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逃げないと

 いつも通り生活していると、たまに頭の中で「逃げないと」という声が聞こえます。その声の主は俺だと思います。でもそれは俺が考えて言った訳ではなく、ただ突然その声が頭に残るのです。その声が聞こえる時はしんどいことがあってその場から逃げ出したい時などではありません。本当にふとした場面、生活していたら当然とる行動の最中にやってきます。お皿を洗っている時、お風呂に入っている時、寝る前などの全員がとるような普遍的な動きです。

 僕はお皿を洗う時や寝る前に「逃げないと」と思ったことは一度もありません。当然です。僕の家ですし、逃げ出すほど辛いことでもありません。僕はこの「逃げないと」は、僕の言葉ではないように感じるのです。言葉自体は僕視点の言葉ですが、「早く逃げないと恐ろしいことになるよ」などの台詞が少しだけ聞こえたなどと考えると僕以外の誰かの言葉であると考えることもできます。

 誰が?誰が僕に「逃げないと」と言っているの?何から、どこから僕は「逃げないと」いけないの?どこへ「逃げないと」いけないの?

 「逃げないと」という言葉は大阪で1人暮らしを始めてから聞こえるようになった。宮崎から大阪へ出てきてもうすぐ1年。もうほとんど大阪での生活には慣れ、ICOCAを使い、改札でもたつくこともなくなった。確かに大阪での1人暮らしは寂しくて、不安な時もあるけれど、宮崎に帰って宮崎で暮らそうと思ったことは一度もない。ましてや「逃げる」だなんて。芸人という夢を捨てろということ?そんなことするわけがない。

 この言葉が聞こえるようになった原因として考えれるのは、僕の持病である「双極性障害」躁鬱だ。気分の波が激しく、人が変わったような状態になる。躁状態の僕に鬱状態の僕が言っている?といった適当な考察しかできない。しかしそれが当たれば「双極性障害」ではなく、「多重人格」のような話になってくる。しかし、「逃げないと」以外の言葉が頭に流れたことはない。

 そもそもなぜ「逃げないと」いけないのか。全く見当もつかない。今の生活は楽しいし、不満はほとんどない。芸人をしっかり目指せているし、大阪での友人にも恵まれている。逃げる要素は一切ない。考える程に腹が立つ。逃げるなんて恥ずかしいマネは僕はしない。

 潜在意識のようなものなのだろうか。僕は思っていないつもりでも心の深いところでは常に不安と恐怖でいっぱいで、すぐにでも「逃げないと」いけないと考えているのだろうか。もしそうなのだとしたら自分が情けない。自分で選択し覚悟を決めたはずの現状に今更怖気付ているというのか。みっともない。もしそうなのであればぶん殴ってやる。

夜中にたくさん考えすぎた。つい最近まで鬱だったり、支払いを怠ったためガスが止められたり、ストレスの溜まることが多い。どうにかリフレッシュする方法はないだろうか...
芥川のような事を言うが、将来に対するぼんやりした不安がずっと心身にこびり付いているような気がする。僕に限っては「ぼんやり」ではなく、「はっきり」としているが。芸人として生きていけるか。というこの道を選んだ者なら必ず思う単純な不安である。どのくらい続ければ自信が持てるようになるだろう。とか、周りの芸人より自分は面白いのだろうか。とか。
考えれば考える程ぐちゃぐちゃになる。頭が、体が、心が。
どうすれば救われる。どうすれば幸せになれる。

ここから早く逃げないと、

不安から逃げないと、

逃げないと。

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