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シャカイジン

「テープハ ミギ'シタ'ニシテ ッテ イッタデショ! ソノホウガ 'キョウド' ガ デルンダカラ!」 「テープは右’下’にしてって言ったでしょ?その方が強度がでるんだから。」 「いや、どこにつけたって同じでしょ。私には違いがわからないです。」 「センパイ ニ サカラウ ナンテ、'シャカイジン' トシテ アルマジキ コウイ ダヨ!イワレタコト ハ 、 'ハイ!' ッテ イッテヤレバイイノ!」 「先輩に逆らうなんて、’社会人’としてあるまじき行為だよ

    • 男女の友情、わら

      男女の友情か~、成立すると思ったことないな。 一時的になら、ね。 人と人だし、男性・女性関係なく、基本的にあまり長くは続かないや。 「この人とは、きっと10年先も友達だ!」と思ったときが、その関係のクライマックスというのはよくある話。その絶頂を向かえたら、あとは下るだけだね。 飽きるんだよね人って。愛し合うことに移行できなければ つまり愛せなければ つまり愛されなければ、 可愛いところだけじゃなくて可愛くないところを認め合えなければ、ただ窮屈な関係となる。 情緒不安定なん

      • 私は人間

        自分の老いを如実に感じる。2年前とは肌の感じが違う。お酒も前の方がたくさん飲めた気がする。 まだ24歳?いや、もう24歳…。 母親が私を産んだのは26歳。 まあ、嫌でも気にしちゃう。年齢を考慮しなくてもふとした瞬間に「あ、子どもほしいな」と思うから、本能的にそういう時期なのだと思う。小さい子どもがいくら電車で騒ごうが、大浴場で顔にばしゃばしゃ水をかけてこようが、全然イライラしなくなっている自分がいる…。むしろかわいいなと。もともと子供は嫌いだったのに。 周りの友人に聞いても、

        • エヴァ、こういうことを考えながらみていた

          シンエヴァンゲリオンを観た上で、今までどのようなことを考えながらエヴァをみていたのか書こうと思う。 漫画版のエヴァンゲリオン第一巻でのインタビューに、「『新世紀エヴァンゲリオン』には、4年間壊れたまま何もできなかった自分の、全てが込められています。」という庵野秀明監督の言葉がある。このインタビューは版を重ねる中で削除された。この言葉と本編を照らし合わせると、鬱々として苦しんでいた過去を昇華させるために作ったのがエヴァだったと考えることができる。エヴァが誰に響くか皆目見当がつ

        シャカイジン

          渚カヲルは何の象徴なのか考えてみた

          シンエヴァンゲリオンを見た上での考えになる。 エヴァをみていてどうしても何を象徴しているか、正体は何なのかがわからなかったのは渚カヲルだ。Qまでは本当にいくら考えてもわからず、シンエヴァンゲリオンを観にいくまでも渚カヲルのシーンだけフィルムブックで復習していったのだが、シンエヴァまで観たら、やっと少しだけわかった気がする。 アニメ版の方では、渚カヲルは綾波レイに「僕と君は同じだ」と言う。シンジが惚れ惚れするくらいに、彼はシンジのことを愛してくれる。でも人類補完計画のために

          渚カヲルは何の象徴なのか考えてみた

          人は死に向かって生きているのに、歳をとるほど死から遠ざかる違和感

           生まれたての赤ちゃんと自分を比べたら、赤ちゃんの方が死に近い存在だと思う。  まだ5,6歳の頃、幼心ながらに自分の何倍も生きている大人の存在が不思議だった。ニュースでは頻繁に事故や事件で人が死んでいるし、病気でも人はたくさん死ぬし、死は特別珍しいことではないのに、周りの大人はそれをかいくぐって何十年も生きていて不思議だった。  いつしか日本の平均年齢はだいたい80歳くらいだと教えられ、そのいつかくる死に向かって生きるという意識になる。若さが重んじられ、皆歳を取らないよう

          人は死に向かって生きているのに、歳をとるほど死から遠ざかる違和感

          マッチングアプリとジェンダーと恋愛と

           去年の夏に登録した。結婚願望があって、将来お見合いするなら今始めても変わんないじゃん、と思って。男女問わずに言えることだけど、出会いの場は多い方がいいと思ってたから。  結婚っていう形式が好きだった。助け合うことを許された関係みたいだから。血の繋がりのない他人が同じ家に住み、様々なシーンを一緒に目撃するのって面白いから。  アプリには色々な人がいるけど、メッセージの雰囲気を注意深く見てある程度選べば、普通の人ばかり。様々な環境の中にいる人と話せて面白い。普通に生きていた

          マッチングアプリとジェンダーと恋愛と

          目を覚ましたまま見る夢みたい

          人は到底し得ない出来事ほど、してしまったらどうしようと不安に思うらしい。いつか読んだ本に書いてあった。 授業中、急に大声で叫んだらどうしようとか 電車の中でいきなり人を殴ってしまったらどうしようとか ホームと線路の境界線を一歩越えたらどうなるだろうとか 螺旋階段の手すりの上に立って、手すりの外へ一回跳んだらどうなるだろうとか 希死念慮ともとれることだって簡単に浮かぶ。 なんとなく暗黙の了解で、死に結びつくことは考えたり言ったりしてはいけないことになっている。 で

          目を覚ましたまま見る夢みたい

          トップノートで即決なんてできない

          トップノートが気に入った香水って、タッチアップして肌に馴染ませると微妙になる率が本当に高い〜 逆にトップノートがドンピシャで好きじゃないやつは、時間が経って肌に馴染むといい匂いになる率が高い。 香水が香る何時間かのうちトップは30分くらいしか香らないのだから、やはりトップよりはミドル、ミドルよりはラストが、求めている香りかどうかを重要視しているなあ。 信頼して「香水」を買えるお店わたしの独断と偏見で選ぶ。 シャネル(CHANEL) ロジェ・ガレ(ROGEL&GALL

          トップノートで即決なんてできない

          個性殺

          何者かになりたかったり、大好きなあの子になりたかったり。人は自分じゃない何かになりたがっている。外見に限った話ではなく。 せっかくその人の個性があるのに、殺すことばかり考える。 周りの人間はわたしに優しくしてくれるのに、わたしはその人たちが個性を殺そうとしているところを見ると悲しいし、怒りの感情すら湧く。 自分を変えることの理由が、個性を殺すことではなく生かすことであってほしいとほんとうに思う。 個性を殺そうとするところも人間らしいから嫌いだとおもったことはないけど、