嫌われる事を恐れるあなたへ/嫌われる事に慣れている私が語ろう
このnoteを書こうと思ったきっかけは嫌われる事についてのXでドグマさん(@dogmapua666)の投稿を見たことだ
嫌われる事はモテることに有利なことは昔から知っている。(自分はね)
しかし、世間一般では嫌われることがモテることに有利なことを知らない反応が多くて驚いた。それと、真面目な人や考え方が堅い人は嫌われることに躊躇(ちゅうちょ)していたり、周囲の反応にビクビクしながら生活している人の多いことに驚いた。
世間は他人に嫌われることを恐れている。
正直なところ、他人に嫌われるかどうかなんて、すごぶるどうでもいい事なんだけど、世間はどうしてもそれを受け入れる事ができないらしい。
また、noteを書こうと思った決定打が藤沢さん(@xxx_mxr)投稿だった
人との関係は「好き」「どうでもいい」「嫌い」の3つしか存在しない。物理の法則から見ると、好き51%と49%は現実ではありえないし、成り立たない。(仮定だから当たり前)
今さら自己紹介になるけど、アーリーは自己中心的で頭が悪くて図々しくて傲慢な性格である。一言で言えば性格がめちゃくちゃ悪い。それが私アーリーという人間だ。
当然、今まで嫌われながら毎日を過ごして今日まで生きてきた。年齢はアラフォーになっても、変わらず毎日誰かに嫌われ続けている。
Xの投稿でも、誰かに嫌われる発言や文章を毎日投稿している。もはや生きる公害であり老害だと自負している。
そんな性格の悪いアーリーはなぜXで投稿するのか?目的は10%以下の人達に自分の考えと経験と伝えるため。ただそれだけのために毎日投稿している。
これまで生きてきてわかっていることがある
これまで生きてきて、自分に対する人の反応はこうなる事に気づいている。これは自分に関わるすべての人間が対象だ。SNS、会社、女でも割合も反応は全く同じ。商売で物を売るときもだいたい同じ割合に落ち着く。
そして人生の結論としてこの答えに至っている
世の中の90%は自分にとってどうでもいい人間である
この答えに至ってからは自分のことを好きになってくれる10%の人間だけえこひいきして生きている。自分の家族、友人、仲間、会社の同僚、女に至るまで、自分のことを好きでいてくれる選ばれし人間だけを大切にして生きてきた。これはこれからも変わらない。
残り90%の人間はどうでもいい存在だ。自分の悪口や自分を嫌ったりしてくれて構わない。自分にとってはすごぶるどうでもいい存在なのだから。
論より証拠が必要だろう。こんな性格の悪いアーリーでも友人はいるし、友人には恵まれている人生を送ってきた。
出会って31年になる幼馴染1人、高校時代からの友人6人とは、いまだに交流もある。一人を除いて既婚者だが、大型連休では全員集合してワイワイ楽しんでいる。
こんな性格の悪いアーリーでも友人はいるし、それどころか友人枠が埋まっていて新しい友人が作れないくらいだ。
しかもこの友人たち全員、自分と喧嘩したことがある。もう一度言う、友人たちとは何度も何度も喧嘩したことがあるし何度も対立することはあった。
幼馴染に関しては思いっきり腹部を殴られたことがあるし、自分も何度もやり返して嫌がらせをしたりしている。それでもいまだで交流関係は続いている。お互い隠し事なしの本音で正々堂々正面からぶつかり合える仲だ。あなたにそんな友人はいるだろうか?自分にはいる。
そして、女に対しても本音ぶつけまくって押し付けまくって、嫌われるならその程度だと割り切ってさっさと次に行く。若い時から現在に至るまで続けている。自分を嫌う女なんてどうでもいい。女は無限にいる。
毎日1人の女に嫌われたとしても、世界の女全員に嫌われる前に自分が寿命を迎えてしまう。女は無限にいる。嫌われることを考えてる地点で時間の無駄だ。
寿命を迎える前に次へ行かなければならない。女は無限にいる。
自分にとって「嫌われる事=好かれる事」は幼い頃に気づいていてずっとそれを行なってきた。特に本音を語れば誰かに嫌われる。嫌われたくないなら本音を話さないことだ。しかし、自分はそれをやらない。本音で語って嫌われるのならその程度の関係だと割り切ればいい。
どうせ媚びたり、機嫌をとったりしても関係は続かない。媚びたり機嫌を取るなら自分を好きだと思ってくれる人だけにすればいい。
もちろん、マナーもある。政治もある。それを踏まえて上手くやらねばならない。
「嫌われる=好かれる」は表裏一体でありセットだ。
社会においての歩み方
嫌われてはいけない相手と嫌われてもいい相手はしっかり見極める必要がある。
勘違いしてほしくないのは「嫌われろ!」と言ってるのではなく、「嫌われてもいい相手には嫌われてかまわない姿勢」という表現が正しい。
会社の上司やお世話になっている相手など、自分より立場が上の人や権力者から嫌われるのはデメリットしかない。ここは間違えないでほしい。
嫌われてもかまわないのは
結構たくさんあるけど、嫌われても良い基準やルールは自分で作った方がいい。
嫌われるルールがない人は見ていて、誰にも本音語れないし、誰にも好かれることもない。結果的に誰からも好かれない無難な人間になる。
嫌われるルールがない人は、感情表現が下手だし、文章も無難なことばかり。会話していても退屈だし眠くなる。
誰の印象にも記憶にも残らない無難な人にしかなれない。嫌われることを恐れている人は、実につまらない人生を送っているように見える。
好きな事を言えず、本音を誰にも語れず、感情を出さずに日々を過ごしているのだからストレスも溜まるだろうし、身体を壊すのは当然の結果だと言える。
感情が下手な人は他人に嫌われることを恐れている。感情を表現して自分の本音を語りたいなら、嫌われるルールを自分で作ればいい。
自分は嫌われるルールを作ってあるし、人生の生き方やテーマ(人生の経営理念)が決まっているから嫌われても構わない姿勢を崩さないのだ。
これは他人には作れなくて自分自身にしか作れないものである。間違えても他人に作ってもらおうなんて考えないように。(絶対に後悔するし嫌われたら他人のせいする)
自分から伝えられることは以上。嫌われるルールを自分で作ってくれ。
ドグマさん(@dogmapua666)の【ドグマガvol.137】はもっとわかりすく「嫌われろ」「好かれろ」について詳しく解説されています。
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