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サンタクロースと「下の句かるた」

もうすぐクリスマス。今年は華やかなムードは控えめに、厳かな雰囲気の12月ですね。

子供の頃は、私の家にもサンタさんが来てくれて、イブの夜にそっと枕元にプレゼントを置いてくれました。実はサンタさんからゲームやおもちゃを貰ったことがなく、子供たちの望みを叶えてくれる存在だということも当時は知りませんでした。

幼児の頃は絵本、小学1年の時は国語辞典、2年の時は漢字辞典、3年の時には枕元に「小倉百人一首」が置いてありました。小学4年以降になると、やはりサンタさんも幼い子供たちのお家を優先的に回らなければならず、代わりに両親がプレゼントを買ってくれるようになりましたが、私が文章を読むのも書くのも好きになったのは、きっと不思議なサンタクロースによる英才教育のお陰かも知れません。

サンタさんから貰った趣のある木札の百人一首は、北海道で盛んな「下の句かるた大会」のたびに重宝しました。

下の句かるたとは、下の句を読んで下の句を取る遊びで、読み札にはもちろん上の句から書いてありますが、その「5-7-5-7-7」の「7-7」の部分だけを読み上げます。取り札は独特の変体仮名で描かれていて、初見ではとても読めない札もあります。

私の通っていた高校は、かるた大会が体育祭や文化祭と並ぶ重要な年中行事で、大会が近づくと、どのクラスも朝練や放課後練習に明け暮れていました。また、発祥は和歌ですので、古典の授業もかるた大会の練習に充てられることになります。隣の教室から賑やかな声が聞こえてくると「古典の授業だな」と察することが出来ます。ちなみに下の句しか使わないので、古典の勉強になることは一切ありません。

 

2年次の古典の先生が、内地(北海道外)から赴任された先生でした。大会が近づいた、その年最初の授業練習、先生が一枚目の札を読み上げた瞬間、クラス全体が、鳩が豆鉄砲を食らったような状態になりました。聞いたことの無い読み札、独特のイントネーション、まるで時が止まったような教室。それもそのはず、上の句を読まれても、誰も下の句を取れないんです。覚えていないのではなく、聞いたことがないのです。

私たちは最初、先生が変わった読み方をしているものと思っていましたが、実は読み上げられた言葉が上の句だということを初めて知り、道内と内地の文化の違いをとても強く実感した出来事でした。きっと一番驚かれていたのは当の先生だったと思いますが…。

その後、先生も事情を汲んでくれて、上の句から下の句へと続けて読んでくれました。上の句がわからない私たちは、聞き覚えのある言葉が出てくるのを待ってから札を取っていきます。

それまで幼い頃から、読み手の第一声に神経を集中させて札を取っていたため、上の句から淀みなく読まれている流れの中で、下の句の最初の言葉に素早く反応出来るまではどうしても慣れが必要で、もはや対戦相手との勝負という雰囲気ではなく、クラス全体で未知の文化と戦う謎の時間になっていました。

 

改めて気付いたのは、自分たちの周りの常識だけが全てではないこと。もっと広い視野を持つための経験が必要であること。そして、すでに最初のサンタさんの話が忘れられていること。

個人的にはクリスマスにまつわる鉄板ネタがあって、「サンタクロースの格好で一人で街中に放置された男の物語」なども機会を見て書きたいと思っています。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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