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アッラーフ・アクバル

乙です。藍郎です。留学生活から早いもので1月経ちました。光陰矢の如しでしょうか。
つい先日ですが学校からの帰路の途中に同級生のアラビア人達と遭遇。
なんでもモスクに行くとの事🕌
モスクとはイスラム教信徒(ムスリム)の礼拝所であります🛐
しかも一緒に行かないか?と誘われたので面白そうだからついて行ってみる事に🕌
途中で学友のアドゥブルさんから
「僕らは一日に五回必ず礼拝をします。朝起きた時、昼前、午後、夕方、寝る前の五回です。休みはありません」みたいな事を言っている(多分)。

噂には聴いていたけど本当にやるんやね〜!?
一日に五回って大変だなぁ!!
っていうかクレイジーだね〜🤩
ヒャヒャヒャ〜!!

と思いました。まぁ、もちろん言わないけど…😎

中々の人手
礼拝終わった直後

礼拝所に入ってみると説教はすでに始まっていて学友達は靴を脱いで靴下も脱いで礼拝所に連なるシャワー室の様な場所に向かいます。
そこで彼等は手足を水で清め、顔を洗い、髪を整え、口をゆすぎ…、中には頭を洗っている人までいました。

私も彼等に習いましたが中々に興味深い。
日本人も神社に参拝する時に同じ様な手順を踏みますが神と対面するには心身を清め敬虔な姿勢が必要という事なのでしょう。
イスラム教と神道に以外な共通点がある事に不思議に感動…😀

さて、いよいよ説教を聴いている輪の中に加わります。人数は100人〜150人くらい。全員があぐらか正座。しばらく説教が続いたのちに宗教指導者が掛け声をかけて例の土下座姿勢。
立つ🧍土下座🙇‍♀️立つ🧍土下座🙇‍♀️…、を繰り返します。
土下座姿勢をしていると頭を投げ出す行為も日本に似ているなぁなんて思ったり…😎
繰り返していると敬虔な気持ちになっていきます⛩️

それが終わって解散の流れだったのですが終了後に学友達が不思議そうに私を見つめています。

彼等の一人が私に言いました。

「AIRO、君はムスリムなの?」

もちろんそんなわけないので

「違うよ。私は多分ですが仏教徒です。今回の礼拝は単にちょっとやってみただけ😀」

彼等は腑に落ちない様子。

私は彼等に別れを告げて帰路につきました。

わたしの推察ですが彼等が戸惑っていたのは仏教徒の私がイスラム教の神アッラーフに祈りを捧げているのが理解できないのだと思います。
ちょっと誘ってみた日本人が素直についてきた上に土下座姿勢で神に祈りを捧げて「ちょっとやってみただけ」と笑顔で答える。
恐らく彼等ムスリムからすると信仰という概念はもっと重い意味合いがあるのだと思います。
信仰とは世界のすべてであり彼等にとってアッラーフとは自分自身であり親であり仲間であり自然界であり世界そのものであるのでしょう。
したがって信仰を冒涜されると言うのは何があっても許される事ではなく危機が迫れば民族あげて団結して戦う、というメンタリティになる。何故ならアッラーフへの信仰は世界そのものだから。
そんな世界観の彼等に

「私は恐らく仏教徒ですが、本日は何となくムスリムの神に祈りを捧げました🙏イェイ😀」

となってる得体の知れない日本人は理解の範疇を超えていたのでしょう。
「仏教徒が何故に躊躇なくアッラーフに祈りを捧げた?クレイジーな奴だ…。しかも、多分仏教徒って…。」

って思ったかな?

「ムスリム達よ!日本人の神の概念はフレキシブル(柔軟)なのである。
私の実家には神棚(神道)、仏壇(仏教)、クリスマスツリー(キリスト教)が平気で同じ部屋にあった!なかなか面白いと思わないか!?ギャハハ〜!!!」

と卒業までに言ってやりたい😀

異なる文化を知ると自分の文化も改めて知ることが出来る。
結構に面白い経験であった🤭😅

それじゃーね〜👋

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