社長になる、そう決心した日
オンラインコマースを起点にコンパクトなチーム体制で伴走するPRマーケティング事業を運営しておりますaiRの佐藤です。
今回は、漫画のような実際に自分に起きた実話を基に記載します。
僕自身の解釈がある前提で読み進んでいただけますと幸いでございます。
26年間生きてきて、今振り返っても「こんなことがあるのか」と驚嘆してしまうほどの出来事が一晩で起きました。やっぱり天は全てご存じで、このタイミングでこの方々を通じて働かれるのか、、と改めて畏れ多くと感じました。
それでは、始めます。
予め結末をお伝えする形になり構成としてはダメですが、僕が1番伝えたいのは最後の章になります。
夕方に届いたメールが全ての始まり
『佐藤くん、お疲れ様です。今晩空いてますか?』
前日に滞在時間17時間の韓国弾丸訪問をし迎えた週の始まり。
いつ寝たのかも覚えておらず、気づいたら朝だった。
眠い目を擦り重たい身体を気合いであげ、朝のシャワーを浴びた。
事務所がなかった時はお家で朝の珈琲を飲んでいたが、
最近は移転したばかりの表参道徒歩5分にある事務所にすぐに向かい、事務所のすぐそばのLATTESTでアメリカーノを頂くのが習慣になっている。
少し早めに出社して事務所全体の掃除をしてから業務を始めた。
いつも通り騒がしい1日だった。1日何回電話するんだろうという回数を平日はしている。
その日は特段会食等の予定がなかったから、深夜まで仕事をする予定だった。
作業を進めているとと、メールの着信音が響いた。
件名は特になし。
『佐藤くん、お疲れ様です。今晩空いてますか?』
送信元は、1度お会いしたことがあるとある大手プロダクションの社長さんだった。
広告業界でお仕事をするならば一度は名前を聞いたことがある会社だ。
当然自分が簡単にお会いできる方では到底なかったため目を疑った。
とりあえず、
『ご無沙汰しております。お世話になります。今晩、空いています!』
とだけ返答し、回答を待った。
すぐに返答が来た。
『今晩19時に麻布十番のこちらに来てください。』
『かしこまりました。今晩19時にご指定のお店にお伺いいたします。よろしくお願いいたします。』
頭の中はパニックだった。
『???、何が始まるんだ?』
興奮と少しばかりの不安を胸に、夜の麻布十番へと向かった。
夢か現実か
10分前に到着した。
予約名を告げ、席に案内していただいた。
まずここからとんでもなかった。
初めて「お・も・て・な・し」をしっかり体験した気がした。
エスコートもさることながら、店内の細かいところにも埃がなく、少なくともお客様の目の行き届くところは細心の注意と気遣いがされていた。
興奮が最高潮に達した。
まさにTOKYOだった。
案内された部屋に入ると、すでに大社長お二人がいらっしゃり、
談笑に包まれていた。
『わ、遅れてしまい申し訳ありません。ご無沙汰しております。佐藤です🙇』
(内心土下座)
よくきたね、と歓迎してくださり会が始まった。
少し談笑し落ち着くと、まさにここだという完璧なタイミングで店員の方がメニューの説明を始めた。
アラカルトのメニューを開くと、見た事はあるが食べたことがない食材の名称が右から左に、数枚に及んで記載されていた。
『あわび』『伊勢海老』『A5飛騨牛』『松茸』『フォアグラ』などなど、他にも沢山あった。
どれも食べたことがなかった。
『佐藤くん、好きなものを好きなだけ頼んでいいよ』
と仰っていただいたので、遠慮なく本当に好きなだけ、食べたかったけど食べられなかった食材を中心に片っ端から注文させていただいた。笑
(すみません、本来は遠慮すべきだと思うんですが)本当に美味しかった。
ここで誤解をされないためにはっきりとお伝えしておくと、
決して高級な食事に連れてっていただいたことが素晴らしい(もちろんそれもすごいですが)のではなく、こんな毛の生えたような駆け出しの若造に対して偉大な経営者が関心を寄せ愛情を伝えてくださった事が人間的な魅力として本当に嬉しかったという事です。
食事は確か約3時間ほどだった気がする。
正直あっという間すぎて覚えていない。
全体を10とした場合、仕事以外の話題が9割、仕事の話題が1割だった。
前者では、業界の話や大社長等の過去のハプニングや出来事の話で終始盛り上がった。
中でもその社長は30年近く会社を経営されており、目から鱗のようなお話ばかりだった。
懐の大きさ、柔和な表情、時に鋭い眼光、その全てが僕は新鮮だった。感銘を受けたのは言うまでも無い。
そもそもこんな若造、ぺーぺーの人間に丁寧に敬語で対話してくださる辺りからもう頭が上がらないのは言うまでもない。
『これが社長か』
冷や汗が出て、鳥肌が立つほどにそう思った。
漫画に出てくるような、そんな方だった。
中でも、『30年、毎日毎日勉強です』と仰られた際には、
「わーこういう謙虚さをずっと持ち続けてるお方だから30年も会社経営できるんだなあ」と悟った。
と同時に、自分の未熟さも深く悟った。
浮かんだおじいちゃんの顔
有難いお言葉を沢山頂きながら、一方心のどこかで、
『誰かに似てるなあ。。。』と思っていた。
柔和な表情、温厚な性格、、、
誰かに似ていた。
『おじいちゃんだ』
僕は小さい頃からいわゆるおじいちゃん子で、おじいちゃんの膝の上が僕の居場所だった。
おじいちゃんは、(確か)中卒でお金がなくて高校に行けなかった方でした。当時は学がなくてとても苦労したと聞いた。
ただし持ち前の人当たりの良さと真面目で誠実な性格を活かし、商社系の事業を展開し地元名古屋で実業家として成功した。
母親に言われて驚いたのは、「親族のいとこを当時アルバイトとして雇って、親族みんなの生計を助けていたんだよ」
自分1人や家族だけでなく、親族までも助けてあげていたと聞いた時は本当に感嘆しました。
僕が高校2年生の冬、おじいちゃんは他界しました。
今でもはっきりと覚えているのが、お葬式に来た人が口を揃えておじいちゃんのことを「人徳者だった」と言っていたことです。誰一人祖父のことを悪くいう人がいませんでした。
『死ぬとき、周りにどう言われて死にたい?』
という質問をされたことがあります。当時はうまく答えることができませんでした。
ただ、今は『おじいちゃんのように、「この人は人徳者だった」と言われて死にたい。』
そう思っています。
社長になろう、そう決心した日
元々、職業にこだわりがない人間です。
公務員でもいいし、会社員でもいいし、フリーランスでもいい、なんでもいい。
今もこだわりはありません。むしろこだわりがどんどん無くなってる気がします。
「彰真くんは社長に向いてないね。」
つい先日お世話になってる方に言われた言葉です。
まあ3年死ぬ気で毎日頑張ってきたという自負はありますので、言われた当時は非常になにくそと思ったのはいうまでもなく、、
ただし前提、何を持って社長と定義するのか、であったりそもそもその定義は時の流れに合ってるのかと諸々情報処理する中で認識を揃える必要があります。が、今回は文字数の関係でやめておきます。笑
何はともあり、この言葉をきっかけに
『社長ってなんだ?』
と考え始めました。
このご時世は、確か20万円くらい貯金があれば何も考えずにいつでも会社の社長になれますし、僕もその1人です。
ただ、3年会社を経営して思った事は
『起業(=社長)はいつでも出来る(ポジションのみ)けど、社長という職種に相応しい人というのは、そういないのではないか。』という事です。
社長という職業を考える
予めお伝えしたいのは、
『そもそも生まれながらにして社長に適している人なんていない』と僕は思っています。
仮に、そんな人がいるのであればなんと傲慢なんだろうと思います。
いるなら若くしてその名は全世界に轟いているでしょう、そうした事例がない以上、そうではないのです。
いわゆる歴史的に大きくなった会社のファウンダーもしくはCEOを軒並み拝見してみますと明らかです。若いうちから大きく成功している人なんて1人もいないのです。(いたとしても、その後人生で大きな欠陥が生じている人が多い印象です。)
人には、先天的に身についているものと、後天的に自身の努力によって切り開くものがあります。この場合、社長という器に相応しい人間になるための努力は後者であると理解しています。
またスタイルとしてはビジョン型でもTO BE型でもいいですが、
常に厳しい環境下においてその信念を貫き、本人が常にそれを体現し続ける。これは決して易しいコトではありません。(原体験)
忙しい、苦しい、休みがない、理不尽なことを言われる、社員の代わりに謝罪に行く、そんな事は日常茶飯事ですしその中で希望を唱え、周りを鼓舞し、目的地に向け邁進していかなければなりません。
言葉で記すのは簡単ですが、本当に難しく決して容易いことではないというのが原体験を通じて伝えられることです。
改めて成りたい人物像を考える
学生の頃明確にしたはずの理想の人物像、忙殺した3年間の月日で失念していました。
(忙殺は本当に良くないです。最近やっとプライベートの時間も考えるようになりました。)
人生を本当に根本から変えてくださった恩師がいまして、先日約5年ぶりに訪問してきました。
その方のようになりたいといえばそれまでなのですが、あえて言語化するのであれば、「人間としての広い器と柔和な人格を土台に、スペシャリティを築く人」です。
祖父もそのような方でした。僕が尊敬する念を抱く方は共通してるのかもしれませんね。
その人物になれるように精進していければ、あとはなんでもいいなあって感じです。(率直)
じゃあ何を目指せばいいんだろうと考えた時に、「あ、社長になろう」と思ったわけです。
『佐藤くん、信念を貫きなさい。』
去年は、凄い1年でしたね。
古から続く歴史的書物にも、大きな転換点になる1年と記載があったのを覚えていますし一人一人に大きな試練があった1年だったのではないでしょうか。
誤解無しには、解決出来ないことがある。
実は半年前から身体が上手く機能しないことがあった。
今は笑って振り返ることができるが当時はもう死にそうだった。
誰にも言えない、相談できない、みんなの前では元気に振る舞う一方で家に帰って1人の時はもう立ってられない状態だった。お医者さんには『これ以上無理して働くと2度と社会復帰できない身体になります、そういう人をたくさん見てきました。』と言われまでもし悪寒と鳥肌が立ち、PCを開くのが怖くてできなかった瞬間はいまだに鮮明に覚えている。この時にご迷惑をおかけしてしまった社内外の方々には頭が上がらないです。申し訳ございませんでした。
自分は本当に小さい頃から不器用で、
うまく伝えられないことや誤解されてしまうことが多々あった気がするが、人生面白いものでそう言った事象は時に重なるんだなあと思った。
誤解無しには、解決出来ない問題がある。
吹聴や噂に対して言葉数を増やすと天に対する罪を増やすだけなので、一切何も言わずグッと堪え天に委ね、やるべき事に集中する。
天のために生き、事業を運営するという信念を貫く。
事業を行う目的はすなわち、人生の目的とも重なるわけである。
何の為に生き、何の為に事業を運営するのか、改めて原点回帰した。
誰を幸せにしたいか?
何を解決したいか?
などなど様々に考えた。
考えれば考えるほどに、
『やっぱり天のために生き、天の為に事業を運営していきたいな』と深く悟るようになった。
自分らしくある、というのはすなわち、自分の人生の目的を忘れず熱心に生きることである。
26歳の未熟な私は、自分らしく生きるという価値観を経験を通して深く悟ったらしい。
血眼になって富や成功ばかりを追い求めても仕方がないではないか。もちろん野心と情熱はこの世界で生きていくなかでとても大事な要素であるのは理解している。
大切なのは、目的を忘れないことだ。
核心を掴み、離さないことである。人生も、事業も。
心の琴線に触れた言葉の数々
他にもたっくさんのご支援をいただきました。
本当に本当に頭が上がらないです。ありがとうございました。
このご恩は一生をかけてお返しします。
(みなさんお金には困ってないと思うので、成果でお返ししたい所存です。)
おまけ
直近は創業期と同じような苦しみを感じながら日々もがいている。
自分よりも優秀なメンバーを採用し、あまりにも自分が力不足である事を日々痛感している。
なぜ今までうまくいっていたのかがわからないほど実力不足だと痛感した。
自分よりできる人に、『これってどうやって考えてるの?』『これはどうしたらよかった?』など聞きまくる日々である。
丁寧に教えてくれるメンバーに、頭が上がらない。恩返しは必ず結果で返す。
思い返せば1期目、学生起業なのもあり何もできなかったから何もかもが大変だった笑
1年間一生懸命営業しても、年間確か250万円程度の売上しかあげられなかった。役員には、『彰真、社長交代な』とまでも言われた笑
(2期目は800%売上伸長できました😤)
思い返せば昔から器用にできた試しがない。
ほとんど全てにおいて、戦力外に近いポジションから始まり最後は中心にいることが多かった。
売上拡大に伴う株式会社移行、組織体制の強化、センターピンを抑えた事業作り、バックオフィスの強化、リブランディング等々。
積み上げたものを壊し、もう一度雄大に作り上げる事を恐れてはならない。
なりたい自分像、実現したい組織像がクリアになった今やるべきは、天と一対一になり邁進する他ない。
理想世界の実現に向け、邁進していく所存です。
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