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「自分のことが分からない」を抜け出せたのはランチのおかげだった

自分の頭で考えず、
自分の言葉で話さず、
自分の気持ちを抑え込んだ。

あの頃の私は、一体”誰”だったのか。


割と最近まで、私は自分の気持ちが分からなかった。

理由は色々あるのだけれど、最も大きな原因は閉鎖的な小学校時代にある。
小学校入学後すぐに仲良くなったお友達が、支配的なタイプだった。
その子と同じでないと、「変(へん)!」の一言で切り捨てられ、仲間外れにされた。

小学生にとって、小学校は良くも悪くも社会の全てである。
仲間外れになりたくなければ、従うほかない。
そんな恐怖の統制に屈し、私は自分の気持ちを無視して、彼女に従うようになった。

それは実は楽なことでもあった。
食べたいお菓子も、文房具のキャラクターも、「〇〇ちゃんと同じ!」ものを選んだ。

わたしのなかの、気持ちを感じる神経は、細くなり、次第に見えなくなった。

気持ちが分からない。とはどういうことか。

気持ちをきかれると、はて? と止まってしまう。
私は何を感じているのか、と頭が考えはじめる。
それは思考であって、感情ではない。ということも分からなかった。

当然、感想文や作文が苦手だった。
出来事しか並べられない。楽しかった以外の言葉が出てこない。
それもそのはず。
だって、何を感じているのかが分からないのだから、書けるはずもない。

自由にしていい、好きなものを選んでいいと言われるのが一番困った。
自分が何を好きなのか分からない。
誰かに決めてほしかった。
制限がないと動けなくなっていた。

進学した大学は、とても自由だった。
私は大いに困った。
選べない。選ぶ基準が私の中にない。

出会った友人たちは、好きなことや目指すものをはっきり持っている人が多かった。
私には私が分からなかった。

その上、嘘をつけない性分なので、就職活動にはとても苦労した。
業界が選べない。何をやりたいのかが分からない。

目の前のことに一生懸命取り組む。
その特長だけを握りしめて、なんとか会社員になった。

30歳を過ぎたころだった。
私が自分の気持ちを感じられるようになったきっかけは、1冊の本だった。
近藤麻理恵こと、こんまりの「人生がときめく片づけの魔法」

ものに触れ、自分の心がときめいているかどうかで判断する。
私が失って久しい感覚だった。

やってみようにも、自分自身の心の声はあまりに小さく、聞き取るのに骨が折れた。

こんまりメソッドに着想を得て、リハビリのように取り組みだしたことがある。
それは、「ランチに何を食べたいか」を、からだに問うこと。

幸い、おいしいものは大好きだった。
でも、それまでは、食事もすべて頭が選んでいた。

「仕事が忙しいから、片手で食べられるものがいい」
「昨日はおにぎりだったから、今日はサンドイッチにしよう」
手っ取り早く、最寄りのコンビニに行く。
棚に並んでいるものから、カロリー表示と価格を見て選ぶ。
野菜が足りてないから野菜ジュースを足す。
パソコンを見ながら、飲み込むように食べる。

食べることも機能性重視。
情緒的価値などなかった。

そして、それは内側を摩耗させていた。

食事の選び方を変えた。
何が食べたいか、からだに問う。
胃がつかれていないか。
さっぱりしたものがいいのか。
あたたかい汁物を飲みたいのか。
ちょっと力をつけたいのか。

そうして選んだ食事を大切に食べることにした。

食べるのが早い私の1回の食事は20分にも満たない。
多くとも1日3回の、貴重な食べるための時間。
そのわずかな時間を、惜しむようにケータイを見るのはやめることにした。

からだの声を聴いて選んだ食事。
手を付ける前に、まず眺める。全体の彩りや野菜のつやを見る。
次に、においをかぐ。
だしやソースの香りが、体の中に広がって、浸透していく。
そして、手を合わせる。
「いただきます」
一口目を口に運ぶ。

これだけのこと。
たった15秒の習慣。

だけど、これだけのことが五感をよみがえらせる。

私は今、何を感じているか。
からだと心の声は、次第にはっきりとしたものに変わっていった。

快か不快か。
ざっくりとした大くくりから
より詳細に自分の好みが分かるようになった。

そこから、
洋服選びが変わった。
買い物の基準が変わった。
時間の使い方が変わった。
最後には仕事も住む場所も変えてしまった。

消費するだけでなく、自分も生み出したいと思うようになった。
今やっと、少しずつではあるけど、自分の人生が始まっている予感がある。


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