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『その暗闇を撃ち抜いて』

ぽっぷこぉーん 季刊誌PopCorn! vol.3収録
◯月に巣食った珪素知性体を打ち倒す現代ロボットSF

 手が震えていた。
 戦闘中だ、落ち着け、と自分に言い聞かす。
 揺らぐ照準の奥で、味方機が串刺しにされていた。胸部を貫くその矛は漆黒の敵機体のものだ。どろりとオイルが溢れ、味方機の双眸から光が消える。
 戦闘不能。LOST。この戦場における様々なデータがリアルタイムで更新され、ネガティブな文章が次々に弾けては消えていく。残存戦力は。敵機のタイプは。このフィールドでここまで攻めこまれているということは。考えなければならないことは山ほどあったが、敵機は待ってはくれない。破壊された機体を放り投げ、漆黒の騎士がぼくを見据えた。
 『早くしろよ!』
 ヘッドセットからそんな声が聞こえた。掌には汗がじっとりと浮かんでいる。混乱する部隊に指示を出すのはぼくの役割だったはずだが、そんな余裕はどこにもなかった。敵は右に左に射線を外しながら、高速で迫ってくる。
 この一撃にすべてがかかっている。
 ぼくは目をつむって、引き金を絞り――

 『その暗闇を撃ち抜いて』

 『マジ世紀末でワロタ』
 『どこの怪獣映画だっつの。何フィック・リムだよ』
 『もう何やったって無意味だろ常考』
 カタカタと旧式のノートパソコンを叩くと、画面に文字列が流れていく。糞の役にも立たないようなコメントを打っているのはぼくだけではない。似たり寄ったりな無意味なコメントが濁流のように流れていく。暗い部屋。畳の匂い。世界に繋がるネットワーク。ぼくは伸びてしまったカップラーメンを啜りながら、その映像に集中していた。
 月面に存在する『珪素知性体開発研究所』には、ぽつりと白い点のようなものが浮かんでいた。右上に表示された数字の羅列から、ちょうど五年前の映像であることがわかる。白い塊は年月日のカウントが増すごとに徐々に大きくなっていき、やがて研究所を飲み込んでしまった。
 『この頃は可愛かったわ』
 『ぬいぐるみ買ったし』
 『同人育成ゲーも出たよなたしか』
 最初『そいつ』はキモカワ系のマスコットとしてネットユーザーの中でウケていた。白い山椒魚のような姿と、つぶらな複眼。一時期はそれをモチーフにした漫画やアニメも登場した。ひたすらクリックをすることで、『そいつ』を成長させるモンスタークリッカーというクソゲーもなぜか大ヒットした。
 もちろん被害にあった者たちもいただろう。しかし、ぼくたちは、不謹慎だとわかっていながらも、わくわくしていた。ひとつの研究所では飽きたらず、のっしのっしと歩いていくその姿にネット界隈は盛り上がり、次の研究所がいつ食いつくされるのかを賭けたりもした。
 画面は切り替わり、当時のニュースの映像が流される。
 ――我々にとっては、まさに対岸の火事でありました。
 あらゆる物を喰らう珪素知性体、いつしかそれはその蜘蛛のような外見をして『アラクネ』と呼ばれるようになっていた。山椒魚を彷彿とさせるマスコットめいた姿は幼体であると、月からサルベージされたデータ群には記されていた。研究所を一つ食べ、二つ平らげ、アラクネは加速度的にその身体を成長させていく。このころにはまだタチの悪い合成映像だと言う者もいたが、そういった書き込みも、肉眼で月面に白い塊が見えるようになってからは少なくなってきた。
 のっしのっしと歩いていたゆるキャラめいたアラクネは五年のうちに月面に存在する研究基地を食べつくし、あまりにも巨大な、そう、陳腐な表現になるが『怪獣』としか呼べないものと化していた。
 月面の低重力を活かして、その巨体にも関わらずアラクネは細い八本の脚で器用に運動していた。また、自身の身体の一部をエネルギーに転換して推力を得る術もいつのまにか習得していた。アラクネの知性は疑いようがなかった。ほどなく、その宙間移動能力を活かして、月から多少離れた宇宙ゴミを捕食するようになる。
 ――いずれ、地球まで到達しうる力を手にするでしょう。
 記録映像には、専門家の言葉として、そんなテロップが表示されていた。
 近隣に存在する食料をあらかた食い尽くした後、アラクネは延々と地球を見つめるようになった。八本の脚をバーニアとして、月から飛び立ち、ある程度の距離になったら諦めたように帰っていく。ここまでやってくるのは時間の問題だった。資源の少ない月面であれだけ成長する化物が、モノで溢れた地上に降り立てば、もう誰にも手がつけられない。
 兵器による攻撃もされたことがあった。いまとなっては無駄にアラクネを肥えさせたばかりか、そういった兵器の知識すら与えてしまった悪手だったといえる。が、人類は撃たざるを得なかったのだ。放っておけば、いまに地球に到達するだろう。手をこまねいているわけにはいなかった。
 ――これはまさしく災害です。しかし、これは倒すことのできる災害なのです。
 『そろそろ発射時間か』
 『どうしてもっていうから協力したけどさ』
 流れるコメントの裏で、映像が切り替わる。月を目指して駆け上がっていく無数の光のイメージ映像。そして映しだされる二体のロボット。一つは小さく繊細な女性タイプの素体。もう一つは祖国の国旗が目立つ、マッシブな男性型。文字通り、彼らが人類の最後の希望。
 人類叡智の結晶が、月を支配する化物に挑む。
 『つまんね』
 まるでゲームのPVのようなテロップに湧き上がるコメントの中、ぼくの一言が流れて埋もれた。

 ※

 コッペリア。
 端的に言えば、量子通信遠隔操作式ロボット。
 それは、いまの世界にはなくてはならないものになっていた。原子炉内部や被災地におけるロボットとしての活躍はもちろん、簡単な操作をするだけで、社会生活における複雑な動きを命令することができる。ぼくがこの数年間、部屋から一歩も出ずにカップ麺やらお菓子やらを買うことができたのも、コッペリアのおかげ。
 社会に浸透したコッペリアは産業や飲食業で大きく活躍をしたが、サブカル文化の中心も占めるようになっていった。噂では、コッペリアが集まるオフ会なども行われているらしいし、いまやオタクイベントもコッペリアで埋め尽くされているという。外見や体系を自由自在に変化させることができ、その気になれば翼や追加の腕、多脚も再現できるコッペリアは、多くの人の心を掴んでいった。
 動画は、人類の未来を担う二体のコッペリアのうち、一体にクローズアップしていく。
 ――白銀の妖精、ウィクトリア!
 高らかなアナウンスとともに、ウィクトリアと呼ばれる伝説的な機体が映し出される。コメントではみなが熱狂的に興奮していた。顔文字が踊る中、ベッドに横たわる白髪の少女の姿が映った。記者がマイクを向ける。
 ――世界中のみなさんの期待があなたにかかっています。
 ――ご期待に添えるよう、頑張ります。わたしは生まれてからずっと筋肉の病気で、まともに身体を動かすことができません。でも、コッペリアはわたしを自由にしてくれた。世界を歩いて、世界を舞って、世界とお喋りができるようにしてくれた。だから、頑張ります。これからもこの世界が続くように、わたしに出来る最大限のことをしようと思います。
 そう言って、はにかんだ少女。
 静かに目をつむると、ベッド脇のコッペリアが芝居がかった所作でお辞儀をした。流れるようなその動作は、カスタマイズされた専用のマクロと、彼女の頭に取り付けられた特殊なヘッドセットによるものだ。身体の動かない彼女に用意された、脳波によるダイレクトコントロール。ぼくたち一般ユーザーはゲーム機のようなコントローラーを使わなければならないが、彼女だけは意識を直接コッペリアに移して操作をすることができる。
 意識のデータ化、記憶の管理。コッペリアという素体ができたことによって、彼女には莫大な投資資金が集められた。いわば実験動物だ。けれど、その実験は大成功し、彼女はいまやこの世界でもっともコッペリアの操作に長けた人間となっていた。
 『英雄は気楽なもんだな』
 羨ましいという言葉がでかかっていたが、さすがにそれをタイプする気にはならなかった。世界でワンオフの機体、専用の入力装置。スポットライトの下で戦えるその環境。誰からも注目されて――、いまや人類を救う主人公だ。無数のユーザーの犠牲の上に、ウィクトリアの舞台はセットされる。
 続いて、世界二位、マッシブな男性型コッペリア『イカロス』。ズィーク・トライアンフ。名や素性を明かさないウィクトリアのパイロットとはちがい、彼はいわゆるスターとして活躍していた。バラエティ番組にもよく登場し、イカロスの超絶テクニックを披露していた。絶対的な耐久力、圧倒的なパワーで数多くのコッペリアを倒していったが、直線的で力に任せたその戦い方は、蝶のように舞うウィクトリアにいつも手球に取られていた。
 ――俺が出撃するからにはもう安心だ!
 ナレーターが何か喋る前に、ズィークはマイクを奪ってカメラ目線で宣言した。
 ――必ずやつを倒す。ついでにウィクトリアも倒してやるぜ!
 コッペリアの操作にそんな筋肉は必要ないだろうという太い腕でコントローラーを操作し、似たような体型のイカロスがボディビルダーのようなポーズを取った。他にもランク十六位までのパイロットの紹介が行われ、半年前に行われた記者会見の様子も流される。『アラクネ討伐のために、君たちの力を貸して欲しい』と世界でもっとも有名な十六名が、地球上すべてのコッペリアユーザーに対して頭を下げたのだ(ウィクトリアの子のみコッペリアでの参加だったが)
 総勢、一万体。
 冗談のような数字だったが、あの面々に頭を下げられては、コッペリアユーザーとして断るわけにはいかなかった。なにしろ世界を救う手助けができるのだ。コッペリアを格納した無数のカプセルを月面に向けて打ち上げ、ランク十六位までのコッペリアを中心にアラクネを仕留める。他はみな、囮を兼ねてサポートに回る。
 アラクネが成長してから、人類は檻に囚われたようなものだった。当然、宇宙戦の予行演習もできない。時間もなかったため、準備も最低限のものしかできていない。誰も経験したことのない、結果の見えない作戦。
 正真正銘の、一度きり。
 これをしくじれば、後はない。
 カップヌードルの汁を飲み干してゴミ箱へ放り投げると、画面はちょうど打ち上げの様子を映していた。さらに衛星からの映像も。無数の希望の光が、星屑となるためだけに打ち上げられていく。月面基地は壊滅状態だ、帰ってくる手段などはじめから想定されていない。
 ぼくは高校の頃から使っている旧式のコントローラーを握りしめる。あの光のどれか一つのカプセルの、小さな一ブロックと繋がっている。コッペリアと視界を同期するためのヘッドセットをつけた。もちろん真っ暗で何も見えなかったが、じわりと掌に汗が滲んだ。
 多重表示させている動画のコメント欄も水を打ったように静かだった。

 ※

 『なんじゃありゃ!』
 『おい、ふざけんな! 聞いてねえぞ!』
 二十分後、そんなコメントが視界が濁流のように流れていった。まったくの闇の中で到着を待っていたぼくは、驚いて衛星からの映像に切り替えた。そこに映っていたのは無数の光。撃墜の灯火だ。
 しかし、いくらなんでも早すぎる。映像では、現在アラクネは月面で迎撃態勢を取っており、ここはまだどう考えても射程外のはずだった。それなのに次々とカプセルが爆散していく。
 『なんかいま光った』
 中にはそんな冷静な意見もあった。どこからか攻撃を受けている。ぼくはまばたきを二回、左、下と眼球を動かして、バイザーにコマンドを打った。画面左下で巻き戻し映像を確認しつつ、漆黒の宇宙に光が灯ったその瞬間で『ストップ』と音声コマンド。停止されたサブ画面には、一瞬だけ光を反射する糸のようなものが映っていた。
 『蜘蛛の巣?』
 爆炎に照らされて、ワイヤーのような細い糸が確認できる。張り巡らされた蜘蛛の巣に、数え切れないほどのカプセルが弾けていく。この強度はおそらく、シリコンナノチューブによるものだろう。珪素知性体であるアラクネなら容易に精製できるはずだ。
 しかし、攻撃の正体に気づいたとしても、ぼくたちには何もできない。対策の一手など打てるはずもない。ここでカプセルから強制パージしたとしても宇宙の藻屑となるだけだ。
 『そういえば、昔、SF小説で読んだことがある……』
 『カーボンナノチューブを精製できる蜘蛛が発見されたやつだろ?』
 蜘蛛の巣による攻撃だという情報が浸透して、そんなコメントが目立つようになった。ぼくも薄々気づいていた。月からこの距離でこれだけの密度でシリコンナノチューブによる蜘蛛の巣が張り巡らされているということは、これを編んでいけばいずれ地球に到達する軌道エレベーターとなる。アラクネが月面近隣を移動していたのは、デブリを食べつつ、地球への足掛かりを造るため。
 『しかも、攻撃しようと宇宙に上がってきたモノを生け捕りに出来る』
 蜘蛛のように、あとでゆっくりと巣を移動して絡め取られた獲物を捕食すればいい。そのエネルギーは、自己の成長と新たな蜘蛛の巣の素材として使われることだろう。このアラクネという珪素生命体の知性を侮っていた。これは完全に人類に対する罠だ。しかもその罠に気づいたとしても、時間の経過は確実にアラクネの成長を促し、人類の首を締めていく。
 ここまで来て、引くわけにはいかない。というよりも、乾坤一擲の作戦はもう始まってしまったのだ。もう誰がどうやっても後には引けない。最初からコッペリアたちに帰りの切符はない。いまのぼくたちにできるのは、この無慈悲な蜘蛛の巣を奇跡的に掻い潜った者がやつを打ち倒すことを祈るだけ。
 <WARNING:イカロス@ズィーク・トライアンフ 撃墜>
 できることは、祈るだけ。

 ※

 <MESSAGE:ウィクトリア "みんな、ありがとう。辿り着くことができました">
 一万体のコッペリア。そのうちの大部分は想定外の攻撃により、破壊されてしまった。
 大多数のカプセルは蜘蛛の巣に絡まるか、あるいはスペースデブリとして捕食されるのを待つだけの存在となった。生死を分けたのは、コッペリアの技術でもなければ日ごろの行ないでもない、単なる偶然。シリコンナノチューブに触れて軌道が変わり、月面ではなく深淵の宇宙を目指して飛んでいったものもいた。あるいは制御がやられ、月面に激突するものもいた。
 その中で無事に着陸し、アラクネに対峙できたコッペリアの一体がウィクトリアだったことは人類に残された最後の幸運だったのかもしれない。
 <MESSAGE:ウィクトリア "征きます">
 他の生き残った(かつ動ける)コッペリア十体が囮とばかりに展開する中で、ウィクトリアは軽い重力の中で文字通り妖精のように舞った。蝶を模した羽根が太陽光を受けて輝き、彼女の機動力を保証する電力を蓄える。バイザーに隠されたツインアイがアラクネを明確に捉える。両手には超振動硬質ランス。太陽光でわずかに見える蜘蛛の巣を回避しながら、アラクネとの距離を縮めていく。

 ※

 ――が。
 『これ、無理くね』
 『詰んでる詰んでる』
 『あれだけいて十機とか。イカロスもいねえし』
 撃墜されたパイロットが暇しているのか、動画にはコメントが氾濫していた。そのほとんどは、ぼくが打ったものと同じように、この絶望的な状況を悲観するものだ。巨大なアラクネに対峙する華奢なウィクトリアだったが、それは蜂が象に戦いを挑んでいるようなもので。どうにか生き残った他のコッペリアたちは、儚くも蜘蛛の巣に絡め取られていく。
 そもそもが無理な作戦だったのだ。もう時間がなく、後がないから選ぶしかなかっただけで、まともな状態ならこんなこと誰もやらない。月までの平均距離は約三十八万キロ。秒速三十万キロの光では、往復するのに二秒かかる。すなわち、ぼくたちがバイザーで見ている世界は一秒前のもので、最速でコマンドしたとしても、コッペリアはリアクションを取るのにもう一秒かかるのだ。唯一、意識そのものがダウンロードされているウィクトリアだけが実時間の世界の中で動けるが、それは明確な戦力差をひっくり返すようなファクターにはならない。いまは善戦しているが、それもいつまで保つのか。
 「あっ……」
 蜘蛛の巣に気を取られすぎたウィクトリアが、アラクネの腕ではたき落とされる瞬間だった。
 人類の最後の希望にも関わらず、その瞬間は無音の映像だった。コメントが静まり返り、呆気無く、無慈悲に、希望は打ち砕かれようとしていた。悲壮なBGMもなく、哀しげな回想もなく、現実は極めて淡々と時計の針を進めていく。
 とっさに逆噴射をかけて直撃を避けたのは見えたが、それでも吹き飛ばれた華奢な機体は、蜘蛛の巣に何度か弾かれながら、墜落したカプセル群の中に激突した。残骸がクッションになったとはいえ、その衝撃は凄まじく、月面に瓦礫と砂煙が舞う。
 どうにか立ち上がったウィクトリアだったが、何かに気づいたように首を巡らせた。
 コントローラーを握る手に汗が滲んで、震える。
 <MESSAGE:ウィクトリア "君、まだ動ける?">
 コメントが爆発したように流れる視界の中、映像には、左右非対称の異形のコッペリアが瓦礫に隠れるように映っていた。右肩には長大な砲身。明らかにスタンダードなコッペリアとかけ離れた、魔改造の代物。
 ウィクトリアが、その異形に手を差し出した。
 <MESSAGE:ウィクトリア "一緒に戦って">
 妖精の細い右脚はさっきの衝撃で、ぐにゃぐにゃに曲がっていた。
 もう舞うことはできない。
 「なんで……、ぼくなんだよ」

 ※

 「お前が外したから負けた」
 「あそこで決めていれば勝てたんだぞ。俺は反対したぞ、あんなピーキーなマシン」
 「は? 聞こえないんですけどー?」
 高校三年の夏。コッペリア全国大会学生部門、決勝。ガンナーであるぼくが大事な一撃を外したせいで、チームは全滅してしまった。手が震えていた。そんな重要な役目をぼくに任せて欲しくはなかった。コッペリアは好きだったが、センスも運動神経も反射神経もなかった。だから、あまり動かずにゆっくり狙えるガンナーを選んだ。
 一撃必殺。
 異形のそのコッペリアは最初から多くを犠牲にして、一撃にのみ特化させたものだった。人が歩く以下の速度でしか移動できず、近接戦闘能力は皆無に等しい。右肩から生えている荷電粒子砲が唯一の武器。電源の問題から、それは一発きり。並の武装とは桁外れの威力を誇るが、それを外せば後はない。
 「ごめん……。ごめんなさ、い……」
 半ば押し付けられたような部長という役職。嫌だったが、ぼくなりに頑張ったつもりだった。
 あのときのことは、まだ忘れられなかった。
 ぼくのせいでみんなの一年以上をかけた努力が水泡に帰したのだ。学校に行けなくなり、こうして部屋に閉じこもるようになった。コッペリアを修理し、バイトに行かせ、買い物に行かせた。遅い移動速度のせいで車に轢かれそうになったり文句を言われることは多かったが、この子を手放すことはしなかった。砲身も邪魔で、よくいろいろなものにぶつけたが、これを外すわけにはいかなかった。
 もう戦う気はないくせに、なぜか改修はしなかった。

 ※

 コメントの嵐は、なんて書いてあるのかまったく読めなかった。
 あのときのことがフラッシュバックして、手が震える。やめろ、ぼくに期待をするな。差し出された腕、ウィクトリアの姿を見て、ベッドから動けないあの子の姿を思い出して、思考が止まる。その背後に見える山のような化物に、息を呑む。
 「……勝てるわけがないじゃないか!」
 叫んではみるものの、現状の何も変えることはできない。
 <MESSAGE:ウィクトリア "お願い">
 また外して、君が破壊されたら、人類が滅亡するのは、ぼくのせいじゃないか。
 全国大会でしくじったなんてレベルじゃない。
 そんな責任は普通の人間のぼくには背負えない。背負えるわけがない。
 <DIRECT CALL:ウィクトリア>
 バイザーのスピーカーからコール音が鳴って、ぼくはようやく現実に帰ってきた。あの世界的で最も有名なパイロットからのダイレクトコール。コッペリアに刻まれた固有識別コードからかけているのだろう。震える手でバイザーの耳元に触れる。
 「Χρειάζομαι τη βοήθειά σας. Παρακαλούμε να αγωνίζονται μαζί.」
 テキストのように自動翻訳はないから、ぼくにはなんて言っているのかまったくわからない。まだ幼い少女の少し高い、小さな声。でも必死に何かを訴えようとしていた。その中でぼくにはわかることが一つだけあった。あぁ、そうだ。わかってしまった。この少女の声も震えていることに。この少女も、人類という責任を負うべくして生まれてきた者ではなく、普通の人間だということに――。
 コメントが流れている。
 『頑張れ』『なに隠れてんだ卑怯者』『お願い助けて!』『お前にかかってるんだ、日本人』『諦めないで!』
 『早くしろよ!』
 息を呑んだ。
 あのとき、ぼくはすべてを投げ出して逃げしまった。いまも、そうだ。逃げられるものなら逃げたい。謝って済むならそうしたいし、黙って無視して終わるならそれもいい。みんなのコメントを無責任だと言ってキレたっていい。
 でも――。
 「Βοήθεια!」
 まだ子供の、泣きそうな声が耳元で爆ぜた。
 <MESSAGE:魔弾の射手 "やる">
 グローバルメッセージ。ウィクトリアへの発言へのレスポンスだから、ぼくの返事は、ぼくの決意は、全世界のコッペリアユーザーに表示されているはずだ。もう逃げられない。逃げてはならない。
 <MESSAGE:ウィクトリア "ありがとう">
 ウィクトリアの機体がぼくのコッペリアを後ろから抱きかかえるような体勢を取った。キャノンを保持していないほうの左腕に、ウィクトリアの指が絡まる。接続認証が表示され、ウィクトリアの権限で一方的に承認される。ぼくは唖然とそれを見つめていた。コッペリアのコアが同調し、二機のバイザーが同じ色に輝きはじめる。
 <MESSAGE:ウィクトリア "わたしのすべてをあなたに託す">
 もう動けないウィクトリアの羽根が太陽光を受けて輝き、つながった掌を通して、エネルギーが供給される。もともとウィクトリアの姿勢制御のために使われるはずだったエネルギーだ。ウィクトリアの稼働エネルギーすら、ぼくのコッペリアに注がれていた。
 この一撃にすべてがかかっている。
 耳元で、弱気なぼくが囁いた。
 ――手が震えて照準がぶれているじゃないか。
 敵は巨大だ。外すことはないだろう。規制法によるリミッターは外してあるから、全力で撃てる。金属を何でも喰らって同化するアラクネでも、エネルギーそのものによる攻撃はさすがに有効なはずだ。
 ――宇宙空間での運用なんてしたことないじゃないか。
 これはこれで都合がいい。大気による減衰がないから。
 ――怖いんだ。
 ああ、怖い。でも、一人で頑張っている彼女の隣で弱音なんて吐けるはずもないだろ。
 心の中でうずくまっていたあのときのぼくが、立ち上がる。ずっとずっと泣いていたから、顔はもうぐちゃぐちゃだ。手も震えている。怖い。ああ、怖い。でも、ぼくが怖いと感じているのは、きちんとそれに立ち向かっている証拠なんだ。
 怖くても、怖れることはない。
 ――なら、やるしかない。
 「あぁ、そうだ。やるしかない!」
 リミッターを外した状態の荷電粒子砲、物質化寸前まで凝縮された荷電粒子が照準される。右肩のキャノンに手をかけて、脚部はフックを出してしっかりと地面に固定される。ウィクトリアが隣で頷き、残った腕で砲身を支えてくれている。
 ぼくは引き金を絞り――

 ※

 「綺麗、ですね」
 ベランダに出ると、流星さながら光が落ちてきていた。同じく空を見上げていたお隣さんがそう話しかけてくれた。軽く会釈をして、言葉を探す。何年ぶりに部屋から出たぼくはどもらないように、変な声が出ないように気をつけながら返事をした。
 「吹き飛ばされたアラクネの欠片が燃え尽きているんです」
 「もう怯えてなくてもいいんですね」
 お祈りをするようにそれを見上げる彼女。世界中でもしかしたら、こういうことが行われているのだろうか。自意識過剰だとは思ったが、すこしこそばゆい。あそこでアラクネを止めなければ、いずれこの景色も茫漠の荒野になるまで食い尽くされていたのかと思うと、思い出したように手が震えてくる。
 「どこかに人類を救ってくれた方がいるんですよね」
 「きっと普通のやつですよ」
 「だったら、なおさら! すごい勇気、ってことじゃないですか」
 夜空から光の粒子が降り注ぐ。希望を抱いて昇っていった光も、宇宙の藻屑となってしまった光も、月で生まれて飢えを満たすためだけに生きていたあの生物も、祈りも、願いも、すべてが地球に還ってくる。
 「あ、」
 ぼくのコッペリアは月面に取り残されたままだった。もう代わりにバイトにも行ってくれないし、買い出しもしてきてくれない。どうせ滅亡するのだと思って、カップ麺の残りももうほとんどない。
 夜が明けたら、少しだけ外に出てみよう。
 シャワーを浴びて、伸びっぱなしの髭も剃って。
 どこかわくわくしている、ぼくがいた。

いただいたサポートは、山田とえみるさんの書籍代となります。これからも良い短編小説を提供できるよう、山田とえみるさんへの投資として感謝しつつ使わせていただきます!(*´ω`*)