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父と娘の愛


いつかの木曜日の夜。

なぜだか急にフレンチトーストが食べたくなった私は、
夜風の当たるソファに座って本を読む父に
「土曜にでも、おやつにフレンチトースト作ろっか。」
と何気なくつぶやいた。

「うん、いいね。」
と、低く小さく一言返事をすると、父はまた静かに本に目を向けた。

そんなことも頭の片隅においてしまった私は
土曜日にデートの予定を入れた。
午前中から出かけて、楽しい時間はすぐ過ぎて、
帰宅したのは夜遅くだった。

父はもうとっくに寝ていて、リビングだけに灯りがついていた。
お酒も入って体が熱かったので玄関からすぐキッチンに向かい、
お茶を取ろうと冷蔵庫を開けた。

ふと目をやると、冷蔵庫の2段目に、
卵液につけたパンが、あとは焼くだけの状態でボールに入って
サランラップを被っていた。
もうだいぶ長い時間浸けてあるのだと思う。
パンは、卵を吸収して、しなしなになっていた。

その瞬間に、忘れていた自分の小さな一言を思い出した。
おとといフレンチトーストを食べたいと言ったのは私だった。
今日夕方にでも私が帰ってきたら一緒に食べようと思ったのかもしれない。
随分と前から浸けてあるように見えた。


ああ、申し訳ないことをしたと思った。


適当に返事をしたと思った父だったけれど、ちゃんと覚えていた。

でも別にラインで「今日は何時に帰ってくる?」
って送ってくるようなことは、絶対しない。
帰ってこないなぁと思いながら、父は寝てしまった。

翌朝は私の方が早く目が覚めて、
父と冷蔵庫のフレンチトーストを焼いて食べた。

「昨日せっかくつけておいたのに。」なんてことは
何も言わずに、父は普通に食べていた。
多分私がフレンチトーストのことをすっかり忘れて、
誰と居たのかもわかっていたと思うけれど、
何も言わずに、父は普通に食べていた。


父親とむすめとの間にある愛には、
ほかとは、どこかかたちも色も空気も違ったものがある。

恋人との間にある愛とももちろん違えば、
母親との間にある愛ともまた違う。

私はひとり娘で、
「仲良しだね」と言われることも多いけれど
よくパパの文句だってたれる。

ママには1言えば10伝わることが、なぜかパパには2も伝わらない。
何か私が言えばママは言い返してきて喧嘩を買ってくれるのに
パパは、急に無口になって、拗ねてさっと2階に上がってドアを閉める。

ということで、大抵のパパへの文句と彼氏の話は直接本人には言えないから
ママというコーヒーフィルターを通して、少し濾過され水で薄まったものが
パパというコーヒーポットに伝わる。


だから父と娘の間にある言葉は、少ないかもしれない。

でも父は、遠くから、本人の見えないところから、
娘と心ではちゃんと会話しているのだ。
ただ表面には、その気持ちは言葉として数多く出てこない。


フレンチトーストのエピソードは
私から見る「娘の父」の姿を、よく描いていると思った。

誠実で、
約束を絶対に守り、
娘のしたいことは小さなことでも叶えたいと願う、
娘の喜ぶ顔が見れたらなと、娘が大人になってもいまだに考える。
でもそれを表現するのは下手くそで
口数が少なく、何も言わない。

自分とは違う男性の元にいずれうつっていくのを分かっていて、
そんな男性が娘にいてくれるのは嬉しいけれどやっぱり寂しくて、
自分よりいい男であってほしいと思いながらも、敵対心は持っていて
若干その男が、気になるけど、気にならない、けど気になる。
なんとも複雑な、説明も難しい感情を持っているのだと思う。

それでも、もう娘と2人で過ごす時間も少ないかもしれないと腹をくくって
そうしたら小さなことでも二人の時間は大切にしようと最大限頑張る。
その気持ちを口では言わないけれど、
父はフレンチトーストに託した。

でも結局、自分のフレンチトーストは
その時は娘の彼氏に負けてしまったわけで。

娘の彼氏なんて余裕、「嬉しいよ」なんていう顔しながら
中ではガラスのハートに大きなヒビが入っている。

けれど、娘の幸せを願っているから
何も言わず、何も聞かず、ただただ
彼氏>フレンチトーストになった不等式を噛み締めながらも
翌日、とりあえず「美味しい」と、娘と一緒に食べる。

こんな感じだから、
娘も、どれだけ父に文句があっても憎めないのだ。

優しく、実直で、口数は少ないけれど
娘が好きだという気持ちはまっすぐ過ぎるほど。

自分も自分で、娘に愛を伝えるために
小さなことでも一生懸命に形にしようとする。
それでも、たまに娘に気づいてもらえないこともあって
彼氏に限らず、母親や、友達、そのほかの周りの人たち、仕事などなど
自分よりも優先されてしまうものも多くある。

でも、娘が楽しいならそれでいいと、見返りを求めない。
それでも娘が必要な時には、静かに大地のように、どしっとそこにいる。


そんな父親の姿は、
娘が赤ちゃんで、父がまだお兄さんのようでも
娘が大人で、父がおじさんでも
娘がいい大人で、父がおじいちゃんになっても
変わらないものなのだ。



ママと、その最愛のお父さん(私のおじいちゃん)に捧ぐ

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