noteへ。
投稿をお休みしている間、他の方の記事を読みにいきました。
充電期間の為、noteを開くことも、コメントも自粛しようと思ったけれど、読むこともやめてしまったら、もう戻れない気がして、限られた時間で読ませてもらっていました。
読んで共感することや学びや楽しさもある分、素晴らしい記事の数々を読むと、多くを持ち得ない私は何を書けばいいのだろうと、思い悩んでいました。
素晴らしい記事というのは、すごいことを書いてるという解釈ではなく、その人らしい思いを気負わず表現したり、書き続けていることがわかるというような私の感覚です。
noteの魅力に惹かれ、夢中に書き続けて頭の中が空っぽになった私は、書き続ける意味を見失いかけていました。
もう書けなかったとしても、この短期間で投稿した記事は、楽しみながら夢中で書いたのだから、そんな自分を褒めてあげようと受け入れてみたら、ちょっと気がらくになりました。
以前投稿した記事に、SNSを始める前の私は、どんな素晴らしい記事も、涙を流しながら共感し読んだ記事も、ひとりで読んでいたと書いたことがあります。
コメントしようなんて思わなかった。読んでることも知られたくなかったような。
読む専門だから、♡リアクションなんてものも、深く考えずスルーしてたし。
それが、書く側に回ると、記事を読み、共感してることを伝えたくなり、励ましたくなってみたり。あ!!♡押さなくちゃ、とかね。
なんなんだ、この豹変ぶり。
毎回夢中で書き上げた渾身の記事を投稿するけれど、夢中の夢の中から覚めると、なんでこんなこと書いてんだろう・・と我に返り、まさに一喜一憂。
そんな中、夫にぼやいてみたことがありました。
「書くことも、読むことも必要なくて、noteも必要なく生きていける人なんて、たくさんいるのに(大げさですが…)どうして書くんだろうね」
すると、
「何か、証を残したいからじゃない。人は誰でも、自分が生きた証を残したいもんだよ」
生きた証!???
ちょっと。いくら何でも、それはオーバーじゃない!??
そりゃあ、私は40代ですけど、そんな証を残すにはまだ早すぎじゃないか。
予想外の返答に、その場は鼻で笑ってました。
でも、しばらくして思い直しました。
生きた証か・・
確かにね。
これまで書いた記事は、私が生きてきて経験したことや、心境を綴っていて、それは生きた証なのかもしれない。
証とは言わずとも、自分自身が振り返る為に書き記していくものでもあるし。
♦
noteを書いている方の中に、現在、病と闘っておられる方がいます。
私の記事を読みにきてくれた方を読みにいくと、本当に大変な状況下で記事を書かれている方もいます。
偶然読んだ記事で、子どもがまだ小さい中、記事を書かれた母親の方がご病気で自由に動けず、入院中に投稿されている方の記事を読み、朝から号泣して涙が止まらず、夫を驚かせたことがありました。
そんなつらいことがある方にも、なにもできない。
そんな時、ふと見渡すと私の周りはやはり元気な人たちばかりです。
一番身近な夫も今のところ健康と呼べる体なので、聞いてみました。
(少なからずこれまで病気やケガはあった前提ですが・・)
私は、自分の体に障がいがあるから、ある意味、健康の大切さ、病を持つ人への気持ちが分かるけれど、不自由がなく健康な体からどのようにそのことを理解するのかと聞くと、少し考えて、「 怖さ 」と言われました。
いつか自分も体が動かなくなるかもしれない。
それは手かもしれないし、他のところかもしれない。
体が不自由な人の気持ちは分からないかもしれないけれど、想像することはできる。
分かりたいと思うし、それは想像することで、知ることができる。
そんな中でも相手と自分の間に薄い一枚の膜を置いて、引き込まれないようにしないといけない。
あなたはあなた。わたしはわたし。
それは、自分軸でもあるけれど。
それが返ってきた答えでした。
それを聞いて、健康な人や、何も不自由なことがない人をうらやましいと思ってきたけど、不自由な体を好きで選んだわけではない私と同じで、健常者と言える夫も選んだわけではない。そういう意味では、夫も私も対等なのかもしれないと思いました。
障がいでも、大小ある中、簡単に語ってはいけないと思うくらい、苦しんでいる方もいる。
なにもできないかもしれないけれど、私も想像してわかりたいと思うから、苦しくなり、涙を流したりするんだと思うんです。
誰もが、ちょっとでも寄り添い、考えることをしてみたら、偏見や差別が減り、やさしさにつながることで、少しは良い世界になるんじゃないかなと思いました。
一人の思いが小さくても、それが大多数になると、何か大きなことにつながるかもしれない。
noteって、
そういうことが可能だし、人の心を動かせるんだから、すごいんだよ。
まだ始めたばかりだから、こうして戸惑いながら、前に進めないのは仕方ないのかもしれない。ちょっと用心深くなりすぎたり。
書き続けていく事で、この気持ちはきっと解消されていくのだろう。
多くの言葉も、賢い立派な言葉も使えないし、自分で考えていることを書き出しているだけだけど、書くこと、文字にして表現できるって、いいよ、やっぱり。
きっと、こんな気持ちもnoteだと、一方通行で綴れるからいいんだよね。
LINEやメールだと返信期待するし、noteはただ文章として綴りたいだけだしね。
でも確かなことは、私にとってこの場所で書くことが、日常の活力であり、モチベーションにつながるということ。
書けなくても手元にいてくれるnote.
いつでも書かせてくれてありがとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?