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家庭の事情



今回は僕が16歳の時に別居し始めた両親の事について書いていこうと思います。

両親の不仲を目の当たりにして悩んだり生活に支障が出ている人達に
「あ、結構どの家庭も色々あるんだな」
と思ってもらえたら幸いです。


まず僕の両親は元々喧嘩が多くて昔の父親はキレたら手が付けられない。母親は家事を基本的にやらない人でした。

それでも僕や2歳上の兄には2人とも優しかったので僕ら子供からしたら夫婦喧嘩を良くする親。くらいの認識でした。


ただ僕は小学生の頃に野球クラブに入っていて、試合をした日はその場までみんな親が迎えに来てくれるんですけど、うちの親は来ない。参観日も半分くらいは来ないってのが結構続きまして…。


2人とも共働きだったから仕方ないかなって思ってたんですけど今考えればあの時から少し崩れかけていたのかもしれません。

中学校に上がり、親の喧嘩の数はどんどんと増えていきました。
その光景を見るのがとにかく嫌で、13歳にして髪の毛を抜く癖がついてました…。

髪の毛の一部分を抜いてはクラスメイトにバレないように毎朝スプレーで固めてハゲてる部分が見えないようにする毎日。とにかく苦痛でした。

なんとか意識して抜毛症は治ったんですが、僕が中学3年になる頃、母親がアメーバピグとゆうオンラインのPCゲームにハマり始めました。

元々あまりやっていなかった家事をさらにやらなくなり、仕事(両親とも同じ家業をやってました)にも行かなくなりました。さらには母親が飼い始めた犬の面倒も見なくなり、吠えたり噛んだりしたらヒステリックを起こして叱りつける。そんな光景が毎日続きました。


仕事に出なくなった辺りから、祖母(父親の母)が
「家業や家事をやらないならせめて他でパートでも出なさい」
と言いましたが、それを母親に言っても
「義母は自己中だ」「辛い私を分かってくれない」等と聞く耳を持たないどころか、被害者意識を常に持っていました。


僕が高校に進学しても母親の生活は変わりません。毎日家に帰るのが嫌で、疲れていても帰りは友達と遊んであえて帰りを遅くしたりしていました。

そこからさらに母親と父と義母の関係は悪くなり、喧嘩の数も毎日増えていき、兄は精神障害を発病し、僕自身はタバコ吸ったりお酒飲んだり、家に帰らずに夜遊びして学校を休む回数も増えていきます。


ある日ついに母が僕に言いました。
「私とお父さんは別々に暮らす。どっちに着いていく?」

正直この時にどちらの事もあまり好きではなかったので、何も言えませんでした。

でも家族が別々に暮らす事がとにかく嫌で寂しくて、どちらに着いていくどうこうよりも別居に対して納得できなくて力が抜けてく感覚になりました。

1日だけ日を置いて考えた結論が、父親には祖母や仕事関係の仲間がいる。母はゲームばかりしてる。でも母は俺が出てったら1人だ。

僕「お母さんについていくよ。」
母「分かった。とりあえず私の実家に行くから今から荷物をまとめて。」

それから母方の祖母の家に行くまでの記憶はフワフワしててありません。


ちなみに祖母宅には母の兄夫婦も住んでいて、母は毎日その兄に怒鳴られてました。

「覚悟も無いのに結婚して家出なんて母親失格だ。早く出てけ!」と。

母に軽く同情もするけど母兄に共感もしたし何しろ僕自身には優しかったので、何とか大好きだったおばあちゃんと兄夫婦に愛想笑いをして1ヶ月ほど祖母の家で暮らしながら高校に通いました。


毎日兄と言い合いをしていて疲れたのか、母親が次に提案してきたのが
「アパートを借りようと思う。一緒に行こう。」でした。

なんならこの時僕はアパートに住んだ事も入った事もなかったので、アパートに対しての憧れがあり、即答で「うん!行く」と答えました。


トントン拍子に話は進みすぐに部屋を借りて住み始めて、最初の1ヶ月くらいは不慣れながらも何とか暮らしてバタバタしてました。が、この時にふと思ったんです。

「あれ?もう出てってから2ヶ月立つけど、お母さん全く仕事してなくね?」

貯金でやりくりしてるのかな?と思っていたので何も言わずにいることにしました。

ですがここからまた問題は積み重なります。

アパート生活も落ち着いてネット環境が整ったら仕事を始めるどころか、またアメーバピグをやり始めたんです。

でもこの時僕は電車賃やら生活費は母が出してくれてたので、何も言う権利は無いなと思ってそのまま何も言いませんでした。

ですが僕の中でも家庭の事やお金の心配をし始めて、明らかに精神的におかしくなっていきました。

学校で友達と話していても、新しく彼女が出来ても心の底から笑えませんでした。

周りからは暗くなったとか、あいつはメンヘラだとか言われ始めて、ますます頭の中がグルグルし始めて、バイトを始めたタイミングで、高校には行かなくなりました。


夜4時間だけのバイトでしたが、結構楽しくて息抜きになったので、学校を休んでひたすらバイトに打ち込んでました。

電車賃やら飯代やら自分にかかる出費は家賃以外バイト代で賄えるようになったので、自分自身気分も良かったです。


母もそのうちにパートを始めて、お互いバイトか寝るかで会話は無くなりましたが、それなりに充実してました。

この頃に僕は、3ヶ月ほど学校を休んでいて留年が確定していたので、自主退学して働く事を決意してました。

その事を母も応援してくれて、
「義務教育は終えてくれたからいい。後は自由にやんなさい。」と言ってくれました。

ここから第二の人生がスタートしたなと今振り返ってみて思います。



早速退学する手続きを担任の先生にお願いしてみたんですが、退学の同意書には保護者の面談とサインが必要だと言われ、母にその事を話しました。

「分かった。」と言ってはくれたものの、全く行ける日程や態度を見せようとせず、いつ行くの?と聞いてみてもひたすらアメーバピグに興じていました。

最終的に辞めると先生に言ってから2ヶ月くらいほったらかし。この時くらいから本当に呆れてきましたね。

最後は久々に父に電話で相談して辞める手続きに同行してもらいました。でも父と久々に会ったらとにかく気まずかったです。

退学届が受理されてからは建設会社で働き始めて、案外楽しく働いてました。

次回に続きます→

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