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キスをしよう


有給を取り、注射を打ちに行った。

病院へ向かうバスに揺られながら窓の外の景色をボーッと見ていた。
バスから降りる時、つけっぱなしにしていたイヤホンからカネコアヤノさんの歌声がスッと入ってきた。

「絡まった指をほどくように夜は明ける 瞼の裏で」


ここ最近は歌詞のある音楽を聴けなくなっていたのだが、不思議とこの瞬間は、頭のなかに違和感なく溶け込み吸収されていくのを感じた。

こんな歌詞、どんな時に思いつくんだろう。


そういえば、わたしの体はこの一年で明らかに縮んだ。
職業柄、食事時間が不規則なこともあり、胃のキャパシティに忠実になってみたところ「毎日三食は要らないな」という結論に至った。
ここ一年余りで酒を嗜む頻度も減り、晩酌の習慣もないため、アルコールへの耐性も低くなった(大学生の頃から薄々感じてはいたが、わたしは酒の味というよりは人と酒を交わす空間が好きなのであり、何より肴が好きなのである)。

体重が三キロほど落ち「ちょろいな」などとほくそ笑んでいたら、なぜか足のサイズも縮んだ。
これは測ったわけではなく、体感だ。
ジャストサイズで履いていたはずの靴の中で、自分の足がパカパカ遊ぶ。
近所の靴屋で購入した黒いインソールを敷いてしのいでいるが、やたらむちむちと柔らかく、足裏に吸いつくばかりで、それほど効果がないような気もしている。
はたして、足のサイズが小さくなることなどあるのだろうか。

そんなことを考えている間に、二度目の注射はあっさりと終わった。

花とチョコレートとサンふじを買って帰り、花を空き瓶に生けたところで母から電話。
熱は出ていないか、とか、腕は痛まないか、とか、冷えピタはきちんと冷蔵庫へ、とか、食欲ある時に食べなよ、とか。
母とは、こんなふうに用がなくともたまに電話で他愛ない話をする。
今日は体調を心配して連絡をくれたのだろう。
声が聴けて安心した。

Spotifyで「ANGEL」を流しながら湯を沸かし、映画「人のセックスを笑うな」のユリの如く、とにかくゆっくりだらだらと着替えてみた。永作博美さん演じるユリは、何度観ても最低(誉めている)で、最高にセクシーでチャーミングな女性だと思う。

裸足でベッドに滑り込んだ後は、読みかけの本を読んだり、自分の左ふくらはぎの上で、右足の甲をつるつると滑らせたり、飽きてスラムダンクを観返し号泣したり、なかなか忙しかった。

ここで、沸かしていた湯の存在を思い出した。すっかり冷めた湯を沸かし直してペヤング(シーフード味)をつくった。
湯切りに失敗して麺がシンクに流れ落ち、量が減ったがそのぶん味が濃くてうまかった。

その後、サンふじをサクサク切って蜂蜜でマリネしていたら、ズシンと全身にのしかかるようなだるさを感じた。
これが副反応というやつか。
台風前の低気圧も相まってか、腰も頭も鉛のように重い。
比較的健康体のわたしである。
サンふじ入りのタッパーを冷蔵庫へ収めつつ、おぉ来たぞ来たぞ、などとほくそ笑みながら熱を測ると37.4℃。
平熱は36℃台のわたしである。
肩透かしを食らったような気分になったが、大人しく解熱剤を飲み、泥に沈むように眠った。

意識が戻ると窓の外は真っ暗だった。
全身汗だくだが、倦怠感はすっきりとなくなっている。
なんとなく熱は測らなかった。

グラス一杯の水道水を一気に飲んだら少し頭がグワンと揺らぎ、ツーンと耳鳴りがした。
流しの前でうずくまり、しばらくそれらの収束を待ったのちに熱いシャワーを浴びた。
髪を乾かし、網戸にして、雨の音と冷えた空気を部屋中に満たした。

まだもう一日休みを貰っている。
時間はある。
再び心地良い泥にヌルリと沈んだ。

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