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レプリカだと思っていたものはいつも本物だったと気づいた話

毎週noteを書いていると,日常の中でふと浮かび上がってくる情念をキャッチして対話してみる癖がついた.そうして言語化していくうちに,なんとなくそれっぽい言葉に出来たらそれを自分のノートに万年筆で書き綴って,次のnoteはここから紡いでみようと,未来の自分に託すようにしているのだけれど,後から見返したときにはあのときあれほどの情念が嘘のように容易く消えてしまうのだなと思うことが多い.それでもあの情景を想起して綴ってみると,少しずつ思い出すことができるので,騙し騙し今日も言葉を紡いでみる.

作品を創り続ける人にはきっと一度は考えたり,聞かれた経験があるのではないだろうか.「なぜこうも性懲りもなくただひたすらに何かを生み出していくのだろう.」そして,一度創りあげた瞬間は最高傑作を生み出すことができたと高揚して達成感にひたれるのに,翌日もう一度みてみたら陳腐に見えてしまう.そうやってせっかく創りあげた作品も捨ててしまったり,未完成のまま封印することもよくあるんじゃないだろうか.

そんなうまくいかない経験と,他人から嘲笑によって,いつか手を止めて,遂には筆を折ってしまうと,なかなか手を動かすことができなくなる.再び手を動かすためには,動かすだけの確固たる理由が必要になってくるのだ.自分が手を動かしたところで意味がない,価値がないだとか値踏みして,いつまでも手を動かせなくなる瞬間をおそらく誰もが経験したことがあるだろう.今日はそんな話.

僕たちは最初は創造性の天才だった

ふと,僕は自分が何かを創るときにいつから理由を求めるようになったのだろう?という疑問が僕の頭をよぎった.そうして記憶を辿っていった.幼稚園の頃,僕たちは創造性の天才だった.毎日飽きずに泥団子を作ったり,砂場に砂のジオラマを作ったり,画用紙でクレヨンで絵を描いたりした.時にはそのキャンバスは画用紙だけに止まらず,おうちの壁や,公道の地面だったりした.当然叱られて,一緒に掃除したりしたけれど,大人になった今でも生家にはその痕跡を見つけられる.

僕たちは目に映るもの全てがキャンバスで,手にするもの全てが画材だった.積木で塔を作ったり,お人形で生活を描いたり,レゴで自慢の船を作っては,兄弟に壊されて泣いたりしたものだ.あのときはポートフォリオとして残すことはなかったけれど,卒園する頃にはきっと分厚くなっていたことだろう.

今の僕たちは結局あの頃の延長線上にいるんだ.もっと色んな道具を使ってみたいと思った.クレヨンは鉛筆に変わったり,コンテに変わったり,シャーペンやボールペンに変わっていって,いつしか描くだけじゃなく,物語ったり,歌ったりしたし,泥と水で遊んでいたものが,粘土になったり,木を削ったり,火で燃やしたりするようになった.

でも,なぜだろう.使える道具や,物の仕組みや,作り方をたくさん覚えて,色んな物が作れるようになったのに,創りあげた自分の作品に感動を覚える瞬間も格段に減っていき,それとともに僕らは作品を作ることが少なくなった.自分の作品に価値がないと思うようになってしまったのだ.

誰かの劣化コピーしか作れないことに嫌気が差したんだ

たぶん,その答えは簡単だ.きっと僕らが創ることをやめてしまうのは,創っても創っても,周りの誰かの劣化コピーしか生産できないと自分で思った,それに嫌気が差したときだ.いつからか,僕たちは周りより良い物を創らないとダメだと思うようになったんだ.それはもしかしたら,授業のテストでクラスメートと競わされたりし始めたことがきっかけかもしれない.優だとか劣だとかのレッテルが貼られ始めて,自分が優でないと思い知った時,筆を止めてしまったんだろう.

そうしていつしか,誰かの劣化コピーを創ることに意味を見出せなくなってしまった.でも,僕たちはいつだって誰かの劣化コピーを創っているようなものだったはずだ.泥団子を作り始めたのだって,きっと誰かが始めたのをみたり,母親や先生が教えてくれてから始めたんだ.誰かがやっている姿を見て,自分でもやってみたいと思ったんだ.憧れたんだ.そして,自分でもできることに感動したんだ.作った泥団子の数が当時の僕らの埃だった.綺麗に作れたやつは家に飾ったりしていたはずだ.きっと僕らはそれを繰り返している.

レプリカでも僕らとっては本物だ

思い返せば,何かを始めたきっかけは全部そうだ.ギターを始めたのは,ある日好きになったバンドのボーカルが掻き鳴らしてるギターが格好良かったからだ.ある日絵を描きはじめたのは,ふと見かけた誰かの絵が綺麗でたまらなかったからだ.理解してみたいと思った,どんな景色が見えているのか知りたいと思った,あの時の情動は確かに僕だけのものだ.そして,そうやって作りはじめたレプリカも,僕たちにとってはいつも本物だったんだ.

誰かに憧れて,その劣化コピーを生産しようとも,そうやって奔走し続けているうちに出会った恩師やライバル,仲間と,何かを創りあげようとした日々は唯一無二の本物だ.最高傑作を生み出せた最高の日だって,自分の腕に自信を失って泣いた夜だって,本物の価値なんだ.僕たちはいつだって誰かの真似をしようとも,本物を創り出せる創造力を確かに持っているんだ.

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