。

なお、筆者としては、過去に関すること、特に歴史や過去の言動におけるファクトチェックは有効な点があると思う。例えば、ドイツのナチスについて、すでに十分に検討した事項に関して蒸し返すということがかつてあったのだが・・・。

こういう状況下においては、ファクトチェックは十分に役立つと思う。ただ、これはきちんと"資料"があった上で、"議論"されたためにできることであり・・・資料が乏しく、今後、起こることに対する予想しかないような状況でファクトチェックをやり始めたら眉唾で見といた方が無難だと考える。

・多様性

偏狭な考えでトラブルを起こすよりは、多様な価値観の重視する方が素晴らしいというが、実際は、ゴロツキが意見を正当化するために、多様性の盾に使っているということをご存じだろうか?

「△△を〇せ!」など自主規制が必要なもの。

これは2010年代の初頭から中旬くらいまでリアルでもガンガン聞かされたが、ネット上でも見かけるが、最近は規制が厳しくなったので、通報すれば、最終的に垢BANにつながる。これは差別というよりも脅迫や暴言にダイレクトにつながるため、これを言っているのはロクな連中とは思えないのだが、表現の自由だとか多様な意見がどうだと、一定数クレームをつける場合がある。なお、極左の場合、言論弾圧だとかいう者もいる。

なお、最近は医療関係者にも殺人予告を行なっている勢力があるので、ぜひとも、公安監視対象にしていただけると助かる。

他にも

コ〇ナはただの風邪といった事実と異なるもの。

風邪の範囲を恣意的に広げているため、これを論破するのは難しいと思われる。そもそも、"ただの"とかそういった言葉で自体を矮小化しようとしていることが問題ではないかと思われる。

なお、脅迫罪か業務妨害罪で訴えられてもしらんレベルの言動が正直存在する。

また、多様性以外に「表現の自由ガ」とかいうものがいるが、筆者からすると、暴言の自由と言い換えた方がいいケースもある。

例えば、「○○は生産性がない」とかそういう暴言である。

・無宗教

最近、しばしば、宗教関係の啓発書で問題視されているある種の宗教。どの宗教も信じていない場合にこの状態になる。寺の檀家であってもその宗教を別に信じてなければ無宗教といってもいいのだろう。なお、無宗教に関わらず、クリスマスや初詣など宗教的儀式に参加するのはおかしいという過激な宗教家がいるが「すでにそれらには宗教的な意味合いは無くなった。宗教的な意味合いをしているのは、宗教家だけだ」の一言で済むと思うのだが。

宗教を信じてないと言っただけで、入国管理局で、追い返される国まである。なお、筆者の場合、仏教・神道・イスラム教・キリスト教などの宗教に疑問を感じているのと、宗教は民衆のアヘンだという言葉に代々木派(日本共産党)よりも強く賛同しているため、恐らく、入国管理局で「恒心教」と、堂々と書いて、尊師の三田の弁護士事務所まで、追い返される未来しかないと思われる。次は「イワマン教」か「いらじ教」とでも書いておくか。なお、いずれも、架空宗教である。北欧神話かギリシャ神話あたりの宗教にしとくという手もあるか。

なお、コーランをほにゃららして、ムハンマドをほにゃららしたというネットミームで有名になった弁護士がいたなあ・・・。(回顧)

よくムスリムから狙われなかったなと・・・。

・グローバル化

本来はサンダーバードのようなものを想定しているのだろうが、

実際は、そういう感じではなく、国際的な活動家、企業、国家、その他によって、意味合いが異なる場合がある。

とりわけ、労働力を海外から引っ張ってくる場合や、

・多文化共生

トラブル源だとまずは考えるのが先だと思う。

・英語

なんか、大英帝国と米帝の影響で、これが世界のスタンダードの言語だと錯覚しているような気がする。

・自覚

自覚を持てというが、持つことで、私にとって、どういう利点があるの?

・ビジョン

そもそも、勝手に言っているだけで、その他の関係者にモチベーションの共有ができているのか?という疑問があったりする。特に、政治屋と文部科学省とかが言い出すと。

・科学

科学的と言っているだけで、どうして科学的なの?という経緯を示さず、権威主義やパターナリズムに陥ることに繋がってないか?結局、これに対抗するには、実験・観察の方法をキチンと精査する必要があると思う。なお、詐欺用語にもなり得るので、主張とそのデータをよく精査する必要がある。

・努力

確かに、何かをしたいなら、頑張ることは大事だが、努力が実らないから努力をしないとかいう意味不明なことに陥る危険性もある。結局、 何かをしたいから、それを達成するために、いろいろとやってたら、いつの間にか、努力をしていたというのがいいのかもしれない。

選挙とは関係ないものもあるけど、以前から、こんな感じに、冷笑的に見ていた単語があった。まあ、単語って、抽象的なものだと、勝手に自分で解釈したりするから、他の人の意味とズレたりする。その結果、苦しむことになったりする。まあ、そういう意味では、よく意味を考えてから使う必要があるのだろう・・・。

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