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自殺と「魔」の関係

皆さんは「死にたくなったこと」はありますか?
YESの方、どうかご自分を責めたり、恥じたりしないでくださいね。

ただ、、その気持ちを放置してはダメですよ。死にたくなった、その気持ちの理由、見えない世界で起きたことについて、少しお話します。

まず、あなたの心、感情は、本当にあなたのものですか?心の中には、絶対に他の意識は入っていないと断言できますか?

断言できる方、要注意ですよ。心の壁の隙間から、「魔」と呼ばれる存在は入り込むのですよ。ほぼすべての人間には魔が入っているのですが、その魔の種類によって影響の及ぼし方が違うのです。

その中でも、特に今注意しなければいけないのが、負の方向に私たちの行動を引っ張る「魔」です。

時々見かける最悪のパターンが、「人を死に向かわせる魔」で、自殺へと追い込む非常に悪質な存在です。

全ての「魔」に共通することは、彼らは人間の心の隙をついて、「幻覚」を見せてくる、ということ。

心を「今」から引き離して、辛かった過去から未来への不安を創り出し、その偽のビジョンを見せて、人の心を追い込み、死へと誘導する、、という方法をよく使うのです。

過去、未来というビジョンを創り出しているのは、自分。正確には、自分の中に入り込んだ「魔」である、ということ。神様の世界、ありのままの魂の世界には、時系列が全くない!のだから。

「自分を死に導くシナリオ」はあなたの気持ちではなく、「魔」という悪意をもつ意識体がつくり、あまたの心にばら撒いた「外来」のもの、ということを絶対に忘れないでくださいね。

あなたの魂が、向こうの世界に還る、と決めて肉体を終わらせると決めることもありますが、その時は、不治の病気、という形ででできたりもします。

「死」のすべてが、「魔」によるものではないのですが、自殺や他殺等は、心に入り込んだ存在による影響の結果・・・であること、多いのです。
「死にたい」という気持ちそのものが悪いとは思いませんよ。

人生の終わりに想いを馳せている時は、「生きていることの意味」を探している時だ、と思います。

「生きていることに意味はあるのか?」という問いに対して、神様の答えは「生きているのは、生きる為」???という謎のお返事があり、私にも意味不明なのですが、、一つ一つの目に見える事象の中に、意味などない、ということなのかな、なんて自分なりに捉えています。

ただ、神様は、私たち人間に「結果」を絶対に求めないのです。

結果が欲しいのは、人間だけ。

過去と未来の幻をみて恐れるのは、希望した結果とのズレが怖いから。。ではないでしょうか。

ちょっと脱線してしまいましたが、、大切なことなので、繰り返します。

「死にたい」と思い行動に移したくなる時は、それは、あなたではありませんよ。魔にコントロールされていますよ。

「あ、、魔物に喰われそうになってるな。入られたかな。自分じゃないかもな。」と冷静になってくださいね。

この、人を死に誘う魔は、心に長期滞在は出来ないのが特徴です。一呼吸おき、冷静に、幻が過ぎ去るまで待てれば、蒸発していきます。

それまでの間、苦しい時、孤独な時は、ご自分の住まいの氏神様、お好きな神社、ご縁を感じる神社さんの境内に逃げ込んでくださいね。
「死の魔にやられそうだから、どうか、助けてください。」と素直に神様にお願いしてくださいね。

神社の境内は、唯一「魔の波動」が届きにくい場所ですから。

今の季節は、肉体と心、魂、の同期が乱れやすく、色々な存在の影響をうけやすい時期です。

なんでも、「一呼吸」おいて、少しペースを落としてお過ごしください。

大丈夫、あなたは護られています!





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