「ワクワクすること」=「本当にしたいこと」

週に一度の研修。
朝から行く予定だったけど、背中と胃が痛い。
Āsana practiceの時は痛くないけど、最初の6つで疲弊。
身体じゃなくて、気持ちが硬くて苦しい。
家の中は動けるけど、研修に行く余力はない。

少しでも家をキレイにすれば落ち着くかなと、いくばくかの物の処分。
本も、壊れた家電も、引き取ってもらう。
落ち着かない、そりゃそうか。

何もする気になれなくて、ほっこりする話を…と手に取って読んだ小説。
主人公が友人と金沢に行く。
おいしいものを食べて幸せそう。
ご当地の和菓子に感動している。
金沢は和菓子が有名、日本三大菓子処のひとつだそう。
(あと2つは京都と松江!)
それを読んで、涙が出てきた。
自分もここへ行きたい。

さらに、「鈴木大拙館」へ行く。
静寂の描写が。
彼の地で体験したい。
日本の禅文化をアメリカ、さらには海外へ広めた鈴木大拙先生。
ただの学者ではなく、ご自身も修行をなさっている、いわゆる実践者。

何故自分はこんな思いでここにいるのか。
安定のため?
安定ってなんだろう、金銭?病気や怪我をしたときの保障?
今の働き方でもし怪我や病気をして、本当に保証されるのだろうか。
そのために我慢して日々を過ごすのだろうか。
それは人生を生きているのだろうか。

ほっこりするつもりが、図らずも声をあげて泣いてしまった。
押し込めていた感情があふれ出た。

先日、友人と話していた時のこと。
「ワクワク、楽しみって何だろう?」
すぐに答えがでなかった。

したいこと?
寝転がって本を読んでいたい。
リゾート地で寝そべりたい。
森の中で静かに過ごしたい。
「それ全部引きこもってない?」
その通り。
何もせずに引きこもりたい。

それはワクワクすることか?
否。

では、「ワクワクすること」は?
とっさには何も出なかった。
かろうじて、
「旅行したい」
インドにはまた行くから、行きたいから。

その次が出てくるまで時間がかかったが、友人は付き合ってくれた。
何とか出た答えは、
「新しい体験がしたい」
ただし、その場ではそれ以上思いつかなかった。

帰って一人になってもずっと考えていた。

そうだ、知らないことを体験するのが好きだった。
工場見学も好き。
旅行も新しいものを見ることができるから好き。
趣味として続かなくても、ちょっと触ってみるのはワクワクする。
それが一生や長い付き合いになるものであれば、宝物になる。

例えば、yoga practice.
Ashtanga yogaがなにかも知らずに、よくぞ教室を予約して飛び込んだ。
えらい、数年前の自分。

もう熱心にはしていないが、着物は一人で着られる。

スペインはスペイン語を勉強するきっかけにもなったし、バルセロナは好きな街のひとつ。
ガウディの建築物は、最初なんじゃこりゃと思っていたけど、数回入るうちに、実はかなり細かく作り込んであることが実感できて、感動した。
あれは手すりや建物を触らないと一生分からなかったと思う。
スペインは、地域によってご飯も文化も違う。
酒を飲んでいたころは、シェリー酒が好きでヘレス・デ・ラ・フロンテーラにも2回行った。
セビージャの近くで、一日その街につぎ込んだ。
今でも、作り方やシェリー酒の種類は言えるし、おすすめできる。
サン・セバスティアンでスペインバスクのシードルも体験。
噴水のように出てくるシードルを受け止めるのが楽しかった。
フランスバスクに比べて、糖分が少なく辛口。
ご飯も、酒飲み仕様(笑)

ああ、出てくるじゃないか。
いつの間にか蓋をしていた。
余裕のある仕事を選んだつもりだったが、それは時間的拘束においてのみ。
精神的拘束がきつくて、知らず知らず閉じ込めていた。
そこに気付いて、また泣いた。

この気づきと涙、忘れてはいけない。
ここから、どうやって生きていくか。
今日からが始まり。

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