イラっとすることは間違わない
鼻くそを放っておけないのは、ひとつの性だと思っています。
鼻くそとは、鼻のなかにある不要なもののかたまり。鼻のあか。
少しでも違和感を感じたら、とりたくなります。
とらずにはいられません、だってずーっと気持ち悪いのですもの。
鼻血が出たあとのかたまりなんて、もう…!!(大変失礼いたしました。)
子どもって無邪気ですよね、とことんむじゃき。
遊んでる途中でも、とつぜん鼻に指をいれる…というより、つっこむ。
いや、さすがにわたしはしませんよ。
(誓って外ではやっておりません、鼻くそとかいきなり言い出したとしても、レディですもの。)
頭のなかでは「気持ちわる…」と思ってはいますが。ニコニコ笑ってじっと我慢。
けれど、大人になればなるほど、違和感をすぐに取り除けないことが増えました。
それは、こころの違和感も同じように感じます。
わたしは毎朝『書くこと』で、自分のあたまのなかを空っぽにしています。
その中で、こころにとって心地よいものほど、実はよくわからないのだと最近気づきました。
たくさんのSNSであふれている「わたし幸せです〜」という情報たち。
ふむふむと思い、試しにマネしてやってみます。優雅にお茶するとか、ちょっとお高い服を買うとか、幸せになるために講座を受けてみる、とかとか…。
しかし、「わたし、幸せ♡」と思っているのか、
そうやっている自分に酔っているのか、もはや分からないのです。
(うん、たぶん、酔っているだけ…。)
心地よい、すき、楽しい、うれしい!
この感覚が既にあいまい。
わたしはわたしのことが、一番わからないのです。
そこに気づき、我を疑うことを始めました。
(あれこれ試したあとなのよー。とほほ。)
しかし、イラっとすることは間違わないのです、ふしぎなことに。
イラっとする一瞬の感情は、必ずわたしの内側から沸き上がります。そう、必ず。
「イラッとしたと思ったんだけど…違った。」
…なんてことはありません。
幸せになりたい。
幸せに生きる。
だからこそ、プラスと考える感情ではなく、マイナスとされている感情に目を向けてみます。
自分のこころのなかにある違和感にも気づいてとりのぞければ…そう、鼻くそのように。
(まだ言うか)
幸せだと感じる感覚を思い出すのかもしれないなぁと思ったのです。
そしてわたしは今日も書くことで、こころのおそうじもすませます。
イラッとするわたしに、感謝!
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