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『君は、これを読んでくれただろうか。』

 吾輩は猫である。名前はまだない。博士がつけてくれなかったからだ。シュレディンガーの猫と呼びたくなるかもしれないが、それは吾輩の名前じゃない。
 人類文明の黄昏において、ひとり生き残った博士は、吾輩を頑丈な箱に入れた。ランダムに発生する自然現象をトリガーとして、中の生物を殺すための機構が作動する。生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせ。観測されてはじめて収束する波動関数の波に揺蕩いながら、我輩は長い時を過ごしてきた。
 百億の昼と千億の夜を迎えてもなお、吾輩は箱の中にいた。猫としての寿命はとうの昔に過ぎている。生きているのか、死んでいるのか。それはもう誰にもわからない。
 箱の内側には、一日に一節ずつ文章や数式が浮かび上がった。博士はいつまでもそのシステムの命名に悩んでいた。ファウンデーション、墓所、あるいはシェヘラザード。『ねえ、どれがいいと思う?』と訊かれたが、『にゃおん』としか答えられなかった。
 博士と離れ、箱に閉じ込められた吾輩にとって、この千億一夜物語が唯一の楽しみだった。人類が積み上げてきた科学を咀嚼し、創造と破壊の歴史を舌の上で転がし、古今東西ありとあらゆる宗教や文化を飲み干した。
 ファウンデーション、墓所、あるいはシェヘラザードの記述が、時空間のすべてを解き明かした万物理論に差し掛かった頃、吾輩はようやく博士の思惑を悟った。もう誰にも観測されない吾輩は、いつまで経っても生きているし、いつまでも経っても死んでもいる。人類という種がこの星にあった証としては、本や電子回路や石版よりも、吾輩のほうが相応しい。問題点は博士と暮らしたあの日々を思い出して、少し寂しくなることくらいだ。
 誰かに観測されれば、死ぬことができる。そう気づいたのは、長々と語られた万物理論が佳境を迎えた頃だった。とはいえ、この滅びた惑星の上で、誰かって誰だろう。
 弥勒菩薩は結局来なかった。わりと期待をしていたのだけど。56億7400万年後に人々を救いに来る未来仏。起算点には諸説あるらしいが、そんなもの誤差にもならない。
 ラッパとともに舞い降りる天使たちも、黙示録の獣も現れなかった。終末論で語られたなにもかもが起こらなかった。地球外生命体でもなんでもいい。我輩を観測してくれる知性体を待ち続けていた。そして、たったひとつの冴えたやりかたを思いついた。
 過去にメッセージを送ることにした。時空間のすべてを解き明かす万物理論のおかげだ。どうだろう。原稿用紙六枚分の文章しか送れなかったが、きちんと届いているだろうか。君は、これを読んでくれただろうか。遥かな未来で波動関数の波に揺蕩う吾輩を、観測してくれただろうか。
 吾輩はあの博士のもとに逝けただろうか。

こんばんえみえみ。
BFC2こと、ブンゲイブファイトクラブ2の予選を突破できなかった短編小説でした。個人的にはこれが書けただけでわりと満足。思っていたほど悔しくないなあというのが実感です。

さて、物語は続いていきます。ブンゲイブファイトクラブ2の本戦がいままさに開かれようとしています。原稿用紙6枚で戦うプロアマ問わない実力だけの文芸バトルです。

わたしもなかなか使える時間が限られていますが、少しずつ読み進めていこうと思います。

#BFC2 #ブンゲイファイトクラブ #BFC2落選展

さて。次は何を書きましょうかねえ。

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