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平成5年


平成4年が特筆すべきことがない年だったのと対象的に、平成5年は時代の節目と言える年となった。


①自民党が野党となる

自民党の副総裁だった金丸信が3月に脱税で逮捕され、政治不信が高まっていた。宮澤首相は、政治改革を断行する約束をしたものの果たさず、内閣不信任決議案が可決、自民党が分裂し、いくつかの新党が結成された。宮澤首相は、衆議院を解散、自民党は過半数を割って下野。日本新党の細川護煕が首相となり、連立政権が成立した。また社会党の土井たか子が、議会政治史上、初めて女性議長となる。細川は12月にタイの米の輸入を決定。平成の米騒動と言われた。

宮澤内閣はPKO(国連平和維持活動)への参加くらいしか実績がなかったが、政権を明け渡すことが歴史的使命だったのかもしれない。また、後に問題となる河野談話は、政権を譲る直前に出た。なお宮澤氏は細川首相にアドバイスすることで協力したらしい。


②皇太子ご成婚

独身の天皇ではいけないのか、という声もあったが、6月に皇太子(現天皇)のご成婚があり、安堵した国民が多かった。皇太子夫妻がオープンカーに乗る時間になると、雨が止んだ。


③EU発足

11月、マーストリヒト条約が発効して、設立。フランス大統領は「これで強国に対抗できる」と言った。強国とは米国と日本のことを指していた。

④開始、開幕、開通、

定期預金の金利自由化開始、Jリーグ開幕、レインボーブリッジ開通など新時代の到来を感じさせる出来事があった。


⑥歴史のページがまくれた感があり、平成は昭和とは異なる時代となる期待が生じたが、その期待は、後に裏切られることとなる。

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