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瀬古利彦の凄さを語る

おはようございます!
今回は、マラソン界のレジェンドである瀬古利彦さんの凄さをただただ語っていく回です(笑)
今でこそ、日本陸連強化委員会戦略プロジェクトリーダーとしてマラソンの解説やTV出演でタレントのような活動をされていますが(ホリプロ所属なのでまさにタレント)過去の実績を見ると化け物である。
世代ではないので、僕が生まれたときには引退されていました。
しかし、著書「瀬古利彦 マラソンの真髄」を読んだことから今でも尊敬しています。
それではいってみましょう!

略歴


まず簡単な略歴からおさらいです。
詳しい内容はWikipediaに譲ります。
高校時代
2年生 インターハイ800m、1500m2冠 国体1500m、5000m2冠
3年生 インターハイ800m、1500m2冠、5000m2位 国体1500m、5000m2冠
早稲田大学〜社会人
・福岡国際マラソン3連覇
・ボストンマラソン優勝2回(うち一回は当時大会記録、当時世界歴代3位)
・1983年東京国際マラソン(2時間8分38秒、日本人初2時間8分台、当時世界歴代3位)
・ロンドンマラソン日本人初優勝
・シカゴマラソン日本人初マラソン優勝

いやあ、笑っちゃうくらいすごすぎですね(笑)
2018年川内優輝さんが悪天候のボストンマラソンを31年ぶりに日本人として優勝して話題となりましたが、瀬古さんは2度優勝し、シカゴ、ロンドンも優勝してます。化け物でしょ、、


瀬古さんの凄さは速さより強さ。


瀬古さんの何がすごいかというと、その「強さ」です。
自己ベストは2:08:27(当時日本歴代4位)と圧倒的に速かったわけではありません。タイムでいうと中山竹通さんや伊藤国光さん、児玉泰介さんの方が速かったです。
しかし、瀬古さんの凄さは速さ以上の強さです

戦歴はマラソン15戦10勝。
この5敗の内訳は、大学2年生の初マラソン、同大学2年福岡国際は日本人1位の5位、大学4年時ボストンマラソン日本人1位の2位です。
実質完全に負けたレースは2度の五輪のみ。
同時期の中山竹通さんでも16戦5勝であるからいかに強いのかがわかります。
今の時代と比べるのはナンセンスですが、大迫傑さんは国内外での優勝経験はありません。
まさに世界で勝つ、マラソン大国の名を広めたのは紛れもなく瀬古さんです。
だから、たまに瀬古さんが中継で「今の子は我慢強さが足りない」という表現をし、やや批判を浴びることもありますが、この戦歴を知ると何も返せません(笑)

僕の好きなエピソード

疲労抜きで120分ジョグ

当初、中距離ランナーだった瀬古さんは、長く走ることができませんでした。(確か60分も走れなかったとか)
しかし、(故)中村監督の指導の元、走りながら回復するという方法を叩き込まれます。
疲労抜きjogを30分40分60分と少しづつ出来るようになり、最終的に休みの日に120分jogができるようになったというエピソードが非常に好きです。
この話から、【小さく始める】、【継続する】【誰でも苦手がことはある】ということを学べます。

宗兄弟


当時、しのぎを削っていた選手といえば、宗兄弟です。
当時の中村監督が瀬古さんに「宗兄弟は40kmを走ったらしいぞ」と告げ、
瀬古さんが「じゃあ僕は60km走ります!」
また後日に「宗兄弟は80km走ったらしい」
という当時のマラソン界が分かるこのエピソードはとても好きです。
少年漫画のような、ライバルに絶対負けんぞという世界観がたまらないですね

1988年びわ湖の激走


僕の好きなエピソードは1987年の福岡国際マラソンの話です。
当時ソウルオリンピック代表選考会が福岡で一発勝負ということが決定していました。しかし、瀬古さんは故障により欠場を発表。これを受けて陸連が瀬古を代表として出させたいという瀬古救済措置ともとれる、びわ湖の結果も考慮するとルール改定。当時は、たくさんの意見が飛び交いました。
中山竹通さんの「這ってでも出てこい」は有名ですね。(正式には「僕だったら這ってでも出場しますね」とのこと)

そして救済措置を受けた瀬古さんは全国民が注目する中びわ湖で序盤から独走するもタイムは平凡な2時間12分で優勝。
国民を納得する形で優勝できなかったものの、国民の期待と批判、プレッシャーと戦いながら走りきった瀬古さんの精神力に僕はとても尊敬しています。

なぜ瀬古利彦は強かったのか

では、なぜこんなにも瀬古さんは強かったのか。
それは【身体の強さ】【スパルタ練習】【精神力】ではないかと思います。
瀬古さんは、中村監督の元、監禁ともとれる生活に加え超スパルタの練習に耐え抜きます。この超スパルタ練習を可能にしていた頑丈な身体こそが瀬古さんの強さです。
実際に瀬古さんが現役を引退し、SB食品の監督になった際に当時の自分と同じ量の練習を選手にさせようとしてますが選手の身体はもちませんでした。
この【身体の強さ】×【スパルタ練習】で【精神力】がどんどん磨かれていったことで、どんなレースでも力を発揮出来る能力を身に着けたのではないかと思います。(当時は修行僧と呼ばれていたそうです。)

まとめ


今回はマラソン界の偉人について語ってみました。
好評であればまたどこかで偉人について語っていこうかと思います(笑)
僕の好きな中山竹通さんの話はどこかでしたいな。

それではまたお会いしましょう!

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