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カフェの散文詩

 ザッハトルテの焦茶と白が、椅子とテーブルクロスに様変わり。周りの話し声に音楽めいた安らぎと、運ばれてきた一杯のコーヒーでつく一息。豆の種類、この香り。それは現在の、現在に対する悦び。午後のひとときをまろやかな陶酔が手に伝わり、今、一編の詩を紡ぎ出す。

  遥かなキリマンジャロ
  晴天の雪やキリンの群れ
  香りは鼻孔から自由になり
  無知という憧れが
  五千メートルの地を熱く照らし
  察しのいいマグが電話になって
  果てない会話を続ける

 熱い紅茶とともに口に入れたマドレーヌから、幼少時代が蘇る人がいるように、味覚や嗅覚は記憶を運ぶ。《薔薇が別の名で呼ばれたとしても、等しくかぐわしいであろう》とシェイクスピア。快感が時間を膨らます。詩がつなぐものは、過去でも現在でもなく。

 言霊のさきわう国の民が〈におい〉や〈かおり〉に込めた語感は、ある所から発したり、そこはかとなく漂うもの。けれど単に漂うだけでは伝わらず、感知して初めてことばになる。カフェの文化が人々に知覚され、ここに薫るように、思索もまた歴史に倣う。

 先の詩の語り手は、二年後にタンザニアの地に立った。キボホテルを出発して二日目、ついに雄大な峰々を仰ぐ。未来を予見させ、導く香りがある。土産に買った木彫りの像が放つにおいすら、旅人の自宅でいつまでも、あの景色へと結ぶ心地よい合図となる。

 アロマから無数の物語がはじまる。この文章もカフェに対する反作用、俳句でいうなら、匂付においづけ
 実際に五感のみ吟行せんと、棚の百科事典、幾多の新聞は浮世の刺激、給仕の運ぶ銀盆は軽く、残り香に颯爽と別れを告げる客に粋を感じ、西も東もない調和を見出し、緩慢な動作に我が意を得る。

  歯にふれる陶器耳よりかんばしく

 サルトルやカネッティが通い、あなたは繻子しゅすのソファーでくつろぐ。感覚はいつも主観的、ましてやこの世界――。


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