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15. maybe it will be okay

 入院前にカラーリングとカットをしてもらったヘアサロンでも無料でいいと言われ、引っ越しのときにお世話になった花屋さんは結婚のお祝いにと、お話をしながら拵えていた花束をさりげなく渡してくれた。私は一度辞退したり恐縮しまくったりしたのだけれど、彼の凜とした姿勢を思い出すと恥ずかしくなる。
 先日は花屋さんはお休みだったので、また切花を選びに行きたいし、短くした髪は伸びるのが早く感じるので、またカットにも行きたかった。
「俺も同じ日にカットしたいから、予約してくれるかな」
 彼と相談して来月の夏季休業中に行くことにした。私の髪は伸ばしっぱなしに見えないショートレイヤーボブになっていた。まだあの部屋にいたころ、彼もカットしてもらっている。あのサロンは上手だし人も内装も好きだから、ほかのサロンを探そうとは思わないけれど、あまりにも前の部屋に近くて少し胸が痛む。前に住んでいたアパートが目に入ってしまうかもしれないけれど、デリにカカオニブ入りマーマレードも仕入れに行きたかった。



 大雨の予報だった日。降ったり止んだりする霧雨の中、バスを降りて傘を開く。採血の結果は、今日も良好だった。
「もう一度CTを撮りましょう」
「え、今日ですか?」
「いえ今日じゃないです。また予定を入れていきますので——ちょっと待ってくださいね——」
 先生はデスクの上のモニターを見ながらマウスを動かしている。
「八月八日はどうでしょう」
「——大丈夫です。普通のCTですか?」
「今度は造影CTを撮ります」
「でも前にアレルギーが出て——」
 前回は、まだ腫瘍が大きく体調が悪かったからアレルギーが出たのだと思う、と先生は言った
「今回はアレルギーを抑える薬を入れてから造影剤を入れますし、その後に飲んでもらう薬も今日処方しますのでね。万が一何かあってもフォロー体制は万全です。安心して検査を受けてください」
 顔の周りや、体が赤く腫れるくらいなら怖くはないけれど、意識が薄れる感じが怖かったと言うと、いまより体調がよくなかったからだと説明される。
「単純CTですと、きちんと写らないこともあるので、頑張って検査して治療していきましょう」
 雨の予報は外れ、会計待ちのロビーから見えるタクシーは陽の光を受けていた。帰りのバスの中で同意書と一緒になっている説明のプリントを読む。
『造影検査に伴い起こりうる合併症の可能性および危険性について』
 前回私に起きたのは軽度の『頭痛、めまい、蕁麻疹、発疹、かゆみ等』。一〇〇人から二〇〇人に一人くらいの頻度で発生するもの。『死亡に至る』のは一万人から二万人に一人くらい。『当院では死亡例はありません』の一文に、いくらか安堵する。ほかにも重度、遅発性の症状が多く、やはり『アナフィラキシー様反応(呼吸困難や血圧低下等)』がいちばん不安だった。
 忘れないように傘を持って、青空の下に降りる。必要だったのは雨傘ではなく日傘だったな、と思いながら新しい処方箋薬局へ。以前通っていた薬局も家の近くで便利だった。インライタが初めて処方されたときは在庫がなく、次の日に取りに行かないといけなかった。病院の近くの薬局に処方箋を出していたら大変だったかもしれない。新しい薬局でもインライタはなかったので、三週間に一度処方される、と在庫の確保をお願いしておいた。
 リビング兼、職場にはグラインダーがあり、一度に六〇グラムの豆を挽いてコーヒーを入れている。私はミルクを入れることもあるけれど、彼はそのままアイスにして飲むことが多い。ふたりで大体一日分のコーヒー。牛乳を入れると下痢がひどくなるので、最近はオレは一日一杯までにして、冷たい飲み物も控えていた。
「八日は一緒に病院に行こう。前みたいに一人で帰らせられないよ。きっとよくなっているから、側で応援させて」
「ありがとう。休めるの?」
「怜(さと)ちゃんの校閲のペースもいいし大丈夫だよ。こっちこそありがとう。助かっているよ」
 細く円を描くようにドリッパーに熱湯を注いでいく彼。いつもの馥郁とした香りが漂う。
「朝から検査なんだよね」
「うん。時間かかると思うよ」
「そっか。帰りはどこでランチにしようか。俺はまたクブスリアさんに行きたいけれど、少し遠いかな」
「八日は火曜日? 残念だけどクブスリアさんは水曜日と木曜日しかやってないの。焼き菓子がおいしいカフェも休みだし、puukuu食堂かダークアーツコーヒーがいいな」
「じゃあダークアーツにしよう。カットに行く日は水曜日か木曜日にしてクブスリアさんに寄らない?」
「いいね」
 先日、お祝いに、とごちそうしてくださったクブスリアさん。今度はダークアーツコーヒーのおいしいラテを楽しみに、二回目の造影CT検査を乗り切ろうと思った。