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母を訪ねて上五島【前編】離島への長旅と天才少年の話


長崎県の遠く西側に位置する五島列島、その中では一番東寄りに中通島という島があるのですが、私の母がその島で民泊を開いていて、3年前に島を訪ねた時のことを旅の記録として残しておきたく、当時のメモなどを見ながら書いていきたいと思います。


2017年7月2日早朝、新聞配達の仕事を終え、羽田空港へ直行、空路にて長崎へ移動し、空港バスで長崎の市街地へ。長崎県の特徴として、複雑に入り組んだ長い海岸線がありますが、それ故にどの場所からも海が近く、夏ということもあってか、駅前の繁華街に居ても潮の香りがするのがとても新鮮でした。

中通島へのアクセスは、陸路・空路が無いため、長崎港や佐世保港から高速船フェリーやジェットフォイルなどの航路のみで行くことになります。

母の住む集落は上五島町の有川港が最寄りなのですが、有川港行きのフェリーが午後以降の便しか無かったので、午前中に乗れる福江行きのジェットフォイルで同じ上五島町の奈良尾港へ向かいました。


出発の長崎港ターミナルからは軍艦島クルーズも運航していて、観光の目玉として大きく宣伝していました。軍艦島へは片道45分、中通島は高速船で2時間半。あの伝説の軍艦島すら近くに感じてしまうほど、途方もなく遥か遠く長い旅路です。

廃墟マニアのみならず、軍艦島の歴史や興廃のドラマは強くロマンを掻き立てられます。いつか軍艦島をテーマにした記事も書きたいと思っています。


さて、この2017年7月2日、羽田空港の搭乗口や、中通島へ向かう船の中など、至るところで多くの人達がテレビのニュースに注目していました。

この日は、将棋の藤井聡太四段(当時)のデビュー戦からの30連勝が懸かった対局が行われており、メディア各局がトップニュースで報道していました。

普段から将棋連盟モバイルというアプリで配信されている対局を毎日チェックしていますが、今回は離島への旅ということもあり、この日だけは日常から距離を置き、デジタル・デトックスを旅のテーマにしていたため、島の中では一切スマホを見ずに過ごし、もちろん大一番の対局経過もチェックせず、その結果を知ったのは翌日の長崎港でした。

結果、30連勝はなりませんでしたが、それまでの連勝記録28連勝を超える歴代新記録の29連勝、しかもデビューからの連勝に限れば、それまでは10連勝が最高でしたので、まさに空前絶後の大記録といえます。

藤井少年は将棋ファンの間ではプロデビュー前から既に有名で、プロ棋士も参加する詰将棋選手権で強豪プロ達が1問目を苦戦しているうちに一人だけ退室、誰もがトイレ退席と思っていたら、実は全問解答を終えて退室していたという信じがたいエピソードもあります。ちなみに今この記事を書いている2020年9月現在は、棋聖と王位の二冠を獲得。近い将来、更なる偉業で日本中を驚かせてくれることでしょう。


さて、将棋の話もまた別の機会にたっぷり書きたいと思いますが、長い長い船の旅を終えて、ジェットフォイルが奈良尾港に到着しました。

乗船者は、奈良尾から有川までのシャトルバスを利用出来るのですが、同じルートで有川へ行く人が誰もいない…すなわち、なんと乗客は私ただ1名でバスが出発。

乗車の際、本来は乗車券代わりに乗船チケットの半券をバスの運転手さんに見せなければならないのですが、下船時に他の方が全員、半券を船員さんに返していたのを見て、その流れで一緒に返してしまい「あのチケット返しちゃったんですが…」と運転手のおじさんに告げると、「あー、よかよか~」と笑って許してもらい、本当に助かりました。

海と山を同時に眺められる離島独特の風景を追いかけながらの道中でしたが、信号機も交差点も、対向車も他の乗客も居ない、まるで時が止まっているような不思議な時間感覚に包まれながら、貸し切り状態のバスはついに目的地の有川港ターミナルに到着。自宅を出発してから7時間、この島で母と再会したのは10年振りのことでした。


【後編】はこちらです。


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