見出し画像

各々の進んだ道が交差した日

初心を忘れないように記録していたオープン前のことをnote用にまとめたものです。
お店の内装全般と店頭に立っている看板を内装屋さんで中学校時代の同級生、岩木屋木工さんが請け負ってくれました。

デザイナーは入れずに、こちらの要望やお店のコンセプト、予算等を伝え、毎日のように2人で打ち合わせをしながら作っていった感じです。子供の頃から知る友人と仕事の打ち合わせをすると言うのは、どこか不思議で楽しいひと時でした。

職人さんとも毎日話をしました。ちょっと面倒くさい客だったかもしれません。

そして、タイル屋さんが、中学校の先輩、クロス屋さんが同級生でした。

この先を読む上で、こちらを読んでいない方は読んでからの方が、より入り込めます。↓


下の写真は内装工事が始まる数日前のもので、いよいよ80年以上続いた島田洋服店がなくなるねってことで、この場所で島田家みんなで食事をした時のものです。

画像1

自分以外の島田家にとって、新たに始まる和食島田洋服店へのワクワクよりも、義父と義母が大切にしてきたお店が姿を変えていく寂しさの方が、この時は強かったのかも知れません。

妻にとっても子供の頃から当たり前のようにあったものが無くなるわけですからね。自分にも何となく寂しさは想像出来る訳です。

因みに、外観は全く変えてないです。下の写真がオープン後のものです。手前に看板を立てただけです。

画像2

内装を作っていく上でも、洋服店時代に使っていた多くのものを残しながら工事してもらいました。

約35年前に建てられたこの建物には、島田家の沢山の思い入れがあり、出来る限り残せるものは残したのも事実ですが、それとは別に自分自身、物が使い捨てのように使われるこの時代に、良い物を大切に使えば、世代を越えて使えることをお店づくりの中で表現したいと思いました。

次の2枚の写真が洋服店時代の写真(上)と、今の写真(下)です。

画像3

画像4


床やドア、ライト等、その他にも多くのものを残しました。2枚目の写真にある今使っているテーブルは洋服店時代に作業台として使われていたものです。テーブルの話↓

さて、いよいよ工事の始まりです。

画像5

画像6

画像7

まだ基礎がむき出しです。1番下の写真には管が通ってます。立ち上がってるのは、カウンター部分です。

画像8


上の写真は今回いろいろお世話になったベテランの職人さん松井さん。板が張られ基礎が見えなくなりました。カウンター上部も形が出来始めてます。


画像9


石膏ボードも張られタイルも張られ、天井にクロスをはってるところです。タイル屋さんは中学校の先輩、

画像10

クロス屋さんは同級生です。

あとは自分達で壁を塗って、機材が入ってと言った感じです。
壁の話 ↓


画像11


厨房設備が入ってカウンターが出来ると、急にお店っぽくなります。

店内で記念撮影。EXILE風。

画像12

そしてたまたま一緒に同じメンバーで撮ったこんな写真が。

画像13


上の写真は地元の富岡八幡宮のお祭り。水掛け祭りと言われたりして結構有名なお祭りです。気のせいか3人とも祭りの方が顔が引き締まって見えるような…


外観を全く変えない分、看板を立てたいと思っていたのですが、自分のイメージをうちの出来る嫁に伝えると絵にしてくれました。上に小さいミシンがのってますね。

画像14

この時点では、どんな材料を使うかとか、色とかも決まってなかったのですが、最終的に同級生の岩木屋木工さんで形にしてくれました。

画像15

画像16


オープン日直前に看板が立ち和食島田洋服店の完成です。


名もなき料理人の店に、店内も店外も置ききれないほどの花が届きました。
僕をとりまく全ての人に感謝しかありません。

画像19

画像20


2016年9月16日、みんなの協力と支え、沢山の花に囲まれ和食島田洋服店が始まりました。


最後に・・・
中学校の同期は320人位いて、先輩なんかを入れると1000人位いて、今でもたまに連絡を取り合うのが、10人ぐらいか、多くても多分20人はいない中、同級生と先輩の3人が僕のお店に関わってくれました。

卒業後、各々が各々の苦楽を味わいながら道を進み、お互いが忙しく中々顔を会わさない時期もありました。

そして、20年以上が経ちこういう形で進んできた道が重なる、感慨深いものです。ちょっと大袈裟ですが、こういうところが人生の面白いところのような気がします。

みんなで作り上げた店です。

画像19

画像20


よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは、年末に地域でお餅つきをします。年末年始の風物詩を繋ぎましょう!