SNSは表現の下水道なのか?
最近、驚くことがたまにあるのだけど・・・。
という記事を見た。
しばしば、バイトテロが問題になったり・・・
スシローでの事件があったり・・・。
こういうことがニュースになった。
正直言えば、どういった理由で、こういったことをやるのかはよくわからんが、「奇異」なことをやれば、受けるとでも思っているのだろうか?
実際、youtuberでも少々、疑問に思う者もいる。
例えば、こういった人物。
それにしても、再生数というのが、最近は重要になったり、「とにかく注目されればいい」といったことが価値観の中心になってきたような気がするのだが・・・。
目立つことは確かに重要な一面もあるけど、犯罪を行なったり、中身がないことを言ったりするようなことで目立っても、意味がないのではないか?
と思っていたりする。
一体、SNSはなぜ、こういうことをするのだろうか?
やはり、SNSは表現の下水道だというのだろうか?
つまり、人間の負の感情、浮かばれない思い、退屈な毎日、人に逆らえず、「いい子ちゃん」を演じなければならないような社会・・・。
こういう状況が、社会や法からの束縛、社会がいいと言っていても、上役は守っていないと、ダブルスタンダードの状況に対する怒りと失望を生み、そこから解放されているものに引きつけられるのだろうか?
その結果、SNSはスラムの吹き溜まりになり、そこで、負の感情を吐き出す下水道になってしまっているのだろうか?
しばしば、SNSを見ていると、そういう場所になっているように思える。
確かに、有用な情報も稀には得られることもある。
元旦の時も、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを海外で配信しているサイトを見つけたのもSNSだったので。
でも、実際は、「下水道から趣味まで」だと言わざるを得ない惨状になっている。
そういう「下水道」で生み出された怪物がこれらのものなのだろうか?
もしかして、トー横で踊っている連中や、インスタで自撮りを過度にして炎上しているものもそうなのかもしれないが・・・。
SNSは現実で起きている「汚濁」を可視化している「下水道」なのか?と、最近、SNSからの恩恵を感じている、一方、なぜ、負の面が発生しやすいのか?と考えざるを得ない毎日を過ごしている。
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