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悲しみの、モンブラン ~アラフィフ青春ストーリー⑪

今日、義母を見送りました。

家族の誰もが想定していなかった、急展開だった日曜日。
日曜日夕方には病院にいて、家族全員で看取りました。
私は、夫の両親の実家で二世帯で暮らしています。生活実態は別ですが、毎日行き来していたし、ほぼほぼ同居と同じ。
隣から賑やかな義母の笑い声が聞こえるのを、仕事で夜遅く帰宅した時はその声を聞いてホッとしていました。

何が何だか解らないまま日曜から今日まで過ぎていった気がします。
そして、アラフィフになっても知らないことがたくさんあり、いろんなことを学んだ気がします。もちろん今後も手続き等あるので現在進行形です。
やりとりした記録は、別途まとめようと決めましたが、ここでは率直に思ったことを記します。

義母は火曜日から調子が悪く、横たわっていました。
金曜日、息子からLINEが届く。
「ばあばが体調悪いのでちょっと寄って欲しい」
仕事終わり、義両親宅に立ち寄り。
義母は炬燵で横たわっていました。
その時の会話で、義母はしきりに「大丈夫、大丈夫、筋肉痛だから」とお腹を押さえ笑っていました。
「夜また様子見て、辛そうだったら夜間救急ね!」
と伝え、笑いながら、うんうん、と返事。
夫も様子を見に行きましたが、病院へ行くのを断った模様。
土曜日朝、義両親宅に行った時に
「大丈夫?」と聞いて「うん、ごめんね、大丈夫よ。」と答えたのが、私との最後の会話となりました。

~日曜日、朝。
夫に呼び出され義両親宅へ。
義父が救急車要請していました。
意識はなく、口を大きく開けて明らかに素人が見てもおかしい呼吸でした。
救急車、到着。救急隊より、「重篤な状態」と聞かされる。
かかりつけだった病院への搬送は出来ず、救急医療センターへ。
血圧が上がらず、気管挿管をお願いするも、昇圧剤を投入しても、血圧は上がらず…家族揃って見守り、一度義父と息子達を帰宅させて、夫と私で病院に残っていた30分ぐらい後、心停止。
再度、義父、息子達に病院に来てもらい、家族全員揃って看取ることが出きたことは良かったと思います。

義母はこれまでも何度か入院をしました。
初回は、自宅で横たわっているところを私がお邪魔し、義父はどこかへ電話をしている様子。
すると義母が声を振り絞り「今、救急車を呼んだから、ママ一緒に来て」
救急車同乗し病院へ。心筋梗塞でした。ステント処置までに長丁場でした。
次は、朝仕事に行く準備をしていたら、自宅に警察が。
「お母さんが転倒して大けがをしているんですが、救急車に乗ろうとしないので説得してください」
言われて駆けつけたら血らだけの義母が。意識を失って前に倒れてしまい、歯をぶつけ血だらけでした。
「お母さん!何言ってるの!病院行くよ!」
「いや、大丈夫だから帰るよ」と笑ってました。
この時は、不整脈で意識喪失、頭も強打していました。心臓機能リハビリを経て退院。
その後は、救急車に運ばれることなく。

人工透析もしていたので、やはり老化と透析の負担もあったのでしょう。
心筋梗塞後、家族揃って義両親の金婚式をお祝いすることが出来ました。
悲しいかな、金婚式で撮った家族写真が、義母の遺影となりました。
それは、息子(義母にとっては初孫)のアイデアでした。

母の日には、義母に毎年カーネーションを贈っていました。
それは、結婚してからずっと欠かさずプレゼントしていました。
「気を遣わなくていいのに~」と言いつつも、毎年私が贈るカーネーションを自分の携帯電話で撮影し、待ち受けに設定して、と言われるのでそこまでワンセット。
義母の荷物等確認する中で、携帯電話に電源を入れることがあり、待ち受けが今年5月のカーネーションだったのに胸が詰まりました。

日曜から今日、見送るまでの間。
葬儀社との打ち合わせ、諸々の準備、お供え物等の買い物、銀行回りと自転車で走り回り、また、普通に家事をしなければならず、途中1時間仮眠させてと言いつつ結局2時間眠ってしまったり…
我が家は菩提寺があるため、住職との連絡調整まで経験しました。

義父に、何が食べたいとかいろいろ聞いていた中で
「…ケーキ、ケーキが食べたいな。何でもいいから買って来てほしい。…カステラは食べない…」
「あんこ玉は?(舟和のあんこ玉のこと)」
「あんこ玉はいらない。」
「チョコレートケーキでいいです?」
珍しく義父からケーキが欲しいと言われました。
義父もかなり高齢なので、食も細くなり、デザートも以前と比べて食べることも少なくなりました。そんな義父がケーキを、というので夫に頼んで買って来てもらうと、今日食べるのではなく
「明日、終わったらみんなで食べよう」
それまで冷蔵庫に保管。
ケーキと言えば。
義母は食べることが好きでした。ただ透析の関係で食事制限があるため、晩年はそこまで外食もありませんでした。
ケーキは自ら買うことはなく、母の日や父の日に私が購入し、家族全員で一緒に食べていました。
ここ数年は、息子達も土日用事があっていないことも多く、揃ってケーキを食べる機会も無かったですね。

義母との最後のお別れ。
納棺師にお願いをし、綺麗にお化粧していただきました。
旅支度も夫と一緒にしました。
家から霊柩車に乗せる時に、息子達にも手伝ってもらいました。
棺に眠る義母にたくさんの花をみんなで入れて、
蓋棺後、最後に花束を置いたのは私でした。
これまで気を張って走り回ってましたが、花束を置いた途端に涙が出ました。

今日、晴れて良かったです。いい出発となりました。

帰宅し、まずは着替えて楽な格好となった家族で義両親宅へ。
買って来たケーキの箱を開けました。
義母へはショートケーキをお供えして、私はモンブランを選びました。
毎年秋になると『モンブランの神様』が私に降臨し、いろんな種類のモンブランを食べ比べているのですが、今回買って来たケーキは、アンテノール(ANTENOR 銀座)のもの。デパ地下ですが。
お茶を入れて、全員揃って『いただきます』。

モンブラン、美味しかったけど…モンブランの神様は涙されていたようです。心躍るのではなく、今日は重みがあるモンブランでした。

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