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ショートショート2 『全人類ドM化計画』

馬鹿が総理大臣になった。

稀代の馬鹿と言われている男だ。彼の馬鹿っぷりを語るには枚挙にいとまがない。

花粉症に悩んでいた彼はその憤怒を抑えきれず、スギの木をマサカリ担いで切りに行ったが、逆に花粉症が酷くなったというし、自分の身体に過剰な自信があって、鼻にごぼうを入れたかと思うと、ケツからにんじんを出したりしたこともあった。

そんな馬鹿な彼であったが、何事にも、一応真面目ではあるので、あまりの馬鹿さ加減に呆れられていたものの、周りからは面白いやつだと思われていた。


そんな彼が総理大臣になった。

どんな手を使ったのかは、今となっては闇の中だが、彼が総理大臣になったら面白いだろう、という中学生の考えるようなノリがたまたま通ってしまった、ということだったのだろうと思う。


彼が総理大臣になった理由は、たったひとつ。

世界平和のためだ。


かなり漠然としているものの、彼にとってはそれに自分の財産と人生の大半を賭けてもいいと思えるような代物だったらしい。

総理大臣になった彼は、当然、当初の目的である世界平和のために尽力することになったのだが、やはり彼は馬鹿であるから、彼が作ろうとした法律もまた馬鹿であった。

例えば、殺人事件の8割は包丁によって起きている、という彼の立派な推測により、包丁の使用及びその製造を全世界で禁止する法律を掲げたが、拳と歯で調理をしろということか、との批判が相次ぎ、委員会突破ができなかった。

また、食料不足を無くすために、全国民から毎月、米を徴収しようと考えたが、パン派の人からはパンを徴収した方がいいのか?というところに頭を悩ませ、国民投票で国民に信を問おうとしたが、全会一致で否決された。


そんな彼の法案であったが、唯一通った、通ってしまった法案がある。

それが、『全人類ドM化計画推進法案』である。

この法案は、彼の誤った知性がある方向に歪んだ結果導き出された、全人類がドMなら戦争や諍いは起こらないのではないか?という考えに起因するものである。

この法案が施行された翌々年までにドMの数を倍にすることが目標に据えられたため、この計画は『ドM倍増計画』と呼ばれた。


この法案が通った理由は謎だが、よくある恋愛の理論として、『〇〇に一緒に行きたいんだけど、土曜と日曜どっちが良い?』と聞くことで、〇〇に一緒に行くことの可否ではなく、いついくかという点に集中させるというものがあるが、この現象が大規模催眠的に起こったことが原因ではないかと言われている。


彼がそのミッションの達成の為に、ドM倍増計画に則って行った政策としては、まず、罵倒庁を設立し、彼が懇意にしている低音ボイス女子ASMRYouTuberを罵倒庁長官に任命、彼女に職員として約500名の罵倒系ASMR YouTuberを採用させた。罵倒庁の職員に任命された彼女ら彼らは、定期的に罵倒ASMR配信を行い、彼はそれをNHKに24時間放送させた。また、彼女ら彼らの配信アーカイブなどを各自治体に提供し、各種教育機関で流させた。

次に、彼は労働基準法を改正し、六九協定というものを各企業に徹底させた。六九協定とは、午後6時から午後9時までの3時間、各企業において設置を義務付けられたお仕置き部屋において、月60時間を目安に、罵倒庁の出先機関から派遣されたお仕置き執行人によるお仕置きを受けることを労働者と確約したものである。

(これによって、日本の労働生産効率の約7割の向上が見られたという副次的な作用もあった。)

ちなみに、このお仕置き執行人に関しては、事前の面談により、ドMであると同時にドSの素質を兼ね備えた人間を採用し、30時間の調教講習に加えて、2ヶ月の現場実習を終えたプロの調教師である。

(余談であるが、国家資格として、公認調教師の資格を発行しており、ドM倍増計画が実施された2年後には、子供たちのなりたい職業ランキング1位になった職でもある)


このような努力の結果、当初の目標の、2年でドMを倍増させるという数値を大きく超えて、国民のドM率は、80%を突破し、5年後には、ついにドM率が99%に到達した。


史上、稀に見る馬鹿な総理大臣の彼は、ドM倍増計画を実施した結果、大いにその手腕を発揮したわけだが、ドM率が99%を突破して一年後、彼は国会から不信任決議案を叩きつけられ、辞任に追い込まれた。


その理由は、彼がドMではなくなったからだ。


ドM倍増計画の結果、国民のドM率は99%を突破したものの、一方で、国民からは『公認調教師だけでは物足りない』『ドSあってのドMだ』『ドMの奴が多すぎる。私もドMだが』との声が上がった。

公認調教師は、お仕置きの質は高いものの、型から外れた自由な発想によるお仕置きがなされにくく、そのために、脱法的にお仕置きを行う闇調教師の存在も確認され、今や公認調教師よりもその数は多いと言われている。

こういった社会の現状に対し、実のところ、彼も同じような悩みを抱えていた。

『たしかに、ドMは世界を救う存在だが、一方で、ドMを救うのはドSである』というのは彼の言葉であるが、これは世間を大いに賑わした。

ドM倍増計画において、ドMによる『世界平和』、そして『寛容と忍耐』を謳った彼は、ここにきてその理念を捨ててしまった。


つまり、彼はドSに転向したのだ。

彼のドSっぷりは、闇調教師によって性癖を脱法的に歪まされていた国民に大いに受け入れられた一方、伝統に則ったお仕置きを是とする国会には、到底受け入れられるものではなく、不信任を可決されるに至った。



そこから、彼がどのような人生を送ったのかはよく知られていないが、彼はその晩年を生涯の伴侶となった元罵倒庁長官と共に過ごしたと言われている。

彼は最期まで転向したドSを貫いたと言われているが、最期のその瞬間は、かつてドMだった頃を思い出したように微笑みながら、その生涯を終えたという。




おわり。





注.所得倍増計画から名前は取ってますが、池田勇人さんのことを馬鹿と呼んでるわけではないです。計画や理念の名前をそこから借りただけで、それ以外は何も関係がありません。一応。

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