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本棚は〝映え〜〟だけじゃない──業態化(ラインロビング)に大切な商売の原則とは

 ……というわけで今回は、これまでの取材先を振り返りつつ(ということは連載の案内告知をしつつ)、商売をしていくなかで売上高を上げる手法のひとつを詳らかにしていきたいと思います。

 その前に、小生ごときに経営を論じる資格があるのかという点について。実は私、某ビジネス系の月刊誌編集長だったのですよ、はい  (^^ゞ💦 若い身空でドキドキしながらトップインタビューをしたり、経済やマーケティングを取材してきたので、どうか大目に見てください。長文にはなりますが、ネットに氾濫するステマや提灯記事、あるいは煽り記事とは違って、本質を突いているはずですから。

「本の染み出し」と業態開発の関係

 承前、本が本屋さんだけでなく、あらゆる商業施設でインテリアのように置かれ始めたのは、いつの頃からだったでしょうか。それらの本は、ただの装飾ではなく、読むこともでき、販売されるケースも少なくありません。

 本に関わるこのような現象を、その仕掛け人の一人であり、私たちNPOの後見人でもある、プックコーディネーター・幅允孝さんは「本の染み出し」と表現しています。

 いまや、本の売り方は変わりました。
 いやむしろ、事の本質を理解するためには、こう言い換えたほうがいいでしょう。本は「買われ方」が変わったのだ、と。

 その昔、野菜は八百屋さんでしか売られていませんでした。同様に、お魚はお魚屋さん、お肉は精肉屋さん、と別々に売られていたのです。それは単品種をそのまま販売する「業種」店でした。
 それがスーパーマーケット(超市場)の登場により、一つの企業に束ねられて販売されるようになりました。この販売方法の開発によって、売り手はマージンミックスできるようになり、消費者は買物の利便性を大きく享受するようになったのです。

 お酒もそうでした。
 お酒という単品種だけで品揃えをする酒屋さんは業種店です。酒類は、免許制によって売る人と場所が限定されています。それは今でも同じですが、すっかり条件緩和されて、大型スーパーマーケットでも販売することができるようになって、ツマミになる惣菜や精肉の近くに置くこともできるようになりました。ちょっと前までは、そんなことさえできなかったのですから、驚きでしょ?

 これが「業態」の誕生です。

「業態」という言葉は、ネットでも安直に使われますが、専門用語としての意味はやや複雑で、定義を解説できる人は少ないはずです。業態とは、川上にある生産者ごとの単品種を、買物をする立場や局面に合わせてある意味を持つように、流通過程で編集したり束ね直したりして整合させた結果の、商売のあり方のことです。
 ネットの世界に対してもこれは同様で、たとえば楽天市場は一般に「ネット通販」と呼ばれますが、百貨店をネット上に置き換えた「業態」だと言い換えることができるのです。

 それでは、本屋さんはどう捉えるべきでしょうか。
 既存の本屋さんは、本という単品種だけで品揃えをしているので「業態」化されておらず、いまだ業種店のままなのです。今、その本屋さんの状況は、ヴィレッジヴァンガードコーポレーションの登場以来と言っていいと思うのですが、「本の染み出し」によってアメーバ状になって多くの商業へ浸食しつつあるのです。

業態へ進化する時に大切なこと

 業種から業態への移行に代表される販売方法の進化は、より多く買われる機会(チャンス)をつくろうとする努力の歴史でもあります。しかし、この言い方では、物事の表層しか見えてきません。よく考えてみれば(いや、それほど考えなくても)、「より多く買われる」ようにするって、当たり前じゃありませんか? そうでしょう? 新しい業態を開発しようとするならば、その根本にある狙い所・要所を理解しなくはなりません。

 では、より多く買われるために、単品種を複数束ねる際の狙い所・要所とは、果たして何でしょうか? 無料記事なので、あまり言いたくないのですが、そこにはマーケティング理論の、とても大切なポイントがあります。

 それは、消費者の購買動機を同一にすることです。

 本は、今、その特性を踏まえながら、さまざまな売られ方がBtoBを含めて模索されています。その模索は、多くの場合、ただやみくもに為されているわけではありません。もちろん、何の仮説もなく漫然と行っている人たちも、中にはいるでしょう。併し、分かっている人は、そこで試行錯誤しながら「購買動機の同一性」を追求しているのです。そして、そのためには、本の「読まれ方」の変化に気づき、分析する必要があるわけです。

 購買動機の同一は、売り上げを伸ばす手法として、とても重要であるにもかかわらず、ネット通販の台頭によって忘れられている嫌いはないでしょうか。ネット通販は在庫の無限性をフル活用して、旧来型リアル店舗の販売手法を超越したかのように誤解されている面があります。ロングテール戦略という言葉が独り歩きした結果でしょう。
 併し、何でも揃えられるネット通販も、実はリコメンド機能を付加することで「購買動機の同一」を何とかつくろうとしているのです。「あなたと同じものを買った人は、こんな商品も買ってますよ〜」と躍起ですよね。それは、売上高を最大化するためには、購買動機の同一がどうしても必要だからです。

 この購買動機の同一は、それが軌道に乗り出したら、次は陳列量(在庫量)を調整して、各カテゴリーの商品回転数を同一にもっていくことが重要になります。それを行うことによって、売上高ではなく、利益高を最大化することができるからです。IT(AI)による販売予測が重要視される理由は、ここにあるんですね。販売予測は、単に「ああ当たったね」と喜ぶのではなく、商品カテゴリーごとにバラバラだった商品回転率を、同一に揃えるところに目的があるのです。

「そうは問屋が卸さない」は死語にならず

 ところで、近年、ITの台頭により、あらゆる商品流通で問屋不要論が展開されるようになりました(本当を言うと、1960年代のはじめに、東京大学の林周二先生が「問屋無用論」をぶちあげているので、この考え方も、すでに生まれてから60年が過ぎようとしているのですが……)。商品を小分けするなど、いわゆる流通加工を施すことでマージンを受け取る中間業は、併し、いまだ消えるどころか、しっかり生き続けていますよね。

 もちろん、例外としてニッチを狙ったビジネスでは〝中抜き〟しているケースもないわけではありません。併し、その動きは、もともと大きなパイを目指すものではなく、マスメリットを期待しないビジネスでしょう。ですから、予定通りスモールビジネスにとどまっているのが現状です。

 いくらインターネットが〝中抜き〟をしようとしても、また経済産業省がDX(デジタル・トランスフォーメーション)を叫んでも、今なお従来の流通構造がそれほど壊れずに残っているのはなぜでしょうか。

 この稿は、その詳細を解説することが目的ではありません。なので、ざっくりとだけ記しておきます。

  1. 多くの業界で中抜きにあう危機感を抱いた中間業は、その元凶であったはずのITを活用することにより、自らをそれなりに効率化させてきたこと

  2. 同時に、中小規模の問屋は次々にM&Aされ規模の競争になったが、すでにそれも落ち着いていること

  3. 各業界団体が流通に不可欠な流通コードの開発において、中間業者によるデファクトスタンダードの確立に成功していたこと

  4. 委託・買取の別や、返品、リベート、アローワンスなど、挙げればキリのない日本の流通の複雑さに対応できる機能が他になかったこと

  5. 上記4のような、きめ細かい流通を単純化する動きには、これまでの商慣行を享受してきた消費者から賛同は得られないだろう、と製配販のいずれもが考えていること

 大雑把には、上記が要因になるでしょう

 グローバルスタンダードの美名のもと、日本の流通を世界と比べる向きがあります。もちろん比較が悪いわけではありませんが「世界標準」の表現が示すように、その主旨は「世界が正しい」という前提に立っています。併し、必ずしもそうとは限りませんし、日本がその風土の中で世界より先進している部分もあるはずです。その良否を冷静に考慮した上で、その在りようをガラパゴスと言うならば、言われて一向かまわない、と。実に力強い在り方ではありませんか。って、誰がそんなこと言ってるのか? あっワイだけか (^Д^)

 ITの台頭により社会的な無駄のように言われた中間業者は、この間、それまで消費者が意識せずに享受してきた日本の流通のきめ細かさとロジスティクスの付加価値を、あらためて多くの人に認識させたと言っても良いかもしれません。別の角度から見るとそれは、ITによる変革の初期に起きた激しい競争とM&Aを経て、生き残った強い卸売企業(とその裏にいる商社)が流通のヘゲモニーを握るに至っている、というのが現在地についての正しい認識だろうと思います。

染み出す本の背後にある存在こそ

 さて、話を本と本棚のことに戻しましょう。

 それが購買動機の同一になるかは別として、例えば雑貨屋さんや服飾ファッション店が、一緒に本を販売したいと考えたとします。そのとき、いったい、どんな販売方法があり、どこから仕入れを行えばいいのでしょうか。

 本の場合、川下の拠点に商品を卸す問屋さんは「取次(とりつぎ)」と呼ばれています。この取次が本の流通全体をコントロールしている状況は、やはりそう大きくは変わっていません。ここでも問屋さんの存在には揺るぎないものがあります。

 ああ、まだ結論まで遠いんですっ💦

 あいだをすっ飛ばして、一気にここの問題意識を記しましょう。
 本の流通も上記と同様、GAFAが台頭して〝中抜き〟しようとしても、製配販のいずれもが従来の流通構造を守ろうとしています。とりわけメーカー(つまり版元=出版社)の姿勢は、何も知らされない外部から見れば、かたくなに映っていることでしょう。

 本はなぜ既存の流通構造を守ろうとするのでしょうか。
 そして、守ることは「正義」なのでしょうか。

 少し前のことですが、講談社とアマゾンが、取次を『中抜き」して、直取引を始めたというニュースが業界で大きく取り上げられました。ですが、これも、これまで取次が担ってきたさまざまな機能をアマゾンが奪い取ったわけではありません。それは(本だけに)ほん・・の一部を肩代わりするものでした (^^ゞ。

 ネット上の記事やブログをみても、その多くはただあおるだけで、問屋(取次)の持つ金融機能について触れたものを見つけることはできませんでした。買取や返本といった販売方式とそれを可能にする流通システムを考えずに、本来はこの問題を済ますわけにはいかないのです。

 ここで、少し妄想を……。えっ? こんなに長文なのに、さらに横道へそれるの? そんなん横道世之介やん (。・_・)
 本の取次企業が業容を改革し、たとえばコストコのように物流倉庫を開放したホールセールクラブを開発したら成功するのではないか? と思うこと、ありませんか? 単一品種では業種のままなので難しいかもしれませんが、相性の良い商品群を束ねて業態へ昇華させることができれば、あながち与太話でもない……と。

 もう一つ。
 取次企業が物流企業とアライアンスして最終消費者にネット通販するようになれば、アマゾンを超えることができるのではないでしょうか。アマゾンの先行者利益を凌駕するには、あまりに出遅れてしまいましたが、彼らと同じように本だけでなく、コモディティのあらゆる分野を品揃えに加えていけば、どうでしょう。問屋のメリットを生かして本を低価格で販売していければ必ず勝てることでしょう。。。

 ……こうした妄想は、併し、妄想のままで実現はしません。はっきり言います。今のままでは不可能なのです。。。なぜでしょうか。ホールセールクラブは、低価格販売によってはじめて成立する業態だからでしょうか? 問屋による小口ネット通販は、リアル書店の営業を圧迫することになるからでしょうか? 
 いいえ、問題の本質は、そこにはありません。

 実は法律の問題が横たわっているのです。
 本の流通は、他の商品とは違い「再販制度」という法律と理念の制約を受けているのです。

 再販制度の話をし始めると、スペースがいくらあっても足りません。(本だけに)早く本題に入れ! と叱られそうなので、今日のところはこのあたりにして、その議論については次の機会に譲りたい思います。はたしてデジタル時代に「再販制度」は存在理由があるか否か、を。
 結論だけを言っておきます。私たちは本の再販制度を必要と考えます。なし崩し的に無効化することにも反対です。たとえ「世界にそんな制度はない」と言われたとしても。

 さて、ここまで縷々記してきたのは、本が多種多様な商業施設に置かれるようになった今も、その背後には必ずと言っていいほど問屋(取次)が存在し、商業施設が独自に本の流通を担っているわけではない、という事実を理解してほしかったからです。

 もしあなたが商売をしていて、あるいはこれから商売をしようとして、自分の売りたい商品との相性が良さそうだから、一緒に本を販売したいと思っても、実のところ「そうは問屋は卸さない」のです。

知を融合する本棚は人を惹きつける

 さて、そんな本の「本棚」について、印象に残る取材先をまとめてみました。これらの施設は、いったいどんな組織と機能が背後を支えているのでしょうか。それこそが商売の秘密なのですが、ただお客として愉しむだけでも、そこは「知」との刺激的な出合いにわくわくできる場所であることに変わりありません。

 このほかにも、まだ多くの本棚が、それこそ染み出すように既存の商売の中へと広がりつつあります。本棚+旅館ホテルだけでも「箱根本棚(神奈川県箱根)」や「蓼科親湯温泉(長野県)」「ランプライトブックスホテル(名古屋ほか)」など、その染み出しは地方都市でも広がり増え続けています。染み出す本棚は、箔を付けるために知の集合を演出するものではありません。それは、一見すると異質なAとBとを融合することによって、人を惹きつける『影響力の武器』になることを証明しつつあるのではないでしょうか。新しい業態の萌芽として。

 ……してみれば。。。

 お前の標榜する「文学」と「旅行」の組み合わせは、購買動機が同一なのか? という疑問が湧いてきませんか。そうなんです。私たちの「文学旅行」は、たぶん購買動機が同一なんですよ。自分たちだけでも、そう信じないとね。

 ……と、お後がよろしいようで。

 ↓画像をクリック(タップ)すると、その施設を含んだ旅行(散策)プランへ飛びますよ〜


芝パークホテル

本棚とホテルの組み合わせ

 歴史あるホテルが1500冊の本を揃えるブックホテルに変身しています。選書は銀座蔦屋書店。周辺ではキャリーケースを引いた宿泊者が目立ちます。バッグの中には読書用の本がつまっていたりなんかして……。

東洋文庫ミュージアム・モリソン書庫

流行する本棚のプロトタイプがここに

 日本一美しい本棚とも称される「モリソン書庫」。その高さは10m。豪州出身のジャーナリスト、G・E・モリソンが収集した蔵書は約2万4,000点!東洋学「知の殿堂」は、本棚映え〜の元祖でもあるとかないとか。知る人ぞ知る場所だったミュージアムが一躍注目を集めています。

角川武蔵野ミュージアム

劇場となった本棚と博物館

 図書館、美術館、博物館が融合した、まったく新しいコンセプトの文化複合施設。こちらの「本棚劇場」は高さ約8m。その蔵書は約5万冊。角川さんの迫力には、やっぱりかないませんわ。本棚を劇場にしてしまうのですから。YOASOBIさんも、そりゃ行きますわ。

三島由紀夫文学館

99冊の初版本展示

 山中湖畔に立地する三島由紀夫文学館。その入口をくぐると、真っ先に迎えてくれるのが、ずらり揃った初版本の表紙です。こうして展示されると、集合の美しさを感じざるを得ません。おそらくそれは、装丁の美しさだけでなく、作家の人生時間を集約する密度に感じる美なのかもしれませんね。

紀伊國屋書店 新宿本店

書店の本棚

 こちら本流の書店では、「寝かせ本棚」が流行しています。考えてみれば自宅の本棚が「寝かせ」状態になっている人、意外と多いのではないでしょうか。してみれば、カジュアルな雰囲気もあって、手に取りやすいですよね。同店は、書店+演劇場とみることもでき、その意味では単なる業種店ではありません。トータルな書籍文化の発信地という業態になっています。

BOOK AND BED TOKYO 新宿

最大4000冊が収納できる本棚にモエ〜

「泊まれる本屋」がコンセプトのホステル。それは本好きさんにとって夢にまで見た願望でした。マンガも読み放題です。今夜はどんな本で寝落ちするか悩んで眠れない、なんてこともね (^0^)

MANGA ART ROOM, JIMBOCHO

「漫画の洞窟」をテーマにした空間デザイン

 こちらは「BOOK HOTEL 神保町」内にある特別ルームです。本棚に段差をつけて部屋の雰囲気を見事に演出しています。画像の客室は「白の洞窟」と名付けられました。ほかにもうひとつ、黒で統一された別の客室が用意されているので、お好みで選択できますよ!


 翻って、自宅に本棚があれば、そこはもう美術館や博物館のようなものなのかもしれません。本は、その制作にどれだけ多くの人がかかわっているか想像してみませんか? 表紙のデザイン、装丁、フォントデザイン、本文デザインレイアウト、カメラマン、紙屋さん、印刷所、校正・校閲の担当者、製本屋さん……。その手触りは、それぞれのプロフェッショナルな職人たちの、技術の結晶なのです。美しくないわけはありません。こればかりは、デジタル空間にはない特徴かもしれませんよね。そう思いませんか? 

 ちょっと前までは、自宅の本棚を他人に見られるなんて、脳みその中身をのぞき見されているようで、たまらなく恥ずかしいことでした。それが、どうでしょう。SNSでは、いま何を読んでいるか呟いたり、これみよがしに自宅本棚の写真をアップしたり……。変われば変わるものです。本は、その「読まれ方」の動機が変わってきているようです。そうした変化は、やがて商材としての本の「買われ方」へ影響していくに違いありません。


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