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16. we're sleepy on a rainy day

 雨の中、彼の車で病院へ。受付開始前に着き、いつも通り順番に椅子に座って待つ。彼は少し離れた付き添い者席に、畳んだ二本の傘を持って座っている。今日は中央処置室からCT室の指示だった。
 前回、軽度の合併症が出たとの問診票に中央処置室の看護師さんたちがざわついていた。
「今日は太めの針を入れますよ。大丈夫ですか」
「怖いです」
「緊張しますよね」
 前回はどうだったのか、先生はなんと言っていたのか詳しく聞かれる。先日の血液検査で腎臓の値は問題がなく、予定通りアレルギーを抑える薬が投与された。点滴ポールを左手で押しながら看護師さんと彼に付き添われてエレベーターで二階のCT室に向かう。
 検査着に着替えていなかったので心配だったのだけれど、やはり撮影の前にプラスチックのアジャスターが付いたキャミソールを脱がないといけなかった。カーテンの仕切りの中、看護師さんに手伝ってもらい、キャミソールのストラップに何度か腕と手、ルートと薬剤を通して脱がせてもらう。針が刺さっている腕をこんなに動かしたのは初めてで少し痛かった。
 CTの機械に横になり、最初は単純撮影をする。とうとう造影剤が入るとき、中央処置室で針を入れてくれたベテランの看護師さんが駆けつけてくれたので少しだけ緊張が解れる。音声のアナウンスに従って息を吸い、数秒止める。前回は息を止めたまま落ちそうになったのだけれど。今日は大丈夫だった。撮影技師さん、看護師さんたちに何度も声をかけてもらい、何事もなく撮影は終わった。
 中央処置室のベッドが空いていないので、通路の椅子に座ったまま生理用食塩水の点滴を受ける。さっきのベテラン看護師さんがタオルケットをかけてくれた。病院内は寒かったことにに気づく。座ったままなので落ちそうになるタオルケットを彼がかけ直してくれる。少し眠い私は、お礼だけ言って目を閉じた。



 眠っている間に車は、逗葉新道へ。雨粒がフロントガラスを流れていく。パーキングに車を入れ、ダークアーツコーヒーのガラス戸を開いた。ブラウニーだけだと足りないし、サラダ付きのバーガーは量が多いので迷う。食べられない分は彼が食べてくれるというので、ヴィーガンバーガーとブラウニーとラテをオーダーした。彼はホットドッグとコールドブリュー。無事に造影CTが終わったことをコーヒーで乾杯する。
 針が入ったままあれだけ動かした右腕が内出血していないのがすごい。肘の内側だったからだろうか。一度緊急搬送されたときに、手首からの採血で内出血して三週間くらい痛かったことがあるし、キイトルーダの点滴後に内出血したこともあった。
「検査の結果はいつわかるの?」
「来週は点滴だけだから、その一週間後の診察のときかな」
「そっか。きっと小さくなってるね」
「うん。触った感じも違うし、ほとんど痛くなることも無いし」
「点滴は今度で——五回目?」
「そう。最初は数回で済むのかと思ってた——。まだ腫れてるから続くと思う。闘病のブログでね『キイトルーダ四十八回目』っていうタイトルを見かけたの」
「四十八回……」
 腫瘍が小さくなってほしい反面、手術が近づいてくるのが不安だった。彼は副作用を心配してくれていた。初めての投与のときほど熱が高くなることはなくなったものの、下痢や湿疹、歯茎からの出血、腫れなどが続いていた。噛みづらい割には食欲があり、一時期減った体重も増えてきている。百六十センチ、五十キロ。BMIは19.5。免疫が下がることを考えるともう少し体重があったほうがいい、と彼はいう。痩せているほうが免疫が低いのだろうか。
「怜(さと)ちゃんは野菜やフルーツが好きだから、もう少しタンパク質を摂るといいんじゃないかな。外ではヴィーガンメニューを選びがちじゃない」
「そうだね。スイーツが大好きだから野菜を多くしてバランスを取ってるつもりだった……」
「今はブロック肉の料理は噛みにくいと思うから、挽肉のレシピを増やしてみるよ。豆腐も良いかもね」
 免疫低下。タンパク質。今後は皮膚科と歯医者にもかからないといけないだろう。考えないといけないことばかりでおかしくなりそうだ。何もしなければ副作用でぼろぼろになっていくのだろう。彼の前で考え込みたくない。少しでも笑って一緒に過ごしたい。今日は無事に造影CTが終わったことに感謝しよう。胸の中にできた礼拝堂で手を組む。青く暗い光。モザイクのように散りばめられた白い星や赤や水色のガラス。コンクリート打ち放しの天井を照らす淡い外の光が、胸の中の礼拝堂のステンドグラスと重なる。
「あんたも寝ー」
 家に帰ると猫さんはケージの中で丸くなっていた。手洗いうがいをしてルームウェアに着替える。猫缶を持ってくると、眠っていた猫さんはケージから出てきて私の足元を回りはじめた。
「キッチンで食べるよ」
「キッチンねー」
 ウェットフードの皿の隣に水の皿を置く。音もなく猫さんがごはんを食べる。