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23歳の私 ひとりオーストラリアへ

大手のIT企業に入社した私は、
2年働いて、さっさと退職しました。

当時の新入社員は100人。
仲の良かった同期は、みな一流大学の卒業生。
私だけ専門学校・・・
さすが!みな優秀で仕事への姿勢も努力家。

大卒の同期たちは、システム開発という
私の憧れの仕事に就いているのに
私は業務処理。
上司に開発の仕事をさせてもらえないか
相談したら難しいとのことでした。

その悔しさが、飛躍への大きな一歩となりました。

今から30年以上前、オーストラリアの
ワーキングホリデー制度というものができました。
現地で生活しながら働くことができるのです。

飛びつきました。
退職してから3ヶ月後には
シドニーに一人で旅立ちました。

行く前から決めていたのは、
ホームステイ先と外国人のための英語学校。
この期間は3ヶ月だったので、
その先の生活の場所や仕事は自分で探しました。

全く英会話をしたこともなく
海外生活も初めて
そして、ひとり。

マクドナルドに行ったら
フレンチフライが通じません。
ここで発音を学びます。

辞書片手に不動産屋に行って、
フラット(アパート)を契約しました。
まあ言っていることの分からないこと。
生活のため。
何とかしないといけない。
こんな私を相手に親切に
辞書を使って教えてもらいます。
あるいは、ジェスチャーで。

毎晩、辞書を片手にパブにいきました。
毎回、声を掛けられます。
こうして友達が増えていきました。
学校よりも勉強になります。

Duty Free Shopで働きました。
オーストラリア人のスタッフと毎日おしゃべりしました。
おかまちゃんがとても親切に話してくれました。

お金があまりなかったので、
バスでシドニーから何日もかけてバックパックで
旅行をしました。
コンドミニアムには共同キッチンがあって
色んな国の人と知り合いになりました。

オージーの彼はできなかったけど
チャイニーズマレーシアンの彼ができました。
ネイティブな英語を話すので
私にとっては、最高の英語の先生になりました。

オーストラリアを経つ一週間前に
アメリカ海軍の空母ミッドウエイが来ました。
その海軍の男性と知り合い、後に私の夫になりました。

こうして、オーストラリアでの1年間の生活は
数え切れないほどの多くの人々によって
支えられ、教えて頂きました。

オーストラリア人の親切な人たちから
学んだことは英語だけでなく、
豊かな精神など、貴重な体験となりました。

きっと、これをお読みになって

なんてチャレンジ精神が高いのだろう?

なんて積極性があるのだろう!と思われた

かもしれませんね。

しかし、母が心配するほど極めて消極的でした。

人は自分では気づかない要素を持っているんですね。




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