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自分軸で生きるってどういうこと

この記事は「創作大賞2023」の「オールカテゴリ部門」に応募しているイラストエッセイの一部です。
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自分軸で生きるってどういうこと

イラスト:nui


とある動画配信サービスのオリジナル番組で、一人の男性が多くの女性の中から運命の相手を見つけるという恋愛リアリティ番組がある。あるシーズンで、選ぶ側の男性が常にこんなことを言っていた。

「家族を大事にしている人がいい」。その方自身が家族を大事に想っているからで、同じ価値観の人がいいという意味だったと今ならわかる。

でも当時の私はショックを受けた。
「家族を大事にできないと結婚しちゃいけないの?」
家族に傷つけられてどうしても大事にできない私は、これから自分の家族を作るという選択肢まで奪われてしまうのかと思った。


家族に関しては今までもいろんなことを言われてきた。
「たまには連絡したら?」
「きっと寂しがってるよ」
「仲良くしたらいいじゃん」
「家を出るまでは大切に育ててくれたんでしょ?」
「お金は工面してくれてるんでしょ?」
「大人になったら仲良くなるよ。そういうものだから」


全部文字通り一蹴したくなる。彼らはどうにかして彼らの「型」に嵌めようとしてくる。

彼らの納得する返事をするまで問い詰めてくるし、理想の形から外れるそんな恐ろしいものの存在は認めないぞという勢いさえ感じた。

一生懸命説明して、それでもわかってくれなかったとき、初めて私は思った。

「誰かを納得させるために生きてるんじゃない」

今までは他人を納得させて自分を認めていた。

褒められたか、役に立ったか、受け入れてもらえたか。それは他人軸で生きていることになる。
他人軸で生きているからこういう悲しい気持ちになる。
自分がこれでいい、と思ったらそれでいいのに。それが自分軸というものだと気づいた。

モーパッサンの「紐」というお話を知っているだろうか。
道端の紐を拾った農夫が、その姿を見ていた町の人から「財布を拾って懐に入れていた」と濡れ衣を着せられる話。

のちに無実だったとわかりほとぼりは冷めるけど、農夫は濡れ衣を着せられひどい仕打ちに遭ったと町の人たちに話して周り年月が流れる。

農場は荒れ、床に臥した農夫は最期の時まで紐を握りしめ、紐のために人生を無駄にしたことに嘆きながら息を引き取ったという。
弁明し、他人を納得させる時間がいかにもったいないか気づかせてくれる話。


「家族を大事にしてる人と結婚したい」も、「家族を大事にできない理由をわかってくれる人と結婚したい」も、どちらも尊重されるべき価値観。

棲み分けをして、ただその事実を受容すればいい。お互いを納得させる必要はない。

誰かが納得しなくても、自分がいいと思えばいいのだ。分かり合えない者同士弁明する時間は勿体ないしする必要はない。

納得できなくても「あなたはそういう価値観なのね」と認め合えばいい。

だから誰かの価値観に振り回される必要もない。

もっと主体的になっていい。
自分の信念、心地よいもの、こうありたいと思う生き方に沿って選択・判断すること。それが自分軸で生きるということなんだ。



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