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パリ 26ans novembre, 2001

 オペラ座の近くにある日本の本屋に立ち寄った。地下の掲示板に、ルクセンブルクにある日系企業が、求人を出しているのを見つけた。
「秘書募集。母国語日本語、フランス語・英語必須。就労ビザ手配可。住居応相談。」
 9月に更新した滞在許可証は半年しかもらえなかった。一度7時ごろ窓口に行ったら、お昼前まで並んで、今日の上限に達したからと帰された。翌日早朝5時から並んで、ソルボンヌ大学セクションの入学許可証と銀行証明を提出した。同じクラスの日本人の子は一年の滞在許可証がもらえたという。
 2月には期限が切れてしまうので、春学期の授業をとるか、労働ビザをもらうために仕事がしたかった。私はとりあえず履歴書を送った。一週間後、ファックスが届き、書類選考を通過しましたので、5日後面接に来てください、と書いてあった。

 ちょうど北駅を通った時、券売機でルクセンブルク行きの切符を買った。15時からの面接だから、10時の列車に乗れば間に合いそうだった。パリ東駅からメスという駅を経由し、ルクセンブルクまで3時間半ほど。指定席にしようかと思ったが、帰りの時間が分からなかったので、往復のチケットだけ買ってちょっとした旅行気分でうきうきしてきた。
 ルクセンブルクはベルギーに住んでいた頃、よく週末家族で訪れた。ブラッセルから車で高速を飛ばせば2時間ほど。母お目当てのビレロイ&ボッホの工場へ陶器を買いにいったり、絨毯を見に行ったりした。

 パリ東駅からの列車は、黄色く色づいた木立の中を抜け、しばらく単調な田園風景が続き、いくつかの駅を過ぎてメスについた。ここで一旦停まり、1時間程ほどでルクセンブルクに着く。
 メスでは20分たっても列車が出発しなくて、不安になってきたころ、扉が閉まり反対方向へ動き出した。しばらく走りだして、一つ目の駅を過ぎたあたりで様子がおかしいことに気づいた。たまたま通った駅員さんに聞くと、この列車はドレスデン行きだという。
 ドレスデン?
 パリからの列車はメスでルクセンブルク行きとドレスデン行きに切り離されていたらしい。もうドイツ国境近くまで来ているというので、次の駅で慌てて降りた。人気のない小さな駅の窓口で次の列車の時間を聞くと、メス行きは30分後という。ルクセンブルクに行きたいのだけど、というと、メスの手前にあるティヨンヴィルという駅で乗り換えた方が近いといわれた。そこまで車で30分ほどらしい。面接まではまだ1時間ほどあるし、そこに行けたら何とか間に合うかも。
 駅前の広場にはタクシーもなく、通りを少し歩いてみると大きな道路に出た。けっこう車が通るので、ティヨンヴィルにゆく車があるかもしれない。思い切って腕を伸ばし、親指を立ててみた。フランスとドイツの国境の道端で、スーツにヒールをはいて、ヒッチハイクをする羽目になるとは思わなかった。その姿がよっぽど切羽詰まっていたのか、一台の中型トラックが止まった。
「どこに行きたいんだい?」
「ティヨンヴィルに行きますか?」
「ああ、通るよ」
「乗せてもらえますか?」
「そうだな。途中で一発やらせてくれるなら、乗せてやってもいいよ」
 赤ら顔の男は、スーツ姿のアジア人を上から下まで見てそう言った。
「は?・・・non merci」
 ユアンがやるようにはうまくいかないのだ。
 あきらめて駅に戻り、面接を受ける会社に電話をかけた。「列車を乗り間違えて、約束のお時間より1時間以上おくれそうです。」もう来なくていいといわれるのを覚悟していたのに、反対に心配されて、とにかくルクセンブルクに着いたら連絡ください、と言ってくれた。
 のんびりとやってきたメス行きの列車に乗って、途中ティヨンヴィルで降り、ルクセンブルクに着いたのは17時近くだった。確認するとパリ行きの列車は19時が最終だった。会社に電話し、指定されたバスに飛び乗って、降りる時に、ルクセンブルクフランを持っていないことに気づいた。そのバスの運転手はフランスフランを受け取ってくれたが、あとは紙幣しか持ってなかった。
 とにかく会社の受付に行くと、すぐに面接と筆記試験をしてくれた。面接は15分ほどで、筆記試験の論文の日本語訳は、わからない単語だらけでほとんどかけないままだったが、18時半に終了してもらった。駅に向かおうとしたとき、フランスフランの紙幣しかないことを話すと、会社の人からルクセンブルクフランのバス代を渡され、あわててバスに乗った。
 駅に着くとパリ行きの列車には無事乗れた。辺りは真っ暗で、窓に映った顔は、げっそりと疲れ切っていた。夜中近くに東駅にたどり着いたとき、ほっとして、朝から何も食べてなかったことに気づいた。やっているお店もなかったので、駅の自動販売機でチョコレートバーを買った。不自然な動きでばねから商品が落ちるのを見ながら、なぜ切符を確認した駅員は、ドレスデン行きの車両に乗っていると教えてくれなかったんだろうと思った。東駅の券売機で指定席券を買っていれば、ルクセンブルク行きの車両に乗れてちゃんと時間通り着けたのかもしれない。予定通り早めについて、ちゃんとルクセンブルクフランに両替して、美味しいランチでも食べて、もうちょっと筆記試験も落ち着いてできたはず。時間は巻き戻るわけもなく、履きなれないヒールに靴擦れができて痛んだ。

 ルクセンブルクの企業からはすぐに不採用の通知がファックスで届いた。子供のお使いみたいな面接で、情けない学生に冷静に親切に対応してくれた会社の方に申し訳なく、落ちたのにバス代を借りたお礼とお詫びの手紙を書いた。
 

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