トキの守人物語
【新潟県佐渡市】編
今回の文学旅行には、同行者がいます。サラリーマン時代のパイセン、鈴木(仮名)氏です。この御方、定年を待たず会社を退職して、奥様の実家のある佐渡で農業を始めたんです。その鈴木さん宅に、二泊ほどご厄介になったのでした。本文の後半で登場します。
前置きが長くなってはいけません。さっそく、出発しましょう。
①新潟県を旅したくなる文学ベスト5
②『ニッポニアニッポン』阿部和重(新潮文庫)
17歳の引きこもり少年・鴇谷春生は「トキ保護センター」襲撃計画を実行しようと佐渡へ向かう──。20年以上も前、2001年に発表された作品であるが、学名ニッポニアニッポンを持つ鳥の復活しつつある今、本書の言う「日本の最終問題」は刊行時とは変容を果たし、私たちの眼前に新たに立ち現れているのではないだろうか。装丁は、グラフィックデザイナーの草野剛の手による。クイーン「A NIGHT AT THE OPERA(オペラ座の夜)」LPジャケットを、オマージュしつつヲタク化したものと見なされている。
③旅色プラン──新潟・佐渡島「滅亡と復活の物語」旅 編
想像力の旅行へ
私たちがご案内いたします。
(↓本文は「だである調」になります)
日本の国鳥は何?
メディアでの表記はトキ。漢字は朱鷺、鴇あるいは鴾、桃花鳥。どう、とう、とも発音され、独特の色彩を持つことから伝統色「鴇色」の語源になった鳥。その鳥は「ニッポニア・ニッポン」という学名をつけられたことで、なにか特別なめぐり合わせを宿命づけられてしまったのではないだろうか。
そんな問題意識を持って、新潟県佐渡市(佐渡島)へ向かい新潟港を出発した。阿部和重『ニッポニアニッポン』の主人公は〝革命実行〟を決意してジェットフォイルに乗り込んだが、こちとらはお金の節約もあって鈍行カーフェリーである。二等船室。絨毯敷きの大部屋で、旅行鞄を枕に寝転びながら頭の中で、おさらいをしていく……。
2003年10月、佐渡トキ保護センターにて一羽の鳥が死亡した。キンと名づけられた雌、推定36歳。人間に換算すれば100歳以上だった。いわば大往生だが、その出来事は〝日本産〟のトキが「絶滅」した瞬間とされた。当時叫ばれた〝日本産の絶滅〟という表現には、どんな意味があったのか。また現時点からみて、あの出来事は変容しているのか否か。
〝日本産〟の絶滅から現在の復活まで、この話題に関心を寄せる人たちの耳目を一身に集めた人物がいる。1991年から同保護センターでトキの飼育と繁殖に尽力し、キンの最期を看取った獣医師で農学博士の金子義則さんだ。金子さんはその後、国内初の人工繁殖を成功させ、今日の復活劇を成し遂げたトキの第一人者である。
この金子先生、とても親しみの持てる方でした。お人柄のにじみ出るような、ちょっとトボけた口調がとても良く、少し長くはなりますが、インタビューの全文をお届けすることにしました。
(注:このインタビューは佐渡トキ保護センター勤務時代に行われたものです。金子さんは2023年に同センターを定年により退職し、現在はトキと野鳥専門の動物病院「佐渡鳥類研究所」を運営しています)
──今日は、トキについてお伺いしたく参った次第です。文学旅行『ニッポニアニッポン』(阿部和重)に関連しての取材になります。
金子(以下同様) 生物の学名には、たいがい意味があります。人間の学名は分かりますか?
──ええっと、ホモ・・・
サピエンス。これは「賢い人」という意味です。学名(種)は、ラテン語による種名と属名から成っていて、属名は形容詞のようなもの。サピエンスがそれに当たります。ところが「ニッポニア・ニッポン」には、ほとんど意味はありません。強いていえば、ニッポンのニッポンですよね。まあ意味がない学名も、結構あるんですけど(笑)。
──江戸時代にシーボルトが海外へ紹介したことで、命名されたと聞いていますが……
そうです。シーボルトが標本をオランダの博物館にもって行き、それが標準になったということです。名前をつけた人は……3人ほどいたそうです。ライヘンバッハとか。
──その人たちの頭に〝日本の日本〟にしようという意識があったということですよね。日本固有の鳥だという紹介のされ方だったゆえでしょうか。
そうです。日本にしかいないと思われていました。実際には中国などにもいたんですけどね。
──それは、あとから分かった。。。
そういうことです。トキは日本の国鳥だと勘違いしている日本人も、結構、多いのではないかと思います。
──とりわけ佐渡の人にとっては、誇りに思うところがあるでしょうし。
そうですね。新潟県の鳥はトキです。佐渡の鳥もトキです。国鳥は……何だと思いますか?
──・・・ええっと。。。
キジです。
──ああ、当てられなかった! ってクイズじゃなくて・・・先生は普段、どういったことをされているのですか?
飼育と繁殖です。いま卵を一つ温めています。明日生まれる予定の卵も一つあります。もう30年になります。キンが亡くなったのは2003年でして、私は91年からここにいます。
──最後の種を守れという期待の中でこちらへ来られて、繁殖の努力をされてきたわけですね。
期待はされていませんでした。〝お前の仕事は最後のトキを看取ることだ〟と。だいたい、ここを希望する人間はいませんでしたよ、当時は。
──えっ、そうなんですか? それなのに先生は希望したんですか?
ええ、希望したんです。ただし、トキをやりたかったわけではありませんでした。最初は牛の獣医として、こちらに来たんですが、佐渡牛は廃れてしまって……でも佐渡から出るのがいやだったんです。。。
──ご出身は?
本土です。……実は、婿養子に入ったので……転勤するのがいやだった(笑)。で、結果トキにはまって、ずっといるわけです。
──笑・・・お婿さんとして居心地がよかったんですね。
それもありますし(笑)。トキって、結構、おもしろいんですよ。
警戒心のない鳥だったことが仇に
──トキの、どういうところにおもしろさを感じるのですか。
ほかの鳥にはないところがいっぱいありますね。わりと頭が良いんですよ。
──臆病じゃないんですか?
ものすごく臆病でした。
──それは頭の良さの裏返し、という感じでしょうか。
そうそう。頭の悪いニワトリなんか警戒心がほとんどないでしょう? トキは人を見分けることができます。少なくとも3人までは区別できますね。前にいじめたヤツが近づくと、すごく鳴きますよ。脳も大きいです。
──何に比べて大きいと言えるんですか?
脳の大小というのは体重に対する比率です。カラスに比べれば小さいですが、ニワトリに比べれば倍以上あります。問題は、その頭の良さを何に使っているか、です。少なくとも賢く生きるためには使っていませんでした。警戒のために使いすぎて滅びたというのが、日本の最後のトキの姿です。
──どういうことでしょうか?
営巣しても、ちょっと人間が覗いただけで、もう逃げてしまう。だから繁殖がうまくいかなくて、滅びてしまった。
──それは日本の近代化に伴って人間が多くなったから、でしょうか?
う〜ん、急激に数が減ったので、遺伝的多様性がなくなった、と考えられています。ボトルネック現象といって。
──急激に数が少なくなった原因は何だったんですか?
それは狩猟です。
──獲られたんですか。やはり害鳥扱いされたんですか?
そうです。しかも、その当時は人を恐れなかった、という。。。追っ払っても、すぐやって来る。そして簡単に捕まった。
──いつごろの話ですか?
明治の半ごろまで、です。明治も末になるとほとんどいなくなってしまいます。
──そうして遺伝的多様性がなくなって……
そのため警戒心だけが異常に発達したんだと思います。佐渡で最後に残った個体は、森の中でひっそりと暮らしていました。今のトキは逆ですけれど。山へは行かず、平場にいることがほとんどです。……放鳥する前に、ビオトープ(野生生物が生育できる環境づくり)を山に作ったんですが、ぜんぜん現れてくれません(笑)
──警戒心が薄れてきたのですか?
もともとが、そういう鳥だったんです。
日本と中国 「0.06%の違い」とは
──よく聞かれる質問だと思いますが、日本にいたトキと中国のトキは、違うのですか?
まったく同じです。ミトコンドリアDNAを調べて、全部の塩基配列を比べてみたら、0.06%の違いでしかありませんでした。亜種になると、数パーセントも違ってきます。種が違えば1ケタ台から10パーセント台の違いになってきます。
──0.06%の違いとは、どの程度なのですか? 感覚で分かるように……。
あなたと私の違いくらいです(笑)。
──そうですか。ずいぶん違う(笑) いや、いや。
つまり個人差、というか個体差です。
──顔の作りだとか、背の高さだとか、体の大きさとか、その程度の違いですか?
そこまでも影響しない。
──先生と僕との違いというと、何が違うんでしょう……遺伝子的には……。
ミトコンドリアDNAは特に変異の激しいところなので、そこで0.06%ということは……ま、ま、要は同一種だということです。
──もう昔話になるのかもしれませんが、かつては自然保護の象徴として、何としてもキンの子孫を繋げて、日本固有種の絶滅を防がなければならないんだ! と大騒ぎになっていた記憶が、子どもながらにもあるのですが……。
全然記憶にありません。最後の五羽が一斉捕獲されたのが1981年でした。その年に大学を卒業したのですが、関心なかったです(笑)。〝滅びるものはしょうがない〟という感じじゃなかったかなぁ。関心のある人にはすごくあったと思いますが。
──当時、日本固有種のトキが絶滅することに対して、何か現代社会のあり方を批判する論調とストーリーがメディアにあったと思います。多くの関係者の努力が実を結んで復活を果たした今になって振り返ると、あの騒動は何だったのだろうという思いが僕にはあるんです。先生はちょっと違う受け止め方なのかもしれませんけれど。。。
確かに私がここに来た91年は、最後のチャンスということで、そうでした。
……雄と雌がいたんです。雄のミドリが北京動物園に行ったのですが、繁殖能力がないということで帰ってきた年です。その後、94年に中国から雄と雌を借りたんですが、雄が死んでしまって、残った雌と雄のミドリをペアリングさせたんですね。そのとき卵が産まれました。あれが孵っていれば歴史が変わっていたんじゃないか、と。
──変わってましたか? 孵化していれば。
ん、、、それは日本の血統が残るわけですから。。。
──いや、だって種として変わらないんでしょう?
変わらないけれど、やっぱり感情がある。。。のではないでしょうか。
──感情……。
んー。そのころは、まだ遺伝子が同じだと分かっていなかったから。
──今の知見からみれば、あの騒ぎは何だったんだということになっちゃいますよね。
う〜ん、そういうことでもないですね。
──そこにはまだ感情が残っている。
・・・そう、ですね。中国からトキが来たときは、多くの電話や手紙が来ましてね。国産のトキじゃないんだから絶対に放鳥するな、という手紙が来たときがあったなぁ。外来種だ、というんです。
──でも、内部の先生方や職員の方は、分かっているわけじゃないですか、同じだと。
うん。トキは一緒だということは、皆、分かってますけどね。中国のトキを、日本の空に放すのはいかがなものかという人、結構いましたから。
──そういう声に対して、どういうご感想をお持ちなんですか。
鳥に国境はありません。国境を引くのは人間だけです。でも、思い入れもあるし。。。最近はもう言われなくなりましたけれど。。。放したトキが全滅していたら、また何を言われるのか分からなかったし。。。
トキは、なぜ佐渡にだけ残ったのか?
──話を転じます。最近は佐渡のトキを「純野生」と表現していますが、外から訪れた旅の者にとっては、なかなかわかりにくくて(笑)。
でしょ?
──少しわかりやすく説明していただけますか?
・・・私もよく分からない(笑)
──いや、いや、そうおっしゃらずに(笑)
野生同士のペアから生まれた雛ですね。保護センターで生まれて放鳥されたトキの、次の次の世代が生まれた、ということです。3世とも言っています。本来の姿になってきた、ということでしょうけれど。野外で生まれれば、みな同じなんだけれどね(笑)。
──そうですよね。不思議ですよね。「純野生」という言い方は。
純野生と言っておきながら、同時に「人と共生」と言っていますから(笑)。あまり深く考えないほうがいいかもしれません。そこにどれほどの意味があるかと訊かれても、よく分かりません。人間が育てたトキだってトキだし。多少ひ弱かもしれないけど。。。
──鴇色についても、教えていただきたいと思っていまして。
うん、鴇色って、昔とちょっと変わってきていると思いませんか? 鴇色というと、淡いピンクだと思っているでしょう?
──はい。
もっと……こう……オレンジですね、本当のトキの色は。
──うわぁ、見てみたいなぁ。鴇色と言われるくらいだから、日本には広く分布していたんですか? 昔は政治の中心地にもトキはいたんですかね。
江戸にもいました。千葉県の手賀沼にもいたという記録があります。もちろん日本海側が多かったですけれど。
──江戸の人もその色彩に魅了されたんでしょうね。それがどんどん狭まってきて、最終的には佐渡にしかいなくなった、ということなんですね。
ええ。昔は本土と佐渡を渡っていたと思います。新潟本土の鳥追い歌に出て来るくらいだし。それが佐渡島だけに住み着いて難を逃れたのではないか、と。
──難を逃れた?
はい。
──どういう意味でしょう?
なぜトキが佐渡にだけ残ったのか考えると、田んぼを荒らしても怒られなかったんじゃないかなと思います。それだけ大らかで豊かだったんです、佐渡は。本土で田んぼに入ると徹底的に追われたけれど。
──天領ですからね。
ですね。庄屋もいなかったし。わりに平等だったんですよ。佐渡弁には敬語がないんです。初めて佐渡弁を聞いたときはびっくりしました。若い人とお年寄りが対等に口を利いていて。それだけ豊かで差別がなかった。そういうところに残ったという、ね。
──いい話ですね。
ええ、たぶん。
中国でも最後に残ったのは山奥でした。その個体も警戒心が強くて発見が困難でした。今は、どこに行っても見ることができます。
あふれ出るトキへの愛情
・・・繁殖成功率がなぜ低いのか、というのも当初は問題になりました。放鳥して4年間、巣を作っても雛が生まれませんでした。そのときは、放鳥するトキの育て方が悪いんじゃないかといわれたりして(笑)。
──総数が多くなれば、繁殖成功率も高くなっていくんでしょうね。
そうです。中国でも100羽いないときは繁殖成功率が増えなかったです。一定の数を超えるとグンと増えてくる。やはり数の力はあるんです。トキは……単独で巣を作るものと思っていたら、違うんですよね。集団でかたまって巣を作るんです。コロニー性といって。そうなれば繁殖成功率は上がってくる。
──集団意思があるんですかね。〝あいつが繁殖してるんだから、俺もいっちょ繁殖してやろう〟と。人間界も本能に忠実になれば、少子高齢化が多少なりとも解決できたりして(笑)。
そうそう。
縄張りがあって、巣と巣は離れていると思ったら、そんなこともない。警戒するときも5、6羽がまとまって警戒してね、トンビなどを追っ払っていますね。
──先生は、そんなトキの習性に惹かれていったんですか?
いろんなことが分かってくるんです。分からないこともいっぱいあるけれど、こうだと思っていたことが全然はずれていたりしてね。
──トキに、はまるきっかけは何だったんですか?
もともと動物好きだったけれど、ひとつの鳥をとことんやるところはまずないんです、ここくらいしか。それがおもしろかった。人と競争しなくていいし、トキだけ診ていればいい。どんどんおもしろくなっていきました。
──生物学的な特徴としては・・・
わからないことがまたおもしろい。なぜ鴇色なのか、その意味も分かっていません。・・・繁殖期になると黒くなるんですよ。それもなぜかよく分からない。雄雌で変わりありません。卵を巣で温めているときに保護色になるという説もありますが、なぜそんな面倒なことをして黒くなるのか。首のあたりから墨の粉のようなものを出して塗りつけるんだけれど、そんなことをするのはトキだけなんです。
──えっ!
1万種くらい鳥はいるのですが、似たようなことをする鳥さえいない。
たぶん遺伝子的には古いタイプだと思います、むしろ。トキ科は28種類ほどいるのですが、新潟のトキに近いのはまずいません。ほとんどは熱帯や亜熱帯にいて、雪が降る地域にいるトキ科のトキは、トキだけです。
──おもしろいですね。
サギと比べれば一目瞭然です。サギはスマートで「ああ進化してるな」と感じるけれど、トキはまあ、どんくさいですよね、動きは鈍いし(笑)。
──笑
平和的な鳥……といいますか、捕まえても反撃しないんです。クロトキとか亜種でも、捕まえればかみつくし、手袋をしなければ傷だらけになるけれど、トキはギャーギャーわめくだけです。声の大きさが武器になっているのかもしれないけれど。。。
──グーグーって啼くんですか。
タァータァーです。クロトキはブーブーいうんですが。敵を追っ払うときもトキは大きな声でタァータァー言ってます(笑)。住宅街でトキを飼ったら苦情が来ますよ。
──そんなに大きな声なんですか。
ふっ、ふっ(笑)。
──その声が武器だと考えられるんですか?
それくらいしか武器がないというね(笑)。くちばしでつつけばいいと思うけれど、折れやすいんです。
──肉食なんですか。
動物食です。何でも食べます。貝や昆虫も。
──貝は開いて食べるんですか?
そのままです。胃の中で砕くんです。小石と一緒に飲み込んで砕いて、出てくる。
──石と一緒に?
いや、石はずっと中にあります。石を出すときは、口から出します。
──なかなか難しいものですね。ひと口に「生物学的な特徴」などと乱暴に質問してはいけませんね。
人間とは構造がかなり違うので(笑)。。。だいたい、顔つきが鳥らしくないですよね。
──何でしょう、恐竜ですか?
サルのようです(笑)。普通の鳥はほとんど表情がないけれど、トキはちょっと表情が変わることがあります。ふっふっふ(笑)。ハゲた部分が後退したり、前に来たり。緊張すると冠が立つ。
──(鈴木)やっぱりペアで行動することが多いんですか?
それも誤解が多い。トキのペアは一生添い遂げると思われている方も多いかもしれませんが、そうでもないようです。結構、相手を変えるみたい。仲が良いのは続くけれど、変わってもいる。
──(鈴木)ペアになるのは、何か惹かれ合うものがあるんですか?
そこに鴇色が関わっているんじゃないかという説があります。鴇色の濃いほうがモテる。年をとってくると鴇色が薄くなってくるので。
──強さを誇示しているのでしょうか?
そうかもしれません。鴇色が出るには貝類とか甲殻類を食べると濃くなるんです。それが体に良いのかもしれない。
──貝は、身体を赤くするんですか?
そうなんですよ。ザリガニとかも大好物です。
──そういう実験もしたんですか。
昔、やりました。20年くらい前に。フラミンゴと一緒です。
──鴇色の濃いほうがモテるというのは、どういう実験を?
これが、やりようがないんですよ(笑)。そういう感じがするかな、というレベルで。鴇色は、脂肪の赤いのが、にじみ出てくるんです。脂肪を蓄えていないと色が出てこない。昔、トキ汁は真っ赤になるといわれていましたが、あれは脂の色ですね。
──えっ! 食べていたんですか?
食べていたんです。薬というか、闇鍋というか。昔は、キジ肉の十倍くらい(価格)したという話です。佐藤春雄先生の本によると。。。
──美味いんですか?
……(小声で)美味いです。。。
以下、割愛。。。
──いやあ、おもしろいですね、先生は。
・・・ところで野生のトキを写真に撮りたいと思っているんですが、よいスポットはないでしょうか。
交流会館の前の林ですね。ねぐらになっているので。
──(鈴木)やっぱり、朝出て行って、夕方帰ってくる?
だからトキという説もあるくらい時間に正確です。日の出とともに出て行って、日暮れ前に帰ってくる。
──(鈴木)サギは、結構、夜遅くまで騒いでいますよね……。
・・・あれは半夜行性ですね。トキは……夜は利かないです。
──(鈴木)鳥目といわれるけれど、サギは夜遅くまでギャーギャー鳴いているから……
そうそう。あいつらは、ほんと、真っ暗なところでも飛んでますよね。
──(鈴木)なんかレーダーのようなものがあるんですか?
いやぁ……だいたい目が大きいし。。。
ひとまず 了
インタビューを終えて
獣医師として、科学的な知見の上に立ったお話を、優しくてちょっとトボけたような、独特の口調で語っていただきました。その味わいの深さはどこから来るのだろうか、帰りの船上でずっと考えていました。
金子先生は、守人にしか持ち得ない愛情をトキに持っているのです。
その愛情は、謎の多いトキという鳥そのものに向けられている感情ですが、こうして先生の言葉を原稿化していくと、より強く〝日本産〟最後と言われた「キン」への愛情であることが鮮明に分かってくるのでした。
「日本の血統」と「鳥に国境はない」。
この相反する言葉が金子先生の中では両立しているようでした。日本産トキの滅亡から野生復活までの、すべてに携わった獣医師がその言葉を口にするとき、耳に柔らかな口調のなかには、周囲の期待と絶望に翻弄された哀しみを感じずにはいられませんでした。
その時間と哀しみを、トキという生物への愛情によって包み込んでいるからこそ、金子さんは相反する言葉を語ることができるのではないかと思うのです。そして同時に、こうも感じるのです。その大きな愛情の、漠とした輪郭をたどっていくと、それはご自身の看取った日本産最後の「キン」へと焦点を結んでいくのだろうと。
人は、最初は小さく個別具体的な対象を抱くことから始まり、やがてはより大きな存在に気づいて成長するものですが、最後にまた原点へ還っていくことになるのかもしれません。その最後に還る原点は、なぜか最初のかたちとは姿を変えていて。
鹿子沢ヒコーキ
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