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娘が生後100日を迎えたことに気がついたのは生後101日目だった

生後100日というのは一般に、おしゃれなフォントで作られた「100Day」という木製バナーを添えた我が子の写真を撮ってインスタにアップする日だと思っていたけれど、グーグル先生が教えてくれるところによれば、生後100日というのはすなわち百日祝いの日で、それはお食い初めをする節目でもあるらしい。

ということを薄々知ってはいたけれど、私の場合、実際に娘が生後100日を迎えたことに気がついたのは生後101日目であった。

生後100日というのは、数字としてはキリが良いが、カレンダー的にはなんとも半端である。「みんな100日をわざわざ数えてるのすごすぎない?」と思っていたけれど、たぶん、おそらく、育児アプリが答えだと思う。つまり「ぴよログ」のような育児アプリを開けば「生まれてから◯日」と教えてくれる。100dayバナーを用意できるマメな人はきっと、「生まれてから80日」とアプリが教えてくれるあたりで「そろそろだわ」とメルカリか楽天をポチっているのではないかと推測する。

A型長女のわたくし、記録・記念日の類には几帳面な方である。おしゃれな100 dayバナーを事前に用意し、周到に準備して娘の写真を一眼レフで撮影、最後はインスタにアップして友達からのいいねを待つタイプの人間である。A型も長女も関係ないかもしれないけど、いかにも、私、そういうの好きそう。

でも実際には娘が生後100日を迎えていたことにさえ、気づいていなかった。たぶん、おそらく、それも育児アプリが答えだと思う。育児アプリをずいぶん長いこと開いていなかったのだ。

かつて妊娠中、ノート魔で記録好きの自分は、ほぼ日手帳のウィークリー欄にうんちやおしっこ、授乳などの記録を手書きでつけたいとドヤ顔で語っていた。「ノート魔の私による妊娠育児の記録・思い出・スケジュールの一元管理方法」と題してアップしたこの記事には、私にしてはまあまあな数のスキをいただくことができた。が、どうもビジネス系の男性からのスキが多く、子育てママからは見向きもされていなかった。

それもそのはずだと悟ったのは産後のことで、生後3週間くらいの時に授乳中の不快感から気を逸らすためにスマホでぽちぽち執筆した記事「実際に出産してから感じた『思ってたのと違う』」で自分の愚かさに対する反省を記した。この時の私は、アプリに育児記録をつけるので精一杯だった。

しかしさらにそれから日を重ね、私の心境も育児の実際にもさらなる変化が起きた。いつだったか、子育て系のnoteで生後1年くらいでぴよログを卒業したという記事を読んだことがあるのだけれど、私は生後2ヶ月を待たずに早くもぴよログを卒業した。理由は面倒の一点に尽きる。記録魔、ノート魔を語って(騙って?)記事をアップロードしたかつての私が恥ずかしい。穴があったら入りたい。

一応弁解めいたことを言わせて貰えば、育児記録が不要と思うに至ったわけではない。特に一ヶ月健診まではマメなアプリ記録も有効だったと今でも思う。ママは産褥期、子は新生児期という最も大変なひと月に細々とスマホに記録をつけるのは恐ろしく大変な作業だけど、その時期はまだ育児の右も左も分からないのだし、一ヶ月健診でうんちやおしっこの1日の平均回数や毎回の授乳の時間やミルクの量など細々と報告しなくてはならないので、毎日逐一の記録をつけてよかったなと今でも思う。それにその頃って頭が働かないから、記録しておかない限り何も記憶には残っていないし。

がしかし。一ヶ月健診を過ぎればどうかというと・・・ねえ。

一ヶ月健診で母子手帳に「健康」と大きく書かれたことに安堵した私は、そこで肩の力が抜けたらしい。「飲んで寝て、出すもん出してればそれでよし」というズボラ・・・もといおおらか育児に流れ着いてしまったのである。

いつからか、母乳をあげる際にも授乳時間をすっかり計測しなくなった。今は、赤ちゃんが自分で飲むのをやめるか、私が「そろそろ終わりたい」と思うか、そのどちらかで適当に切り上げている。最初の頃は片胸10分ずつきっちりはかっていたけれど、それも今は昔。

それに昼寝時間などに至っては、真面目に記録したのはわずか数日だった。

外出できるようになってからは、午後下がりに重たい腰を上げてぼちぼちお散歩に出て、ぼちぼち夕飯作って、夕飯をかきこむように食べて、沐浴させて、20時半頃に疲れたからそろそろ横になりたいなという自分のペースで動いていたら、それが娘の生活リズムになったらしく、生後3ヶ月を迎えるまでには20時から21時の間には簡単な寝かしつけでスッと寝てくれるようになった。

「個人差はあるけど、生後3ヶ月頃には楽になるよ」という友人の励ましは見事に的中し、夜間の授乳が3回から2回へ、2回から1回へと減っている。しかも夜中に授乳すると言っても、私も子も寝ぼけ眼の夢現という状態なので、授乳が終わればまたスッと眠りに戻る。完徹に近い夜もあった最初の1ヶ月と全然違う。めちゃくちゃ楽ちん。

これまた妊娠中には夜泣きによる自分の寝不足が心配で不安で、ジーナ式のネントレを一生懸命予習して、したり顔で持論を展開した記事をアップしたこと(「【産前予習】ジーナ式の感想とスタンス」)、それでその後、産後に生理的欲求に忠実な現実の赤ちゃんを前にジーナ式なんて不可能やんと騒ぎ立てた後日談の記事をアップしたこと(「実際に出産してから感じた『思ってたのと違う』」)、もうどっちも黒歴史である。適当に自分のペースでぼちぼち生活してたら、一周回って奇跡的にも目的を達成していたのであった。

娘は健康優良児で、今のところ大して繊細でも敏感でもなく、飲んで寝て、出すもん出して(うんちは便秘気味ではあるけれど)すくすく重たくなってくれている。

そのおかげで、私はたまに疲れを感じていても、特に育児の面での困り事も悩みもないまま、ほぼワンオペでものびやかな心で毎日を暮らすことができている。それですっかりぴよログから遠ざかり、「お、今日で生後3ヶ月だな」というのはさすがに当日に意識していたけれど、生まれて初めて抱いた我が子の生後100日はすっかり素通りしてしまったのであった。

産前、助産師さんやカウンセラーの先生に私の神経質さや完璧主義なところを心配されていたけれど、今の私のこの肩の力の抜け具合をみてほしい。どや。

先輩ママの知人や巷のネット記事では、産んでみたら案じていた以上に大変だったというエピソードに溢れているけれど、私のように案ずるより産むがやすしを地でいくパターンもあったのだ。

夫が買い出し&料理が特技だとか、娘が育てやすい子だったとか、そういういろんな幸運に恵まれているおかげなのは間違いないけれど、それにしてもA型長女で真面目優等生な私(自分でいう)のようなタイプの人間でも、また、夫が育休をとるわけでもなく近くに頼れる家族がいるわけでもないワンオペ環境であっても、生後3ヶ月でのんびりおおらか育児にたどり着ける世界線も存在するのだということは、これから第一子を迎える誰かの勇気になるのではないかと、そう思って今日の記事を書いてみたのでした。

ここまで書き終えて今思い出したけど、去年は結婚記念日を忘れて翌日に思い出してたっけ。私が記録・記念日の類には几帳面な人間だなんて言ったの、一体どこのどいつでしょうか。


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