教員にとっての良い学校とは?

実際色んな教員がいる。そして一人一人異なる思想を持ち、異なるアプローチで教育する。
みんなが私と同じ考えだとは思わないし、むしろ私と同じ思想の人なんていないと思ってもいくらいだと思うけど、つぶやいて行こうとおもいます。

わたしはとある町の緑豊かな小学校で、今年の4月から働いている。
初任校から始めての異動である。勤務し始めてから半年が経ち、慣れてきたけど、正直モヤモヤだらけの半年間だった。

わたしの学校は緑豊かな立地で空気は澄んでいてとってもおいしい。田舎で育つ子どもたちは素直でかわいい。同僚も良い人たちなんだよね。メリットはこんな感じ。
でも、なぜか学校を好きになれない。ここに身を置いて頑張っていきたいって全然思えない。
今日はその理由をよく考え形にしたいと思う。

<教員の私が重視する良い職場の条件>
1.学校のトップらがまともな人であること
2.同僚の雰囲気が良いこと
3.学校が荒れないための対策がしっかりしている
ざっとこうだろうか。そして今の職場は3つとも満たしている。表面的には、だと思う。
私が居心地の悪さを感じるのは2.3が実はやや違うから。

2.同僚について
学校にも労働組合がある。教員の立場を良くするために活動してくれている。でも不思議と尊敬はできない。組合員にも色んな人がいるから一概に否定はできないけど、今のところのイメージだと
会議でここぞとでてきて、とりあえず新しいことや仕事が増えそうなことに対して反対する。
もちろん声を挙げることに対して、ありがたいって思ってる人もいるだろうけど、私からすると、いや、それぐらい仕事として我慢してやれよ。って思うんだよね。校長が学校を良くしようと頑張ってることにとりあえず反対する姿がどうしても好きになれない。なんか子どもっぽいのだ。

私の学校には組合員が多い。そして職場は組合員と非組合員で構成される。組合には勧誘されるが、入るかは自分の意思で決める。私は前任校の影響もあり、入らなかった。
なんとなく組合に入る人もいるようだが、逆にちゃんと考えてる入る人もいる。小さいことかもしれないけど、入る入らないで考え方の違いがまず明確になる。組合員とは、会議外で軽く打ち合わせする時にも、ちょっと考え方のズレを感じてしまうことがある。「そういえばこの人組合員なんだよな」といちいちなってしまって心の中でソーシャルディスタンスを取ってしまうのは、なんだか悲しいことだなと思う。組合の話については触れられない、触れにくいのだ。

ずらずらと書いてしまったけど、要は、同僚で人が良いなと感じても、根本的な部分で考え方や価値観が合わないというのはなんと勿体ないことだろうか。
同じ教育観や温度で子どものために共に切磋琢磨できない。そして私のようなよそからきた者は、とりあえず沈黙する。良い人に囲まれていても、良い成果を生めない環境は、良い職場とは思えないのである。

3.学校が荒れないための対策の有無

うちの学校は荒れてない。
ちなみに一般的に学校には荒れるポテンシャルがあると思う。荒れてしまう学校はポテンシャルを抑制する教師陣、学校体制ができておらず、抑えきれないからではないかと思う。
荒れるポテンシャルがあるのに荒れないで踏みとどまっている学校もあるとしたら、私はその学校は「良い学校(良い職場)」にカウントされると思う。複雑な事情を持つ児童をチームで育てていく、支えていく体制や、学校としての指導方針、教員一人一人の指導規準が明確なんじゃないかと思う。 

そしてうちの学校はというと。荒れてはないが、整ってもない。荒れるポテンシャルがないのに、「やや散らかってる」印象である。
散らかっている理由を教師一人一人に当ててみる。
緑豊かな地域で子どもや保護者はとても穏やかである。そこに甘えているように見える。「良い子たち」には何も指導する必要なんてないのだろうか?田舎で子どもをのびのび育てる。自由にやらせる。なんか良いように聞こえるけど、良くはない。「まあ、言わなくていっか。」これを一回やると、なかなか後に響く。見逃し癖がつき、子ども達はどんどんそれをかいくぐってくるようになる。いつのまにか、指導したいことを言いづらくなってしまい、教員が追い込まれてしまうのだ。
一つ一つ確実に指導していくことは、私は子どものためも勿論、指導者としての立場を維持するために必要不可欠であると思う。この「線引き」ができないのは若手に多い。子どもから嫌われるのが怖くて、しっかり言えない。

うちの学校は中堅と呼ばれる層も線引きが甘い。だから子どもたちはどんどんテリトリーに踏み込んでくる。踏み込まれると、こどもにやられっぱなし。反撃もかなりしづらくなる。踏み込まれていく中堅を見てがっかりとした気持ちになる。踏み込まれていく。というのは、タメ口やあだ名で呼ばれ、教員がいじられても、笑ってしか返せないようなイメージかな。
やはり中堅には、尊敬できる憧れの存在であってほしい。

誰かの本にも書いてあったけど、「嫌われる勇気」ってめちゃくちゃ大事だよなあ。そして不思議と子どもというのは、線引きをきちんとしてもちゃんと付いてくる。友達のようになるメリットなんて、皆無だと思う。

うちの学校は中堅も、もちろん若手も子供に踏み込まれている人が多く、なんだか学校の中で指導している感が全然ない。まさに「良い子だからと確信し、野放しにしている状態」だから散らかっている。
学校が散らかり、荒れる理由は教員の甘さだけでは絶対にないけど、今回そこだけピックアップしたのはご勘弁を。


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