日常生活のヨガ哲学 ーヤマー 非暴力

ヨガには、修練の八支則というものがあり、よく知られるヨガポーズや呼吸法、瞑想などの練習の前段階として、生活の中でやってはいけないこと、自分の為に続けるべき教えなどが書かれている。

その中で言われる最初の教えがヤマ=禁戒。

何か自身に良い行いをしようと思うなら、まずその前に自分を毒している行いを排していくのが先。全ての行いは様々な形で自分に返って来るというカルマの法則がベースに流れている。


そこで教えられているのは


非暴力

正直

不盗

禁欲・梵行

非所有


自分は人に暴力なんて振るわないし、盗んだりもしないし、ここに反する事はしていない!と思うかも知れないけれど。

それぞれがどういう意味を持つのか、具体的に見ていこうと思う。


非暴力

これはわかりやすい例では勿論、ヨギが菜食主義、ひいてはビーガンになる大きな理由である。この世に生けるもの全てに、無用な殺生はしないこと。肉や卵、魚はわかりやすく殺生だけど、それ以前に家畜がどの様に扱われているか、酪農の無理な生産の仕方や、どれだけのエネルギーや飼料、土地や水が使われているかも、是非知っておいて欲しい。そういう考え方で周りの食物事情を考えると、私などは特に日本のスーパーマーケットを見るだけで空恐ろしくなってしまう。


賞味期限が1日過ぎただけで捨てられてしまう食品。

あらゆる食品や日用品に使われているパームオイルが誰の土地と命の上にどのように作られているのか。

「この食品のこの成分が身体にいい!!!」
「今流行っているのはこの野菜⭐️」
という誰かが仕掛けた言葉に一斉に人々が飛びつく為に、どこか世界の反対側の農園で、今までそれを当たり前に食べていた人達が価格の上昇で食べられなくなり、安い賃金で働いている人が一斉に作る作物を変え、出来た作物は大量の農薬を撒かれながら沢山のオイルを使い地球を半周して運ばれて来る。その間にダメになってしまったものはドンドン捨てられ、流行りが終わって人々が見向きもしなくなるとそのままゴミ箱行き。


言い始めたらキリがないね。


私はなにも、この世の全員今すぐ菜食に切り替えて自給自足に戻れ!!!と言いたいわけではない。でも、自分が食べているものは、誰かが一生懸命それを食べてくれる人の事を想って作ってくれたもの、誰かの命を頂いているのだと意識を馳せるのはとても大事だと思う。


食卓にある肉や魚、野菜も含めた命全て。

お店で食べるのならば、まずそこのキッチンスタッフ。

そこで使う食材を運ぶ人。

それぞれの野菜を育てた人。

その肥料を作る人。

家畜を育てている人。

その餌を作っている人。



簡単に言えばこんな感じだろうか。

でも、それをもっともっと考えてみると


お店を開いているオーナーさん。

そのお店を建てた人。

食器やら椅子やらテーブルやら、そこにある全てのものを作った人。

そもそもそれらを形にする為にその素材や物質を発見した人、開発した人、その食品を「これ食べてみよう」と思った人。


自分の口にするものが食卓にこうして上がって来るまでの人の関わりや歴史に想いを巡らせて感謝をする。


「いただきます」はその為の言葉だと思っている。



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